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弱みがふえることは弱くなることじゃなかった

子どもを産んで、弱みが増えた

子どもを産んで、弱みが増えた。

子どもが熱を出しただけで、胸が締め付けられる。にこっと笑えば、脳天を可愛さが突き抜ける。

おろおろしたり、きゅんきゅんしたり、カッカしたり。随分と心が忙しくなってしまった。

子どもが死ぬ話をみれなくなった。子どもが傷つくのもつらい。泣くのもあまりみたくない。
世界にはそういうこともあるのだとわかっていても、今はまだ耐え難い。

自分の心の柔らかい部分が、面積を広げている。

元々涙もろいのに、こんなにやわくなって大丈夫かと、我ながら心配になる。

子どもはわかりやすく今の私の弱みだ。
ここを突かれたらとても弱い。

この子が傷つけられるくらいならば、人殺しでもできてしまいそう。自分は冷たい人間だと思っていたので、こんな感情が芽生えるなんて想像だにしなかった。 

弱みがあるなりの人生


弱みは少ない方が良いと思っていた。不確定要素は少なく、身軽な方が生きやすいだろうと思ってもいた。

それが今ではわかりやすい弱みを愛おしみ、弱みと手を繋いで歩いている。

気づいたのは、弱みがあるならあるなりに、工夫して生きるということだ。

自分の体力の限界を知った。主婦としての私は相当手抜きをしている。夫婦のチームワークは、以前より高まったかもしれない。出来ないことも多いけど、どうしてもやりたいことは交渉してやらせてもらう。仕事では色々なことがあったけど、少しずつ経験を取り戻しつつある。

正直に言えば、子どもを持つのはこわかった。
女にとって、過酷すぎることだと思っていた。

実際過酷ではある。最初は想像以上の大変さにしっちゃかめっちゃかになったけれども、子どもも育ってきて、私も少しだけ慣れてきて、今とても日々が楽しい。

重荷を背負うのも悪くないかなって

結婚するとも子どもを産むとも思っていなかったから、なぜこうなったのか自分でもよくわからない。しかし、異次元のいとおしさに触れる日々はしあわせだ。

子どもがすやすや眠る横顔のまるみを見るたびに、なんじゃこりゃ奇跡か!と感動する。

毎日眺めていればありがたみも減りそうなのに、毎日毎回、見るたび「奇跡」なのである。

弱みができて、不自由も増えて、理不尽と出会うことも増えた。まだまだ男も女も色々と改善の余地があると思う。けれど、こんなに面白くて大変で骨が折れて愉快なこともそうそう無いな、と思うのだ。

何かが上手く噛み合ってきたのだろうか、3歳を迎えた頃から、子育てが楽しくてたまらない。

そして私は、子を育てる責任や物理的な重みも、それなりに心地よく感じる程には、なにやら強くなっている気がするのである。

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