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なぜ僕が、人里離れた田舎のほうが好きか?光り輝くネオンに人が群がっている光景は、僕にとっては、光に集まっている虫に見えるのです(悪い意味ではない)。

僕は、都会より、人里離れた田舎のほうが好きです。昔は、自分の劣等感などから田舎を馬鹿にしていましたが、今は、自分が価値を感じるものが、180度変わってしまったのです。

つまり、昔は、「田舎」=「無価値」「都会」=「有価値」だったのですが、過去、色々な人間を見て、人の汚さも知り、広く浅くだけど、全体的にサラッと知ったことでわかったこと。それは「殆ど(約9割くらい)の人間が欲望中心で生きている」ということ。

欲望の渦に飲みこまれていき、絡めとられて、痛い目に遭って、不幸になっても尚、欲を求めて、光り輝くネオンに群がっている光景は、僕にとっては、光に集まっている虫に見えるのです(※これは決して悪く言っているのではなく、似ていると過去に感じた気持ち)。それがなんとも寂しい光景だなと…。僕は別にこれを悪いと言っているのではない。個人的に興味が無くなったのです。

みんな、色々苦しみ、さみしさ、色んなものを抱えて、心救われたい気持ちを持っている。それが光り輝くネオンに群がっている光景だなと。だけど、「本当の心の救い」は、人間が作り出した人工的な光の場所(外)にはないのです。みんな外に救いを求めていますが…。

そして、欲を求めて、外に期待している人間たちは、1人になることが怖かったり、嫌だったり、苦痛だったりします。1人になるということは「自分といる」ということです。自分といることが苦痛…、それは自分で自分を虐待しているからなのです。自分で自分を見捨てているからです。僕自身も、1人が苦痛だった時期があります。

前記した、「殆ど(約9割くらい)の人間が欲望中心で生きている」ということ。これと、大枝柾彦先生(僕はこの人が誰か知らない。記事を見て少し感銘を受けただけ)の「恐怖への同一化(http://oeda.gooside.com/heiwa/006.html)」に書いてあることを引用させてもらいます。

私の見積もりでは(人間の行動分析でその潜在意識を解釈する事で出てくる概算です)人類の90%以上は「自我喪失」していると思われます。

引用元(http://oeda.gooside.com/heiwa/006.html

僕も、この通りだと確信しています。

つまり、人類の約9割は、自我喪失し、自分を見失っていて、他人の思考、感情、属性などを取り込んで他人を生きているのです。それは自分で自分を無視していますから、自分に対し、心理的な虐待をしているということ(無視も虐待)。だから、苦しくなり、心救われたくなり、それを欲で誤魔化して生きるのです。その表れが「光を求める」ということ。

例えば、同一化した恐怖、これを誤魔化し続けるのも「欲(生理的欲求)」です。何らかの欲で、抱えている潜在的な恐怖に気づかないようにしています。だから、「暴力」と「セックス」は深い関係があるのです。暴力を振るう者は何かに怯えています(恐怖支配を受けている)。DV加害者も。その恐怖を誤魔化すために過剰にセックスに明け暮れるのです。そうして、飴(セックス)と鞭(暴力)を巧みに使い分けながら、セルフ支配をしたり、その支配の世界に、他の人のことも巻き込もうとします(支配の仕組みの自動化システム)。恐怖支配を徹底して受け続けた人間は、ここから抜け出すことは非常に困難です。足を洗い、徹底した精神の浄化が必要です。この状態の人は、1人でいることに耐えられないのです。裏切り続けている相手(心の中の小さな自分)といることが出来ないのです。

一方、本当の自分を大切に思えるようになった人たちは、1人でいることが心地よいのです。苦痛を感じません。自分といることが心地よい。だから、心の中の小さな自分も、心地よさを感じてくれて、自分と繋がっていられるのです。過度な承認欲求もありませんから、外部に認めてもらおうとしません。あるのは「自己実現欲求」です。本当の自分を何らかの形で表現し、創造していきたいという気持ちになるのです。なので、あらゆる欲求を満たしていくと、自己実現欲求に繋がるので、人によっては自然のある田舎、自然豊かな場所を好むようになるのです。そっちのほうが、表現や創造的活動において有利だからです。

この記事でお伝えしていることは、決して、「欲(生理的欲求)」を求めて生きている人を否定しているわけでも、見下しているわけでもありません。人は皆、違う環境で生きています。比較しようがありません。敢えて比較するなら、僕の1000倍も努力をしている人が、「欲(生理的欲求)」を求めて生きているという場合もあります(難易度の高い人生を選んでいる勇気ある者なのだと思う)。

大事なことは、其々が、自分の人生を全うすること。そのために、ありのままの自分、本当の自分を見つけ出すこと。見つけたら二度と手放さないこと。そこからが人生の再スタートなのです。そのために、「田舎」=「無価値」「都会」=「有価値」、こんな程度の低い考えは捨て去ったほうが良いと僕は思います。どっちに価値があるか? ではなく、どっちにも比較しようがない価値が有り、どっちにも役割があり、様々な意味があり、自由に意味づけが出来るので不健全な劣等感を増やす比較はやめたほうが良いと思います。不健全な劣等感は、自分以外との比較から生まれます。

僕自身は、本当の自分の感情を大切に思えるようになったら、1人でいるほうが好きで、都会の光輝くネオンに全く興味が無くなり、逆に、田舎、綺麗な空気、自然、動物、精神的なこと、心の世界、こういったほうが好きになってきました。





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