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ザ・加藤伸吉・アンソロジー(2)少年時代を振り返るの巻

すみません、思ったより間隔空いてしまいました。加藤伸吉インタビュー第2回。今回は漫画家を目指すようになった少年時代を振り返ります。が、まずは最初に近況のご報告から。

未見の方はぜひ第1回からどうぞ

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*加藤伸吉、ショップを始めます*

大須賀:加藤くん、お店の準備はどう?

加藤:昨日、やっと契約が終わったんですよ。

トキタ:おおー!おめでとう。いつオープンなの?

加藤:ゆっくりやろうと思ってる。すごく広いんですよ。ゆっくり準備しつつ、いつが正式な開店日なのか分からない感じでぬるぬるっと始めていこうかなと。

大須賀:加藤伸吉のアーティストショップ+セレクトショップという感じなんだよね?

加藤:そう。自分の原画とかと一緒に、色々なところで買い付けてきた雑貨なんかを売っていこうかと。地域のアーティストや作家の作品とかも。レコードも並べるよ。僕の部屋がそのまま店になってるって感じ。すごく歴史のある立派な商店街なんだけど、今じゃ寂しくなってしまってるので、周りの店の人たちがとても喜んでくれているみたい。なんか友だちいっぱいできるんだよね。商店街のイベントにも、もちろん参加しようと思ってて。

大須賀:いい話だねー。むちゃくちゃ楽しみだね。この店のことがそのまま漫画になりそう。なんか子ども時代の夢だよね、そういう店。

加藤:うん。なんかねー朝起きて「あーそうだ、おれ店出すんだっけ」って。第二の人生だ!って感じ。

*ウルトラマンの背中のジッパーまで描いた*

大須賀:さて、そんで、前回の最後に、漫画家になろうって決めたのはの小学生のときで、そのころからすでに自分の絵を探してた、っていう話を聞いたんだけど。加藤くんって、最初から描けたの?

加藤:うん。なんか、描けたね。小さいスケッチブックを買ってもらって、それに描いてたら、うまいね、うまいね、って言ってもらえるから。それで自分の存在価値を見出したのかな。褒められるんで、うれしくて描いてた。

トキタ:あ、僕もそう。白い画用紙と筆記用具を手に入れるのが一番うれしかった。それで、褒められるからうれしくてまた描くんだよね。漫画家になりたかった、じゃなくて、なると思ってた。

大須賀:そう、中学生のころ、トキタ絵うまいなーって思ってた。

トキタ:そのころ住んでた街には漫画家がいっぱい住んでて。漫画家の仕事場に遊びに行ってたりしたんだ。それで、その漫画家さんに石ノ森章太郎先生の『マンガ家入門』をもらったんですよ。それで漫画家としての勉強をしだすの。スクリーントーンっていうのがあるんだ、とか。

加藤:それは王道だねー。

大須賀:絵って、描けるひとは最初から描けるよね。僕はまったく描けないんだけど。描ける人って、描けない人がなんで描けないのか、わからないんだよね。何かの才能があるっていうのはそういうことなんだなって思う。自分の最大の特技って、自分では当たり前に出来ちゃうから、それが自分の最大の武器だって気付いてない、みたいなことがあるんだよね。

加藤:そういう意味では、子どものころ快感だったのが、おれはウルトラマンとか一回見るとすぐ描けちゃう。今見た仮面ライダーの怪人とかも描けちゃう。

大須賀:そのころはもちろんビデオもないから、その時1回見た記憶だけで描けたってこと?

加藤:そう。がーっつり見て。そうすると、入っちゃうんだよね、腕に。中でも、自分でもこれはやったな!と思ったのは、「ウルトラマンが怪獣に羽交い絞めにされて前にがっくり頭を垂れている」という絵を描いた。そしたらすごい手ごたえがあった。ウルトラマンの後頭部描いたら、絵がこっちに寄ってきたんだよ。2Dじゃなくて3Dで。線じゃなくてモノになった。それが、感じ出たなーって思ったいちばん最初の体験。小学校低学年。ウルトラマンのうしろのジッパーも描こうと思ったからね。あと、仮面ライダーの、見えちゃってる首とか。そういうところ描かないと、感じが出ないの。

