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サンタ業に罪悪感があったけれど、サンタクロースを楽しめる時間は短く尊い

クリスマスを理解できるのは、どうやら4歳頃かららしい。

「サンタしゃんにね、こうそくどうろお願いしたの!」
「サンタしゃん来た!?」
「あれ〜まだかぁ」

朝目覚めては、サンタクロースからのプレゼントを探す4歳3ヶ月の息子。昨年までは見られなかった光景だ。

サンタが来る日の認識はまだ曖昧だけれども、「クリスマス」には「サンタさん」なる存在が「願ったとおりのプレゼント」を持ってやってくるということは、いつの間にか理解したようだ。

0歳からプレゼントを渡していたけれど、昨年まではまだ「クリスマス」なるものをあまりわかっておらず、親が一方的に楽しむ行事だった。

それが今年は「サンタさんには(トミカを走らせる)高速どうろを頼んだの〜〜」と語り、通りすがりの家の出窓に飾ってある置物のサンタにむかって「サンタしゃん、サンタしゃん、こうそくどうろ、くださ〜い!!」と手を合わせるほど。

あぁなんとかわいらしい。そしていじらしい。 
そしてちょっとだけ、はずかしい……(レプリカだとは、わかってるのね!)

本当は場所を取るのと掃除のたびに動かすのが大変なので高速道路は避けたかったのだが、ここまで心待ちにされては仕方ない。望み通りのプレゼントを用意した。

「あ!!」
「みて、なんかある!!」
「やったーーーー!!!」

と、クリスマス当日、飛び起きて喜ぶ息子の姿に、私も夫もとても幸せな気分になった。

🎄🎄🎄

ところでサンタクロースの真実を知ったのは何歳くらいだっただろうか。私は小4だった。

個人差がありそうだが、小学校中高年と考えると、10歳前後。今はなんでも検索できる時代だから、どんどん早くなっていくのかもしれない。長めに見積もっても、サンタクロースを満喫できるのはあと5〜6回といったところか。

短い。
思ったより短いぞ。

サンタの真実を知ったとき、私は「なんで世間をあげてこんな嘘をつくのか」と少なからずショックだった。
親や世間を信じられる育ち方をしたんだなぁと今なら思うが、強めにいえば、騙されたような気分であった。

だから、サンタ業をおこなうに当たり、わずかながらも葛藤があった。いつか子どもをがっかりさせるんじゃないか。嘘つき、と思われるんじゃないか、と。

しかし、我が子がこんなにも毎日わくわく心待ちにし、飛び跳ねて喜ぶさまをみて、これは「いいものだなぁ」と、しみじみ感じてしまった。

これは、いいものだ。
いい夢だ、と思う。

人生はままならず、年齢を重ねるにつれ夢破れることも増えてくる。それならば幼き時期に、伝説のような存在を心から畏れたり、憧れたり、待ち望んだりする時期があってもいいのではないか。

そういうファンタジーな部分が、現実のシビアさから私たちをクッションのように守ってくれるのかもしれないじゃないか。

それに、彼(息子)のわくわくが私たちにも伝播して、とても楽しいクリスマスとなった。
夫なんか、「クリスマスってわくわくするね」とまで口にしていた。
このみんなのわくわくは、本物だ。
それはきっと、悪いことではない。

親になり、さらに子どもがクリスマスをわかる年齢になってあらためて、サンタクロースという幻のよさを知った。
サンタクロースを信じていた記憶があるということは、それを信じられる限られた時期に、きっちり親が夢を見させてくれたということだ。

それは、ありがたいことだったんだなぁ。

サンタクロースはいないと知ってショックだった小4の私が救われた気持ちだ。

幸い、サンタの幻影から覚めても、クリスマスは楽しい。いつもとは違うごはんに、キラキラの飾り、楽しそうな人々に、特別なプレゼント。
サンタ側になるのも、格別のよろこびがある。
来年のクリスマスも、浮き浮き楽しく過ごせたらいい。

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