見出し画像

『予告された殺人の記録』:アンヘラ・ビカリオの観点からの考察

※本稿は、2014年に作成したものです。

作品の要旨

『予告された殺人の記録』(以下、『記録』)は、ガブリエル・ガルシア=マルケス(以下、マルケス)が1981年に発表した中篇小説で、コロンビアのスクレで実際に起きた事件を元に描かれたフィクション作品である。

物語の舞台は、河を通行する船だけが唯一の交通である閉鎖された田舎町。その町で起きた過去の殺人事件を追うために戻ってきた、町の出身者である「わたし」の目線で語られる。その事件は、外部からやってきた富豪バヤルド・サン=ロマンと地元の娘アンヘラ・ビカリオが結婚式を挙げたその夜、アンヘラが処女ではないことを知ったバヤルドが、彼女を親元へ突き返したことに発する。すぐさま母親や兄弟に相手は誰なのかと尋問を受けたアンヘラは、町の有力者の若者であったサンティアゴ・ナサールの名前を挙げた。アンヘラの兄である双子の兄弟は失墜した名誉の回復のため、サンティアゴ殺害を計画する。町の誰もがその殺害計画を知っていたが、双子を止めることはできず、また様々な不運も重なり、サンティアゴは町中の皆がいる目の前で双子に惨殺されてしまう。

アンヘラ・ビカリオについての考察

■アンヘラが持つ処女性・神聖性

本稿では、登場人物のひとり、アンヘラ・ビカリオを中心に『記録』を考察する。まず、触れておきたいのが、『記録』において、謎として取り上げられやすいテーマが、「アンヘラの相手は、本当にサンティアゴだったのか」ということである。これは、『記録』を推理小説というジャンルとして捉える考えに基づいているのかもしれない。つまり、アンヘラの相手が誰かという「謎」が最後まで明かされないことが、推理小説として破綻している、という考えに基づいている、と筆者は考える。しかし、推理小説として着目すべき「殺人事件」の犯人が双子の兄弟であることは明白であり、推理小説として成立していることには議論の余地はない。アンヘラの相手が誰であるのかというのは、殺人事件の本筋からはあくまでも別なのである。このことは別役も、「アンヘラが本当のことを言ったのか嘘をついたのかを議論することは、さして重要ではない」と述べている(別役 1983: 259)。アンヘラの本当の相手が誰であるかということよりも重要なのは、アンヘラがどのようにしてサンティアゴの名前を挙げることとなったのか、その「意識の過程」だと筆者は考える。その意識の過程を『記録』では、次のように描写している。

彼女は、ほとんどためらわずに、名前を挙げた。それは、記憶の闇の中を探ったとき、この世あの世の人間の数限りない名前がまぜこぜになった中から、真っ先に見つかったものだった。彼女はその名に投げ矢を命中させ、蝶のように壁に留めたのだ。彼女がなにげなく挙げたその名は、しかし、はるか昔からすでに宣告されていたのである(マルケス 1988: 56)。

この意識の過程は、まるで神のお告げのようである。上述の描写によれば、選択される名前の候補には「この世あの世の人間の数限りない名前」があり、さらにアンヘラが選択した名前は「はるか昔からすでに宣告されていた」ものであった。これはアンヘラが主体的に名を告げたというよりも、時空を超越した超自然的な何者かに言わされたと考えることができる。このことについては野谷も、アンヘラを神に仕える「巫女」と表現し、彼女に名指しされたサンティアゴを神に捧げられる「生け贄」と表現している(野谷 2013: 233)。

また、「アンヘラ」という名前にも筆者は着目する。アンヘラとはスペイン語でÁngela、すなわち天使である。文字通り名前からも、事件の引き金ともなった社会から求められる「処女性」や、まるでお告げを得たかのような神との繋がりを持つ「神聖性」について示唆していると考えられる。同じく名前に着目することで、彼女に選ばれたサンティアゴは、殺される運命から決して逃れることはできなかったことが見えてくる。サンティアゴ(Santiago)とは、スペインの守護聖人で、ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路でも有名である。イベリア半島のレコンキスタの時代にモーロ人殺し(Matamoros)の名前で呼ばれたサンティアゴは、モーロ人と戦うスペイン人兵士たちに熱狂的に信仰された。そんなサンティアゴの名前が、アラブ系移民を父に持つ男、つまりサンティアゴ・ナサールに名付けられている。まさに、アンヘラに名を告げられたことで殺害計画が発動し、名前によって殺されたサンティアゴの運命を、その名前が物語っているのである。

