統合失調症とわたし ⑮
※ここから少しグロい表現が入ります。ご注意ください。
随分長いこと更新していなくてすみません。書き物の方が忙しくてこちらに手が回りませんでした(汗)
さて、本題に戻りましょうか。
『死』というものについてです。
医者に処方された薬も効かない。体調はずっと芳しくない。そんな状況の中、こんなことがずっと、大げさかもしれませんが死ぬまで続くのか。そんなことを思いました。
リストカットを繰り返し、風邪を引いては吐き下し。
そんな日々がこれから先もずっと続いていくのかと思い始め、ある日のことでした。
私の中というか私は自分で「サイレントルーム」と名付けているのですが、音のない広くて白い部屋にいるような感覚に陥りました。ある日唐突に。
その部屋には『死』というものに四方を囲まれていて、私はそこで蹲り、毎日のように『死』を考えるようになりました。
そして、死ぬことを決めました。
一度、死ぬということを決めてしまうと周りから入ってくる音が無くなります。自分ただ一人だけの「サイレントルーム」の中で、どうやって死のうかを考え、日々過ごしてました。
さらに言うと、死ぬと決めてしまうとなにをやってもいいような気になってしまうんですね。不思議なことに。
なので、私も死んじゃうならなにやってもいいや感覚で、タトゥーを腕に彫ってもらったり、風俗で働いたり(これは母に速攻で止められましたが)いろいろめちゃくちゃなことをしました。
今なので冷静に思い返せますが、ばかなことをしていたなあとしみじみ思いますが、あの頃の私は完全に死ぬことにベクトルが向いていたので完全無敵の状態だった。そこが『死』というものを意識した怖い瞬間というか、時なのですが。
その頃も薬は欠かさず飲んでいたのですが、今でこそ分かることでもあるのですし、ここでも散々言ってきてますがあんな弱い薬じゃ効かない。それを、H先生じゃ見抜けなかった。
しかし、私の母は私が死のうと思っていたことは分かっていたそうです。後々教えてくれたことなのですが。ですから、私から目を離さないようにして、眠れる時に眠って見張っていたんだとか。
そして、決行の日を迎えました。
その頃、私の兄は夜勤だったのでその日を狙い自殺の準備を始めました。
私が死んだ後、掃除が楽なようにカーペットを剥がしてそこに新聞紙を敷き、汚れても構わない服装でカミソリ片手に鏡を見て首を切りました。
よく言われるのが野生の生き物が狩られる時、痛みを感じないそうです。それには訳があって、死を覚悟すると何らかの物質が脳に溢れて痛みを感じないようにできているのだとか。
その時の私はまさしくそんな感じで、痛みをまったく感じませんでした。不思議なくらい痛くなくて、ざくざく首を切って血が溢れて床に拡がり大惨事でしたが、構わずに切っていったところで、何故か急にものすごく「疲れた」んです。腕が重くなって、切ることが困難になってしまいカミソリも切れ味が落ちてきて切れなくなり、私は両手を床に投げて座り込みました。
多分、今だから言えることですがここが私の運命の分かれ道だったんだと思います。血管って結構すぐに切れるもんだと思っていましたが、どれだけ切っても、掘って行っても行き当たらなかった。
なんでだろうという疑問と共に、次にやって来たのは恐怖でした。カミソリを新しいものに変えて切れば、きっといま私はこうしてここにいることはなかったと思います。
それほどの恐怖がぞわっと湧いてきて、どうしてもカミソリの刃を首に当てることができなくなってしまいました。
血塗れの部屋の中、途方に暮れた私は独り、寝転んで今後を考えました。これ以上、カミソリを動かすことはできない。どうしてもできなかった。きっと、身体からの最後通告だったのだと思います。そして、この先に行ってしまえば必ず待っているのは『死』。
私はそのボーダーラインを越えることができなかった。そして、それを越えてしまった人は死んでしまう。
その『死』というものの一歩が、私には踏み出せなかった。ただそれだけなのだと思います。それが、私を生かした。そして、今がある。
その後、少し横になって考えたのが母に対するヘルプでした。傷口は深く、家で治せるレベルのものじゃないのは誰が見ても分かるほどで、しかしどうやって母に伝えればいいのか。
何か物音を立てれば気づいてくれるのか。そう思って、階段から落ちてみたり、意味不明なことをしてヘルプサインを出しましたが結局、母の寝室に行って母を起こしました。
母は、なにも言いませんでした。怒りもせず、私にどうしてこんなことをしたのだと問いただすこともせず、ただ淡々と私の頸にすごくガーゼの大きな絆創膏型のテープを貼り付け、部屋の掃除を始めました。
私はその間、そんな母の姿をずっと眺めていました。
どうして何も聞かないんだろう。言わないんだろう。なんで怒らないんだろう。そんな疑問ばかりが頭を占め、白血球と赤血球の分かれた血の海を片づける母を見てました。
母はいつでもそうでした。私がリストカットして血が止まらなくなった時に呼んでも、母は怒ったりもしないしどうしてこんなことをしたと責めることもせず、ただただ傷の手当てをするばかりで、今から思っても、母は私の救いだったのですね。
部屋の掃除を終えた母は、私を外出着に着替えさせ病院へと向かいました。その頃になってくると、私はもはや自暴自棄になっていて母の運転する車に揺られながらどうして死ねなかったんだろうということばかりを考えて、病院へと行きました。
病院へと着くと、夜間の診察になるのでそのまま数人の待つベンチに母と並んで座っていると、受付の人に母が呼ばれたので私はそのまま座っているとどうやら自傷というもので病院へと行くと、保険が利かないのだとかという説明をされ、私はどうしてかその言葉にブチ切れ、立ち上がって「帰ろう!」と怒鳴ると、今まで止まっていた血が溢れ出し、テープの端から零れ、慌てて処置室に運ばれました。
処置室のベッドに横にされ、テープを剥がされると数人いたスタッフの人たちが傷を見ては全員「ズタズタだね」と口々に言っては傷口を見てました。
後、傷口を塞ぐ手術の話になり「〇〇先生はいる!?」「いる!いま連絡とる!」と、急に忙しくなり緊急手術になりました。
麻酔を何本も打たれ、傷口を意図で塞がれた後、暗い部屋で独り、点滴を受けながら、今のこの気持ちをどう表現していいか分からずに無理やり泣いていると、一人の男性看護師がやってきて言いました。
「もう二度と、こんなことしちゃだめだからね」
というのも、自殺未遂で運ばれる人というのは常習になってしまう確率が高いそうです。だから、その看護師は私にそう言ったんだと思います。
そして、点滴を終えて家に帰り……眠りにつきました。
私が寝ている間、母は私を何とか生かすため、奔走していたのも知らず私はただ、死にきれなかった喪失感と共に、涙も流さず眠っていました。
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