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息子からみた世界
朝おきると、ママはもういない。
お仕事に行ったのだ。
朝ごはんはパパが用意して、パパと一緒に食べる。
それが終わったら、お着替えして、保育園。
保育園に行くときは、いつもパパといっしょ。
保育園では、みんなと遊んだり、公園に行ったり。
いろんな名前、肌の色、国籍のお友達がいるよ。
先生も、女の人もいれば男の人もいるんだ。
お昼には美味しい給食を食べて、しぶしぶお昼寝。
起きたらおやつを食べて、帰りの会をして遊んでいると、次々にお迎えがやってくる。
ぼくを迎えにくるのはママだ。
一緒にお家までダッシュして、ごはんなぁに?ってきく。
ママはいつも「ちょっと待ってね」ばかりだけど、一緒にご飯を食べて、遊んで、お風呂入って、遊んで、眠くなると寝る。パパはお仕事だから、夜は会えない。朝起きるといつのまにか隣で寝てる。
保育園がお休みの日は、パパと公園に行ったり、お買い物したりする。ママはお掃除してるんだって。
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時々、息子が過ごす「当たり前」の日々と、私の幼少期との違いについて考える。
私の母は専業主婦だった。
一番古い記憶は幼稚園くらいの頃だけど、登園する時一緒だったのは母だし、お迎えも母。朝ごはんもお夕飯も、ご飯を作るのはすべて母だった。
家事はすべて母の担当で、父は一切やらなかったと思う。
保育園の先生は全員女性で、外国籍のお友達や、両親が日本人じゃない友達に出会ったのは小学校に上がってからだった。
ちなみに父は朝起きると既に出勤していて不在。
残業嫌いだったので夕飯時には家にいたが、あとは一緒に金曜ロードショーや火曜サスペンスや土曜ワイドを観るとき以外は、机に向かって勉強していた半纏姿の背中が印象に残っている。勉強家だったのだ。長期出張も多かったので、子ども時代、父との思い出はあまりない。
そんな完全分業制だったので、母からすると、最近の男性が赤ちゃんを抱っこしてスーパーの出口で待っていたり、料理や洗濯を行うのは衝撃だそうだ。自分の子である私の兄が、子煩悩にやっていたり、家事をやっているのすら、見慣れない驚きの光景らしい。
さて、先程の文章の「パパ」「ママ」を空欄にしたら面白そうだ。
朝おきると、【パパ・ママ】はもういない。
お仕事に行ったのだ。
朝ごはんは【パパ・ママ】が用意して、【パパ・ママ】と一緒に食べる。
保育園に行くときは、いつも【パパ・ママ】といっしょ。
ぼくを迎えにくるのは【パパ・ママ】だ。
たまに保育園がお休みの日は、【パパ・ママ】と公園に行ったり、お買い物したりする。【パパ・ママ】はお掃除してるんだって。
おそらく、各家庭ごとの文章ができあがることだろう。おじいちゃん、おばあちゃん、シッターさん、おばさんおじさん、ファミサポさん、なんて回答もありそう。
今後は、単純に男女の壁が融解するとか、共働きが増える、というレベルではなく、ひとりひとり異なる多様な環境で育った子たちが出会い、ともに生きていくようになるんだろう。
それはそれで、結構たのしそうだ。
日本はまだ同質性の高い社会なのだろうが、それでも少しずつ変わってはきている。
夕方息子を迎えに行く道すがら、同じクラスの子のお父さんや、ご夫婦、多様な年齢・性別・国籍・服装の方々とすれ違いながらそう思った。
そういえば、保育園の送迎でもはや「パパ」は普通だけど、スーツ姿の人を久しくみていないなぁ。
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