大須賀:それは見てる時の集中力もそうだけど、そもそも見方が普通の子と違うんだね。ウルトラマンが負けちゃうーっていうんじゃないんだね。

加藤:そうだねー。おれは、後で絵にして自分のモノにするために見てたんだよね。変な見方してたよね(笑)

まきた:それ、「POOL」で加藤くんが描いてくれた漫画の内容そのままだね。

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POOL:1986年、トキタ、大須賀が友人たちと作った同人誌。そのメンバーはいまも漫画家、音楽ライター、音楽ディレクター、ミュージシャンとしてそれぞれ活動中。音楽評論、デビューした同級生バンドのインタビュー、アマチュアバンドのライブ評などに合わせ、デビュー前の加藤伸吉も寄稿。全く販路が無い(というか流通の方法を知らない)中、1つ1つ書店を回って置いてもらったものの、あえなく創刊号で廃刊。書店主に「表紙が1色で英語だけって…ダメだよ…誤植あるし…」と怒られたのも懐かしい話。(おぉ、これ、冒頭ジョン・レノンとプリンス。まさに今月この人たちの新ベストや再発盤が出て、原稿書いたりしてる。すごい巡りあわせ。:大須賀)

大須賀:あぁ、そういえばそうだ!あれは今となっては、デビュー前の貴重な原稿だよね。

加藤:デビュー直前だね。特撮の飛行機がピアノ線で釣られてるのを見つけたら、おやじに怒られた話(笑)

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*三つ子の魂百まで、的な*

大須賀:ところで、記憶の中で、一番最初に好きになった他人の創作物って何?漫画でも歌でも絵でも

加藤:最初に興味を持ったのは実写版のテレビの「光速エスパー」。ヘルメットとボディスーツみたいなやつの、青くてテカってたあの色と質感。あれにやられた。今でも影響残ってると思う。あのテカテカを描きたいっていうね。

トキタ:これ1967年放送だから、1歳になるかならないかだね(笑)

加藤:じゃあさすがに再放送見たのかな。いずれにせよ仮面ライダー以前。

光速エスパー:東芝が「サザエさん」の前にマスコットとしていたキャラクター。加藤の言う「ヘルメットとボディスーツみたいなやつ」は、設定上は『強化服』という呼び名。あさのりじのキャラクターデザインが好評を博し、あさのりじ本人により漫画化。1967年にテレビドラマ化された。その後松本零士が新たに連載漫画とし、さらに大人気となった。

大須賀:それって、なんで描きたくなるんだろう。

加藤:なんだろう…着たいんだけど、着られないから、着る代わりに描いたのかなぁ。

大須賀:トキタは?

トキタ:僕はケロヨン。

加藤:あ、おれも好きだった!

トキタ:すごく好きで、ピクチャーレコード買ってもらった。

ケロヨン:日本テレビで放映された『木馬座アワー』のコーナー『カエルのぼうけん』の主人公キャラクター。プロデューサーは著名な影絵作家の藤城清治。70~80年代にかけて大人気で、ミュージカルになったほか、多くのキャラクターグッズがつくられた。

大須賀:少し長く話して良い?僕はミュージシャンとかアーティストになりたくてなれなかったから、なれる人となれない人の差はなんなんだろう、って考え続けて生きてるわけ。で、結論としては、作家・創作者として生きている人っていうのは、努力や経緯でそうなるんではなくて、そう生まれてきてるんだなっていう。もちろん彼らが努力してないって意味でも努力は意味がないってことでもなくてね。そう生まれてきている、逆に言えばほかの道はなかった人たちだと思うんだよね。

で、トキタがケロヨン好きで、何を買ってもらうかって、関連グッズは色々あるのに、レコード。かなり珍しいと思うよ。1つ選べって、ふつうレコード選ぶ?(笑)。
だからほら、そこで道が分かれてるんだよね。何かを好きになったときに、加藤くんは描く。トキタくんはレコード買う。で、僕は、見て、面白かったなー、なんだよ。で、どこがどう面白かったのかっていうのを言葉で反芻したりする。だから最初っから消費者目線のレビュワーなんだよね。
なので、やっぱりその時点で…

加藤・トキタ:確かに!おれたちは最初から作り手側なんだね。

大須賀:うん。ふたりは作品を自分の側に引き寄せて、持ってくるんだよ。僕は作品のこちら側で見てるだけなんだけど。

トキタ:子ども時代の話、終わらないなぁ。次回、さらに続きをやりましょう。

<つづく>

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