自分以外の者であろうとするのはout of date

昨年までは、霊的な目覚めに対する(講座セッションや書く活動を通しての)働きかけがまだ意味があるように感じられていたが、今年に入ってからは違う。
もはや、目覚めよう! と呼びかける時期は終わった。
その閾値は超えてしまった。
あとはひたすら、自分を生きることだ。

いつから「きっかり」そう変わったとは言えないが、私にはすでにその実感がスタンダードになっている。
皮膚感覚でわかるエネルギーが、時代の感触がそうなのだ。

自分以外の者として生きようとするのは、out of date。
もう時代に合わないんだ。そのあり方は、どんな面からも効果がない。
わざわざ、流れに逆らって泳いで苦しむようなものだ。
その流れはますます激流となって、抵抗し難くなっていくだろう。

あなた自身である以外に、解決策はない

人によっては、自身の人生にとって重要な決断や、転機となる出来事を経験しているかもしれない。
このとき、かつての自分であれば選んだであろう「根本解決にはならない、楽な道」に目を向けることは「自らの首をしめることである」と、シンプルに認めよう。
もしあなたが、どうしてもそちらを選べなくなった自分を発見したら、祝福に値することだ。

この場合の「楽な道」とは、もちろん、本当の「楽」ではない。
分離を信じている「人間」としての自己が、錯覚している「楽」のことだ。

安全でないものを安全だと信じ、
最も安全なものを恐れに変換してしまう、制限された自己の目による錯覚。

あなたは今まで、あなたを「救う」ガス抜きや一時しのぎを経験してきた。
束の間、心が安らぎ、人生は悪くないものだとそのときばかりは思えるような種々の解決策になじんできた。

しかしそれは、あなたの人生を根本から変えはしなかった。

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