見出し画像

勝手に10選〜イカす90年代 男性邦楽編(後編)〜

(前記)
張り切って後編に入る。

・everybody goes〜秩序のない時代にドロップキック〜
1994年にMr.Childrenのシングルとして発表され、後にアルバム"BOLERO"に収録された曲だ。

1985年に高校の同級生であった桜井和寿さんと中川敬輔さんと田原健一を中心に前身のバンドBeatnikを結成し、翌年にバンド名をTHE WALLSに変更する。

1988年にソニーのコンクールに出場する際にドラムが脱退し、中川さんと田原さんの中学校時代の同級生で他のバンドにて活動をしていた鈴木 英哉さんが加入し、現在に至るメンバーが揃った。

1989年にバンド名がMr.Childrenとなる。
その後は地道にライブ活動を続け、メジャーデビューの話が舞い込み、1990年よりメジャーデビューに向けたレコーディングが始まる。

1992年にアルバム"EVERYTHING"にてメジャーデビューを飾ると、1994年にに発表したシングル"CROSS ROAD"でブレイクし、同年発売のシングル"innocent world"でミリオン、オリコンチャート1位を獲得し、やはり同年発売のシングル"Tomorrow never knows"ではダブルミリオンを獲得し、以降は今日まで続くモンスターバンドとなったのだ。

この曲は7枚目のシングルだ。
ライブで盛り上がる曲を、とのコンセプトで作られた楽曲で、なるほどゴキゲンなロックである。
構成はAメロ、Bメロ、サビ、間奏とシンプルで、突き抜けるロックだ。

歌詞は仕事、家庭、夢などの日常に潜む表裏を強烈に皮肉った過激な内容だ。
だが、桜井さんの爽やかなボーカルにより、このゴキゲンな曲と融合すると実に痛快なロックになるのだ。

・イージュー・ライダー
1996年に発表された奥田民生さんのシングルで後にアルバム"股旅"に収録された曲だ。

奥田民生さんは、中学生の時から、ギター、バンド活動を始めた。
1986年に川西幸一さん、手島いさむさんを中心にユニコーンが結成され、同年に1度断るも、2回目の勧誘でユニコーンに加入した。

結成から実に3ヶ月でCBSソニーのオーディションに合格し、1987年にアルバム"BOOM"にてメジャーデビューを飾る。

1989年に発表した"大迷惑"にてブレイクし、幾多の名作を世に送り1993年に解散する(2009年に再結成)。

そして1994年に"愛のために"でソロデビューを飾り、同曲でいきなりミリオンセラーを叩き出し、以降はプロデュースも行い、自身も名曲を連発している。

そんな奥田民生さんの6枚目のシングルが同曲だ。

ドラム、ギター、キーボードのイントロから、前奏は実に広大な雰囲気で実に気持ちが良い。
曲の構成はシンプルにAメロ、Bメロ、サビ、間奏だ。

Aメロはのどかな雰囲気でメロディが美しく民生さんならではの雰囲気で、Bメロは更にのどかにサビを待つ。
そして、Bメロを緩急にして実に心地よく疾走感に溢れるサビへ突入する。
素晴らしいサビのメロディラインで着地点が独特な事でこの曲に独創感を与えている。

題名なのだが、昔のいわゆる業界語で、数字を数える時にC(ツェー)、D(デー)、E(イー)、F(エフ)、G(ゲー)、と続く音楽のキーを1、2、3、4、5に当てはめると、例えばツェーマンだったら、1万、ゲージューだったら50、デーセンであれば2千となり、題名のイージューは30となり、映画の題名をもじってイージュー・ライダー、すなわち30歳のライダーとなる。

歌詞は、人生という道を走るライダーが30歳という節目を迎え、青春と大人の間で自由とは、という感じだろうか。
捉え方は聴き手次第なのだ。

この曲を聴いていると、その時のセールスだったり順位などは関係なく、時を経て、真の名曲とは歌い継がれるものだ、と実感する。


・赤いタンバリン
1998年に発表されたブランキー・ジェット・シティによるアルバム"ロメオの心臓"に先立ちシングルカットされた曲だ。

1980年に名古屋にて、ギター&ボーカルの浅井健一さん(以下ベンジー)がベースの照井利幸さんがスキャッズというバンド活動をしていた。

やがてスキャッズが解散をしてベンジーが単身上京する。既にドラムの中村達也さんは既に名の知れたドラマーであった。

中村達也さんがドラムを担当するバンド、F.O.A.D.を手伝いながら、自身のバンドを模索し、ドラムにゴーストさん、ベース名古屋でボロボロになっていた(本人談)照井利幸さんを名古屋まで迎えに行き、ギター、ボーカルがベンジーのメンバーでブランキー・ジェット・シティが結成された。

1987年に、その演奏を見た中村達也さんが、俺が叩くわ、との事で、ドラムが中村達也さんとなり、デビューから解散までのメンバーに落ち着いたのだ。

1990年に達也さんの提案で、イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)に出演し、グランドイカ天キングとなり、東芝EMIと契約した。

