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カップル間の温度差が過ぎる

こにゃにゃちは。
静香・ランドリーです。

我がパートナー(カメルーン出身)のD君は、パッションの塊。
タヒチのチョーポーで起きる”ビッグウェーブ”並みに愛情表現が激しい男であります。
それに比べて筆者は、さざ波すら立たない”ため池”。
ハグをされようとも、キスの嵐を受けようとも、これといった反応を示さない女。

愛情表現が違うんです。

筆者にとって、相手の身の回りの世話をすること、それすなわち「愛しております」なワケです。
決して『好きじゃー!!!!!』と連発したりしません。
テキストの締めは、必ず『LOVE U』なのですがね。

彼のようにパートナーの前でラヴソングを歌ったり(踊ったり)しませんし、目が合う度にギューしたりチューしたりしません。

きっとD君には物足りないでしょうな。

しかし、彼は同等の愛情表現を求めたりしないのです。
そこがすごい。

酔っ払った時だけは、「愛してる?ねぇ愛してる?」と聞きまくる彼ですが、普段はひたすらGIVEに徹します。

こちらが何も返さなくても、不満ひとつ言いません。
薄い反応を責めることもありません。

そこが、筆者の惚れ込んだところでもあります。

『人は人で、自分は自分』と言う哲学を持っていて、無理に相手に合わせることも、相手に合わせてもらおうともしない。

「ボクは行動や言動に出ちゃうタイプだけど、Momはそうじゃないから」

と、気にもしていない様子です。

「Dはメンタル強いねー」
と感心していたのですが、
「Momがボクのこと愛してるのは知ってるから別にヘイキ〜」
ときたもんだ。

しかしね。

味の好みが全く違うパートナーのために調味料を買い揃えていること、カメルーン生まれの硬い肌が乾燥しないように保湿クリームを厳選していること、日用品の全てに母国語でラベルを貼っていること。
他にもいっぱい。
筆者なりの気遣いを、D君は見てくれています。

彼にとって、”ボクのためだけにやってくれてるんだね!”と言う事実こそが、最大の愛情表現になるそうです。

近しい友人は、「やっぱ外国人の旦那さんって良いよね。愛情表現があるから羨ましい」と言うのですが。

これって、例えば日本人同士のカップルでも同じじゃないかなぁと。

与えられないものに目を向けて「足りない」と思うのではなく、与えられるものに目を向けて「嬉しい」と思うこと。

こと恋愛に関しては、(”ないものねだり”とはよく言いますが)実は十分足りているはずなのに、もっと!もっと!と欲をかいてしまう・・・。

じゃあ、欲はどこからくるのか?

それってやっぱり、周囲の言葉だったりしてね。

「え、それって大丈夫なの?」
「ウチはちゃんと〇〇してくれるよ、それが普通じゃない?」
「何それ、都合よく扱われてるんじゃない?」
「ぜったい大切に思われてないって、別れた方が良くない?」

なーんてね。
他人ってね、ホント無責任です。

恋愛関係なんて、課金性じゃないんだよね。
自分が与えるものと全く同じ形でお返しを求めるのは、不毛じゃないかなーと思います。

・・・何の話だったっけ?

まぁ、つまるところ。

『愛されているか不安』とか、『大切にされているか不安』とか。
他人やメディアの物差しで測るのは意味がないですよねーってお話です。(多分ね)

そういう不安の根底にあるのは、結局は”自身のなさ”だったりしますから。

心の持ちようで、物の見方って変わりますもの。

・・・って価値観を、カメルーンから来た男に教えられた筆者なのであります。

では、アデュー。

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