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【読書メモ】隣のアボリジニ:小さな町に暮らす先住民

『隣のアボリジニ:小さな町に暮らす先住民』上橋菜穂子著、筑摩書房、2010年。

文化人類学者・上橋菜穂子さんの著書。上橋さんは「守り人」シリーズで作家としても有名です。

本書では、アボリジニが都市に住むことによって生じる、白人との関係性、さらにはアボリジニ同士の関係性の変化について描かれています。その中から、アボリジニ対白人という枠には納まらない、普遍的な構図について着目したいと思います。

第一章のローズマリへのインタビューの中で、「私たちは自分たちの『法』をもっていたし、その『法』には、よいところだってたくさんあったんだ。……白人は彼らの『法』を私たちに押しつけた」と述べられています(pp.66-67)。ここでの「法」は、いわゆる法律ではなく、その社会で用いられている一般的な考え方や慣習と捉えられます。

こうした先住民(アボリジニ)とマジョリティ(白人)の考え方の違いによる衝突は、他の地域でも起こっています。

特に強く現れるのは、資源開発問題だと思います。南米コロンビアの事例では、政府と多国籍企業が進める開発プロジェクトにおいて、先住民との対話の場が設けられたにも関わらず、先住民による反発が起こっています。その齟齬の原因の一つとして、政府・企業と先住民との間で、「相談」の認識が異なっているということがあります。先住民にとって、その土地を開発する際、相談されるべき相手は彼ら・彼女ら自身ではなく、「自然・動植物」や「超自然的存在」でもあります。先住民の人びとが自然を「所有」しているわけではないからです。さらに相談するプロセスも異なれば、その期間も決まっていません。1ヵ月かかることもあれば、1年以上かかることもあります。しかし、政府や企業の論理では、先住民との会合の場で「相談した」ことが既成事実とされ、それを言い訳として開発を着手することを正当化する、ということが起こったりもします。

本書の第三章でも、アボリジニの土地における資源開発問題について触れられています(pp.143-145)。自分たちの「法」と、異なる人々の「法」の違いを無視して、どちらか一方が押しつけた途端に、衝突が起こってしまいます。しかし、そうした衝突は先住民とマジョリティに限らず、異なる考え方を持つ人びとが共に暮らしていることを鑑みず、どちらか一方の論理を押し通そうとすれば、どこでも十分生じうることでもあります。

本書の終章では、アボリジニに対する不平等はなくなったのだから、社会保障を当てにせず、怠けずに働いてお金を稼ぐべき、という論調がオーストラリア国内には確かにある、と述べられています(pp.215-216)。またそれは、都市に住むアボリジニが、いわゆる「伝統的なアボリジニ」に見えないことから、同じ都市に住むものとして余計に許せないという感情があります(p.217)。

一見すると、自分と同じような外見や態度なので、そうは見えないけれども、確実に考え方・生活形態の差異はあります。そしてそのことは、アボリジニ対白人の構図に限らず、日本においても「ご近所トラブル」「生活保護世帯への風当たりの強さ」「保育園建設反対」「ヘイトスピーチ」などなど、社会問題として多く噴出していることでもあります。まったく同じ人間ではないのだから、考え方に差異があるのは当たり前の話で、その差異に目を向けずに、自分の「法」を正義として、相手に一方的に押し付けようとすれば、自分の中では憤りや怒りが生まれるし、相手との衝突にも発展してしまいます。

本書で描かれている出来事の数々は、アボリジニ対白人という、オーストラリアの特殊な事象ではなく、広く世界に当てはめることのできる、そしてもちろん日本にも当てはまる、普遍的な事象を取り扱っている、と言うこともできるのではないでしょうか。

<他、参考資料>

Pineda Camacho, Roberto (2002) “Consulta”, en Serje de la Ossa, Margarita Rosa, María Cristina Suaza Vargas y Roberto Pineda Camacho (eds.) Palabras para desarmar, una mirada crítica al vocabulario del reconocimiento cultural, Colombia: Ministerio de Cultura y Instituto Colombiano de Antropología e Historia, pp.89-105.


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