恋愛は、真の愛を思い出すための呼び声

noteで恋愛というテーマをもっと扱っていきたいと書いた前回。実は、恋愛について取り上げたいのにはスピリチュアリティーの観点から理由がある。
私たちは他者と関わること、人間関係を通して、真の愛を思い出すからだ。

もちろん「関わり」そのものは人間以外の存在とであっても生じる。多様な生物たち、自然界からも私たちは多くを学んでいる。しかし人間同士の協力は必須で、そこでしか学べない種類のこともある。

あらゆる問題は、私たちが自分たちの存在について「私とは何か」を忘れていることから起きている。それは言い換えれば、存在の本質である「愛」を歪めて解釈しているということだ。

恋愛は愛とイコールではないし、必ずしも恋愛を通して気づかなくてもいいが、人間関係の中でも恋愛は抗えないほど強力な「真の愛を思い出すための呼び声」になりやすい。人との関係性において本気になれば、絶対に成長せざるをえず、自分自身と向き合わざるをえないのだ。
この「本気になる」という「引き」がもたらされるのが恋愛のメリットだ。なぜなら、あなたが自発的に「そうしたい」と思わない限り、なかなか幻想からあえて抜け出て自己を見つめる機会を作らないからである。

その一方で、精神世界やセラピー、スピリチュアルな分野などの「知識」に傾倒してしまった結果、恋愛に対してより複雑なルールを新設してしまったり、かえって余計な幻想に没入してしまったりするケースもある。

例として、そのひとつを取り上げよう。

自分を満たしてからでないと、恋愛してはいけない?

スピリチュアルな知識がある人に、こう尋ねられたことがある。
「まずは自分を満たさないと、恋愛しない方がいいんでしょう?」と。

自分の「欠け」を埋めるために、恋愛をしないこと。なぜなら、そうしても不足のエネルギーを現実に投影するだけで、あなたは満たされないから――このことを納得している人は多いだろう。
かといって、その意味を履き違えて、
「自分が完璧にならなければ、人を好きになるべきじゃない(好きになってもらう資格もない)!」と、思い込まないでほしい。

そんな風に思い込んだら、あなたはいつになったら「恋愛へのゴーサイン」を出せるだろう? 一体どうなれば、愛し、愛されていい自分なんだと許可できるのだろうか。

思い出してほしい。あなたは、あなた自身に何も「足す」必要はない。
あなたの存在に何かを付け加えることで「完璧にならなければいけない」と考える、思い込みから抜けよう。

そうではなく、あなたが見つめる必要があるのは、ものごとに向かうときの動機だ。動機を精査すると、エゴの誤った観念に衝き動かされて選択するのを防ぐことができる。

真の愛の状態に戻ることと、恋愛を餌に暴れるエゴ

心の中にある動機が、真の愛に基づいていれば、もたらされるのは調和だ。
「真の愛」の状態であることは、すべてを癒す。
ただし私たちは愛を思い違いしている。幻想の愛を愛だと思い込む。ここが識別が必要になるポイントだ。

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