■アンヘラの「読まれない手紙」の効果

手紙というものは本来、読まれることで初めて、その効果を発揮するものである。しかし『記録』では、「読まれない手紙」が効果を発する場面がふたつ登場する。ひとつは、サンティアゴの家の玄関の扉の下に挟まれた、双子の殺害計画について教える手紙である。もうひとつは、アンヘラがバヤルドへ宛てた手紙である。

まず先に、送り主が明確である、アンヘラがバヤルドに宛てた手紙について論ずる。結婚が決まったとき、アンヘラは婚約者のバヤルドに対して良い感情を抱いてはいなかった。しかし、処女ではないことが発覚し実家へ突き返された夜、一転してアンヘラはバヤルドのことを想うようになる。作品中では、アンヘラがその夜を振り返って「お母さんがあたしを叩き始めたとき、突然、あの人のことを想い出したの。それが始まりよ」と語っている(マルケス 1988: 107)。そんなアンヘラが事件後にバヤルドへ宛てて手紙を何度も書くが、彼からの返事は一向に来ない。そうして17年の歳月が経ったある時、アンヘラのもとをバヤルドが二千通余りの手紙を携えてやってくる。そして、それらの手紙はすべて封が切られていなかった。野谷が「報われなかった手紙が報われ」、「二人を再会させ」たと述べるように、読まれなかった手紙が、アンヘラとバヤルドを結びつけるキーアイテムとして効果的に使われている(野谷 2013: 234)。

そして、もうひとつの「読まれない手紙」、サンティアゴ殺害を伝える手紙であるが、これは送り主が不明である。この手紙は、事件が起こる朝にはすでに何者かによって扉の下の隙間に差し込まれていたものの、殺害が実行された後になるまで誰にもその存在が気づかれることがなかった。この手紙を差し込んだ主はアンヘラではないか、と筆者は考える。アンヘラ自身、神のお告げのようにサンティアゴの名前を発することとなり、運命に抗うことはできなかった。せめてもの償いとして、サンティアゴが運命に抗えるよう、警告を渡したのではないだろうか。ただし作品中には、その手紙の送り主に関わるような描写は一切ないため、これは推測の域を出ない。

結果的には、その手紙は読まれることはなく、サンティアゴ殺害は実行されてしまう。しかし、もしこの手紙がサンティアゴに読まれ、殺害が未遂に終わったとしたら、どうなっていただろうか。そうなればアンヘラの名誉は傷がついたままとなる。その時点ではすでに、バヤルドへの想いが生まれていたアンヘラにとっては、サンティアゴが殺害されることによって名誉が回復され、一度リセットされることが必要であった。つまり、手紙は読まれなくて、却って良かったのであり、むしろサンティアゴ殺害が実行されたことによって、アンヘラは救われているのである。次の項で述べることとも関連するが、サンティアゴ殺害は、アンヘラが成長するひとつのステップであり、生まれ変わる儀式として必須なのである。このように「読まれるべき手紙」が「読まれない」ことが、物語中で効果を発揮しているのである。

■主人公としてのアンヘラ

木村は『記録』について、「主人公と呼べる人物が登場してこない」と述べている(木村 2014: 176)。しかし、筆者はアンヘラを主人公として捉えられるのではないか、と考える。なぜならば、作品の中で唯一アンヘラだけが、成長している様が明確に描かれているからである。また、作品タイトルのキーワード「予告」の行為者についても着目しながら、本項ではアンヘラの主人公性について論ずる。

まず、前項でも述べたように、アンヘラは殺害事件の後、ビカリオへの想いを伝えるべく手紙を書き続ける。そんな中、あるホテルで偶然、アンヘラはビカリオとすれ違うが、彼はアンヘラには目もくれずに去ってしまう。次に引用するのは、その直後のシーンで、母であるプーラ・ビカリオに対してアンヘラが感じたことが描かれている。

