薄らいでいくことと存在のよろこび、コミュニケーションの姿勢の変化
旧人格の好みや関心が軒並薄らいでいって、これは再誕生というよりはリセットだ。無になっていく感じなのだが、それは充実した無。虚ではなく実。
現象として・形としての何かがその充実を提供するのではなく、自身の内が、何もなくとも充実している。これを「存在の充実」と呼ぼうか。
前回記事◆「何もしないを見守る春【あなたの価値】」を書いて以降もそこで述べた通りの意味での「何もしない」は続き、そうするうちに現象面では自分の日常に、感動したり驚いたりするような出来事があった。
それらのどれも