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「ママ遊ぼう!」「ちょっと待ってね」の悩み

「ママあそぼう!」
「ちょ、ちょっと待ってね」

こういう会話が最近多いのが悩みだ。

帰宅して手を洗ったら

「ママあそぼう!」
「ちょっとご飯用意するから待って」

夕飯を食べ終わったら

「ママあそぼう!」
「お皿洗ってからでいいかな……?」

食器を洗ったら

「ママあそぼう!!」
「ちょっとお風呂沸かしてくるから待ってね」


そんなこんなで、結局あまり子と遊べないまま、慌ただしく日々が過ぎていく。

もちろん、家事の合間を縫って一緒に遊んだりもする。けれども、「待ってね」と待たせている時間の方が圧倒的に長い気がしてしまうのだ。

ヘリコプターペアレント」の悪影響は広く知られるようになった。
常に子供のまわりをホバリングするような過保護、過干渉な親のことで、子の自主性が育たない、自己肯定感が低くなる、問題行動のリスクが高くなる等の影響を及ぼすといわれている。

一方、ネグレクトもよくないわけで、無関心なのではなく、適度な距離を置いて見守る「放任」の子育てがいい、という声もある。

確かに我が家でも、私がバタバタしていることで息子が空白をどうにかしようと工夫している姿がみられる。

それは塗り絵だったり、折り紙だったり、レゴだったり様々だけれど、何かを作り始めると息子の集中力はすごい。これは小さい時から保育園の先生にもよく言われた。

息子が集中モードに入ると、私も安心して家事に取り組むことができる。

おそらく息子は手先が器用で、道具を使うのが上手く、立体感覚に優れており、デザインがかっこいいものや、自分の体の大きさぐらいあるものも作れる。
結構クリエイティブなタイプなんじゃないかと思う。

そういう息子の長所が発見できたのは、私があまり構えないからかもしれない。暇な時間があることで、息子の創造性が伸びているのかも。こじつけっぽくもあるが、そう考えると、バタバタしているのも悪いことばかりではない。

とはいえ、やはりどこか罪悪感がある。

一体これは何なんだろう。

私の中になんとなく「理想の母親像」があって、その理想の母は、働いていても常に心に余裕があり、子の話はいつもきちんと聞いて、なるべく要望に応え、子どもの情緒も安定しており、それでいて家の中はいつも整っている。

いや、ないな。
どこの超人やねん。
少なくとも、私には難しい。

そもそも「なるべく子の要望に応える」が必ずしもいいこととは限らないのは、先ほど書いたとおりだ。

ようするに”いい塩梅”が大事なわけだが、そのいい塩梅がどんなものかは誰も教えてくれないし、子どもの気質によって個人差もある。

結局のところ、完璧にはできない、自分も試行錯誤するしかないと覚悟のうえ、柔軟に、臨機応変にやるしかないのだろう。

若干完璧主義の気があって、勝手に自分を追い詰めがちなので反省したい。

ちなみに、バタバタな日々のなかでも、子ども通じ合っているような、心がほこほこする瞬間は多々ある。

ふとした時に目が合って、「今日もかわいいね~~~~」とほっぺをふにふにしたり、ちょっとしたスキンシップを取っているときは、たぶんお互い幸せな気分になれているんじゃないかと思う。

お風呂につかっているときは家事からも解放されているので、手で水をとばしたり、今日の出来事を聞いたり、息子のごっこ遊びに加わったりと、いくらか「一緒に過ごす時間」をやれている気がする。

興味があるときは、洗濯物を畳むのを手伝ってくれたり、果物を切りたがったり、家事を一緒にすることもある。気を遣わせたかなと思いつつも、息子のやり遂げて誇らしげな姿を見るのはこちらも楽しい。

なんとかこれらの積み重ねで、息子を孤独にせずに済んでいたらいいのだがと、寝顔を眺めながら願うばかりだ。

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