1991年にアルバム"Red Guitar And The Truth"にてメジャーデビューを飾る。

その後もブランキーの世界観を軸をブラす事なく探究、追求し続けて、ロックの名曲を生み出し続け、2000年に解散する。

曲はベンジーの実にイカしたギターのストロークから曲は始まり、そのままベンジーが歌い始め、サビの瞬間からドラム、ベースが加わる。

歌詞はストレートに愛を語る。実に歌詞が素晴らしい。"流れ星1個盗んで 目の前に差し出した時の顔がみたい"など、イカしたフレーズのオンパレードだ。
ベンジーの世界観が存分に発揮されている。

この曲の更に素晴らしい魅力は構成にもある。
構成はAメロ、サビ、Bメロ、間奏から成るが
パートの構成、組み合わせ、順序が実にクールなのだ。
間奏のベンジーによるギターソロも最高に世界観と相まって実に気持ちが良い。

1000回聴いても飽きない大名曲なのだ。

・HONEY
1998年にラルク アン シエルのシングルとして発表された曲だ。

ラルク アン シエル(以下ラルク)は1991年にベース担当のtetsuyaさんを中心にhydeさん(当時はhide)、ドラム担当のperoさん、ギター担当のhiroさんにより結成された。

1992年にギターのhiroさんが脱退し、ギターとしてkenさんが加入し、同年末にドラムのperoさんが脱退し、1993年1月にsakuraさんが加入(しかし、1997年に覚醒剤取締法にて逮捕され、同年10月よりドラムはyukihiroさんとなる。)する。

地道にバンド活動を継続し、1993年にファーストアルバム"DUNE"をインディーズから発表し、インディーズのチャートの一位を獲得し、1994年にシングル"眠りによせて"にてメジャーデビューを飾り、その後も名曲を連発している。

本曲はラルクの10枚目のシングルとなる。

実にタイトでストレートなロックだ。
ラルクはシンセ、オーケストラなど多様なアレンジの多いバンドであるが、本曲はギター、ベース、ドラムのみであり、オーバーダビングもほぼ無しなのだ。
このシンプルなロックにより、ラルクの芯のスキル、グルーヴ、世界観がストレートに伝わってくるのだ。

構成はAメロ、サビ、間奏、ミドルエイトから構成され、そのパートの配置も実に素晴らしい。

歌詞は散文的だが、イカしたフレーズのオンパレードで、自身に葛藤しながらのラブソングの印象であるが、とにかくフレーズがカッコいいので、あとは聴き手の解釈でよいのだ。

実にイカしたタイトかつストレートなロックにおける名曲だ。

・今宵の月のように
1997年にエレファントカシマシのシングルとして発表され、後にアルバム"明日に向かって走れ-月夜の歌-"に収録された曲だ。

エレファントカシマシのボーカル、ギターであり作詞作曲を手掛ける象徴的な存在である宮本浩次さんは、小学生の時にNHK東京児童合唱団に所属しており、当時から抜群の歌唱力で、なんと1976年にNHKみんなのうた"はじめての僕デス"でソロデビューを飾っているのだ。

1981年、中学時代にドラムの冨永義之さんが中心となりギターの石森敏行さんとエレファントカシマシは結成され、宮本浩次さんが加わり、最初は6人編成のバンドであったが、メンバーの脱退があり、1986年にベースの高緑成治さんが加入し、現在に至るまでのメンバーが揃った。

コンテスト出場、ライブ活動を地道に行い、1998年に発表されたシングル"デーデ"とアルバム"THE ELEPHANT KASHIMASHI"にてエピックレコードジャパンからメジャーデビューを果たす。

しかし、1994年に7枚目のアルバム『東京の空』を発表した後にエピックから契約を解除されてしまう。

そして地道にライブ活動、創作活動を継続し、1996年にポニーキャニオンからシングル"悲しみの果て"を発表し、再デビューを果たす。

この曲は、そんなポニーキャニオン時代の1997年に発表されたのがこの曲だ。
バンドにとってドラマの初となるタイアップであり、その内容に沿って制作された。
実に勢いと力強いアコースティックギターのストロークにのせた宮本さんのボーカルから幕を開ける。

実に深みと切なさの中に光を見いだす様に素晴らしい世界観を持った曲だ。

構成は、Aメロ、Bメロ、サビの王道からなり、肝となるのはBメロだ。演奏も深みと激しさを増し、実にレンジの広い宮本さんのボーカルが冴え渡り、Aメロ、そして素晴らしいメロディラインを持つサビへの見事に緩急のついた橋渡しをになっている。

葛藤しながら素晴らしい明日を信じる、素晴らしい歌詞が曲の世界観に融合した大名曲なのだ。

(後記)
自身がリアルタイムで経験してきた邦楽に対しての熱量が大き過ぎる為、大作となった。

良い事でもあり、もう少しタイトに出来たかな、と思うが、色んな意味で勉強になったのは間違いない。
もっともっと素敵なロックは90年代にも存在する。

90年代編も続編を是非やってみたい。

読んでくださった方々へ
ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?