プーラ・ビカリオは水を飲み終え、袖で口を拭うと、カウンターから新しい眼鏡をかけた顔で彼女ににっこりして見せた。その微笑の中に、アンヘラ・ビカリオは生れて初めて、ありのままの母を見た。それは娘の欠点をただひたすら賛美してきた哀れな女だった。「くそっ!」と彼女は独り言を言った(マルケス 1988: 108)。

ここに出てくるアンヘラの「くそっ!」という言葉を、野谷は「象徴的母殺し」と表現している。つまり、「それまで自分が受け身だったことに対し呪詛の言葉を浴びせ」たことによって、「強い母のいいなりになってきた彼女がついに自立」したことを表しているのである(野谷 2013: 234)。この「象徴的母殺し」が行われた直後の書き出しに「彼女は生れ変わった(マルケス 1988: 109)」とあるように、文字通りアンヘラは再生したのである。

次に、作品のタイトルでもある「予告された殺人」の、「予告した」行為者について着目したい。殺害が行われるそもそものきっかけは、アンヘラが名を挙げた「サンティアゴ」の言葉に発する。この名を告げる行為そのものが殺人の「予告」と捉えられるのではないか。また先述の通り、サンティアゴに送られた「読まれない手紙」の送り主はアンヘラではないか、と筆者は考えるのであるが、その手紙も殺人の「予告」であると捉えられるのではないか。作品タイトルにもなっているキーワードとしての「予告」、その行為者をアンヘラと結びつけることができる、と筆者は考える。

アンヘラが成長するためには、サンティアゴ殺害のステップが必須である。もちろんアンヘラがそのことを意識していたことは考えられにくいが、「名前の宣告」と「読まれない手紙」によって予告された殺人は発動され、現実のものとなり、アンヘラの再生の儀式は完了されたのである。アンヘラの再生と成長の描かれ方、そしてアンヘラは予告の行為者である、という観点から彼女の主人公性が見えてくる。

おわりに

本稿では、登場人物のひとりであるアンヘラ・ビカリオについて考察した。まず、アンヘラがサンティアゴの名前を選んだ過程の描写や彼女が持つ名前の観点から、アンヘラが持つ処女性や神聖性について述べた。

次に、作品中に描かれる2つの「読まれない手紙」、その効果について論じた。それにより、どちらの手紙もアンヘラが再生するために重要となるキーアイテムとして描かれていることがわかった。

最後に、アンヘラを主人公とする観点に立って考察した。作品中における再生していくアンヘラの描写について述べ、作品タイトルのキーワード「予告」の行為者をアンヘラとして捉えられることを提示した。

このようにアンヘラという存在を通して、『記録』の世界観を別の視座から捉えなおす試みを行った。しかしこれに限らず、マルケスの作品は様々な解釈が可能である。その多様な解釈を許す寛容さこそが、彼の作品が世界中で深く幅広く愛される所以なのである、と筆者は考える。

参考文献

ガルシア=マルケス、ガブリエル(1988)『予告された殺人の記録』(野谷文昭訳)新潮社。

ガルシア=マルケス、ガブリエル(2008)『予告された殺人の記録 十二の遍歴の物語』(野谷文昭 旦敬介訳)新潮社。

木村榮一(2014)『謎ときガルシア=マルケス』新潮社。

野谷文昭(1983)「崩壊する共同体への挽歌」『新潮』第80巻第2号。

野谷文昭(1989a)『越境するラテンアメリカ』PARCO出版局。

野谷文昭(1989b)「ガルシア=マルケスの三つの顔:文学・映画・ジャーナリズム」『立教大学ラテン・アメリカ研究所報』第17巻。

野谷文昭(1997)「『予告された殺人の記録』のパースペクティブ」『国文学 解釈と教材の研究』第42巻第4号。

野谷文昭(2013)「野谷文昭東京大学最終講義 深読み、裏読み、併せ読み:ラテンアメリカ文学はもっと面白い」『すばる』第35巻第5号。

野谷文昭(2014)「余韻と匂い(ガブリエル・ガルシア=マルケスのために)」『新潮』第111巻第7号。

藤原章生(2007)『ガルシア=マルケスに葬られた女』集英社。
(野谷文昭 旦敬介訳)

別役実(1983)「構造としての犯罪――『予告された殺人の記録』より」『新潮』第80巻第8号。


この記事が参加している募集

読書感想文

真心こもったサポートに感謝いたします。いただいたサポートは、ワユーの人びとのために使いたいと思います。