【エッセイチャレンジ19】いとしいあの子
普通、親友と呼べる人はどれくらいいるものなのだろう。
私は人付き合いでは楽しさより煩わしさを感じやすいたちで、ひとりの時間が好きだ。それもあって友達自体少ない。だが、幸運にも親友を得ることはできた。
女の友情はライフスタイルの変化に脆いと言うが、彼女らは大学生時代の同級生で20年近い付き合いになる。その間に転居や転職、結婚、妊娠出産と大きなイベントに見舞われたが、会うペースが落ちただけで密度は変わらないと感じる。
登る山は違えど、常に挑戦を続ける彼女たちを私はずっと尊敬しているし、彼女たちも私に敬意を持ってくれているのがわかる。
だが、疎遠になっていった友人もいる。幼い私が手放したかつての親友、いとしいあの子。
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小学一年生のときに同じクラスになった、みきちゃんこと、ミッキー 。(仮)
ミッキーは肌が白く、ヘーゼルナッツラテ色の猫っ毛にはいつもゆるやかなウェーブがかかっていた。柔らかくしっとりと水分を含んだ手の甲の先には、少し長めのスクエア型の爪が綺麗に並んでる。そんなことまで今も容易に思い出すことができる。
どこもかしこも色素が薄く、元気なのにどこかアンニュイ。背も高く大人びた雰囲気が印象的であった。しめ縄のような真っ黒髪を引っ下げた少女の私が憧れるまでに、時間はかからなかった。
ミッキーは優しすぎるところがあり、悪い言い方をすれば優柔不断。人に対して強くものを言うことが苦手であったが、その穏やかさと誰に対しても飾らない大らかな性格が魅力だった。
4人兄弟の一番上でいつも忙しい母親に寄り添うようにしていたから、年の割に「譲る」とか「諦める」ことも上手かったのかもしれない。寛容な彼女が好きだった。
私がミッキーを特別な友達として意識するようになったのは、彼女の母親が離婚を選んでから。
当時は今ほどシングルマザーは多くなかったし、お父さんとお母さんがいる生活が未来永劫続くと思っていた8歳の少女の時分である。それが近しい友達に起こったことが衝撃だった。
もともと働き者であった彼女の母親は更に働くようになり、ミッキーは兄弟の面倒をよく見ていた。
そんなミッキーを見て、生意気にも「私が支えてあげたい」という気持ちを抱いたのだ。
***
それ以来、彼女の忘れ物をフォローしたり、勉強を教えたり、友人とのトラブルの仲裁に入ったり、積極的に骨を折った。
長期休みには必ず泊まりに来てもらって、翌日は朝から遊園地やプール、いろんなところに遊びに行った。家族もみんなミッキーが好きだったし、ワガママな私も彼女にはお気に入りのコップもパジャマもいつも喜んで貸した。多分ショートケーキならいちごの多い方を渡すし、たい焼きがなら迷わず頭側をちぎってあげる。
彼女には幸せになってほしかったし、傲慢を承知で言えば幸せにしたかったのだ。
違う高校へ進学してからも友情は続いたが、互いの価値観には少しずつ変化が現れていった。
彼女はあまり熱心に勉強をしなくなり、彼女を大切にしているとは言い難い恋人もできた。いろんなことに対し、投げやりに見えた。
恒例のお泊まり会の夜。私たちは6畳の部屋に布団を敷き詰め、間接照明が反射する天井を眺めていた。和紙のペンダントライトは格子状の光を放ち、天井にぶつかるとぐねりと歪む。オレンジがかった放物線の光は部屋の四隅の暗闇に吸い込まれるように引き伸ばされていた。
彼女は布団に横になりながら、ポツリポツリと話し始めた。お母さんが再婚してできた、新しいお父さんのこと。
「今のおとんに聞いてからようやく思い出したんだけど。
離婚したお父さん、お母さんに暴力振るってたの。
私はその場面を何度も見ていたはずなのに、なぜか忘れていた。その話を聞くまで、優しいお父さんの記憶しかなかったの。あんなショックな光景を、私はどうして忘れていたんだろう。」
この衝撃の告白に対し、私が感じた事は強い怒りだった。
なんで新しいお父さんはそんなことを話したのか。
彼女が大人びているから、大丈夫だと思ったのか。秘密を抱えるのはそんなに面倒だったのか。
知らなければ、思い出さなければ、ミッキーは優しい記憶だけを抱いて生きて行けたのに。
あれから20年経つが、親になった私にも義父の真意はわからない。
***
あの告白以来、私はますます彼女の幸せを願うようになった。そして、その願いは彼女を幸せに導くのが自分の務めだという使命感に姿を変えた。
「大切な友人が、大変な秘密を話してくれた」というさもしい自負があったのかもしれない。
私はたびたび、私の正論で彼女を諭した。
大した苦労もしていない私の経験を引き合いに出しては、的外れな励ましを彼女にかけた。
ミッキーは、うんうん、そうだよねぇ、なんて聞いていた。
次第に会う頻度が格段に落ちたのは、私が社会人になってからであろうか。2ヶ月に一回が4ヶ月、半年、一年…とペースが落ちて気がついた。
ミッキーは誘いこそすれば必ず来てくれるが、彼女から呼び出されることはもうずっとない。会う回数は、そのまま私が彼女を誘った回数になっていた。
***
ミッキーは就職を機に他県に越して、それから会えていない。誰に聞かれるわけでもないが、お互いの生活環境が変わったから…と自分に言い訳ができるから、良いタイミングであった。
私が友情に正論や使命感を持ち込んでしまったときから、少しずつ変わっていったのだと思う。友達ならただ寄り添えば良かったのに、対等な関係を崩したのは私自身だ。
当時は彼女に幸せになって欲しくて私なりに一生懸命だったのだが、逆の立場なら確かに煩わしい。それとも自分が手を離せばいつでも終わってしまうことを、当時の私は無意識に感じていたのだろうか。
時折SNSでミッキーの近況を知る。
彼女は私の知らない土地で、知らないあだ名で呼ばれ、楽しそうに笑っている。先日女の子を出産したようで、彼女に似た色素の薄い美人さんだ。
もう幼いミッキーはいないのだ。
願わくば彼女がこれからもずっと幸せでありますように。しつこいと思いながらもそう願わずにはいられない。私の初めての親友だから。いつかの私のいとしいあの子。
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