見出し画像

泣くために観たい「男はつらいよ・お帰り寅さん」

(男はつらいよ・お帰り寅さんのネタバレ含みます)
映画を観るときの一つの基準として、周囲の友人たちの評価がある。
もちろんネットでの書き込みも参考にするが、実際に知っている人間の感想というのはイメーシがしやすい。
為人が分かっているからだ。
で、最近やたらと友人たちの間で評判が高い作品があった。
「男はつらいよ・お帰り寅さん」だ。
皆んなが皆んな「泣いた」と言う。
そりゃきっと素敵な作品に違いない。その思い込みによるハードル上げが良くなかった。

結果から言うと全く泣けなかった。
「男はつらいよ」と言う作品にどう言う思いを抱いているかがこの作品の評価の分かれるところだと思う。

自分はどっぷり70年代の寅さんブームの洗礼を受けた口である。
子供の頃から大好きな作品だった。
父親も寅さんの口上をモノマネしていたし、学校に行っても結構な子供たちが寅さんのモノマネをしていた。
あの主題歌がまた良かった。
つい口ずさみたくなる。
今回も観劇後、しばらくは主題歌が耳について離れなかった。
作曲家・山本直純の天才ぶりが伺える一曲だ。
80年代に入ってもそのブームは留まることを知らず、お正月ともなれば寅さんのかかっている映画館は超満員だった。
自分がよく足を運んだ上野松竹や浅草松竹は立ち見客でごった返していたのを覚えている。

が、その初期ファンが離れる現象が当時あった。
満男の恋愛物語である。
「あれ?寅さん観に行ったんだけど、昔みたいにあんまり活躍しないんだよ。甥っ子の青臭いガキの恋愛話なんか観たくないよ」
と言うのは92年の正月に寅さんを久し振りに劇場に観に行った父親の感想だ。
「え?今の寅さんってそんなんなってるの?」と思い、その後、テレビで見た感想は自分も同じだった。
満男のパート多すぎだろうと。
実際の吉岡秀隆氏を親子二代で知っている近所の大工の棟梁が
「そんなこと言わないで、応援してやんなよ。もう寅さんがきっとあんまり動けないんだよ」なんてことを言っていた。
そう言えば、その頃は観ている自分たちも「くるまや」のような状況だった。
近所のおじさんまで集まってワイワイやっていたっけ。
そんな人々も皆んな亡くなってしまった。

寅さんがいないのはわかっているので、今回の主役は実質、満男である。
そして新たに動き出した泉ちゃんとのドラマはかつてのように癇に障るものではなかった。
年月を積み重ねた重みと初恋に未だ心が囚われている2人の心がかなりリアルに描かれていた。
そもそも渥美さんがご存命だったら、劇中次作でこの2人は結婚していた筈で、それはそれで結婚していたはずの家庭生活を観てみたかった。

そもそも満男が今やマンション住まいで子供と2人暮らしなんていう設定が本当にリアルすぎる。
さらに隣の印刷工場はアパートになっている。これもまたリアルだ。
ものすごく良くできたドラマが展開されていくのだけれども、少なくとも自分は「寅さん」と名のついた映画でこれを観たくなかった。
間違いなく「男はつらいよ」の世界線の話なんだけれども。
できることならば、サザエさんのように、満男にはくるまやに住んでいて欲しかったし、その子供達や孫たちにとっても変わらない柴又であって欲しかった。現実が核家族化してしまった現代だからこそ。

過去の寅さんの名シーンをインサートしていく手法も悪くはないのだけれども、あくまで満男目線なので、生き生きとした寅さんは登場しない。
所詮、心象風景に過ぎないのだ。

この映画を楽しめなかった理由、それは自分が初期寅さんのファンだったからなのだろう。
あまりに時代が厳しいからこそ、破天荒な、生き生きとした寅さんが観たかった。

それでもこの作品に出会えて良かったとは思っていたりする。
タイトルが、宣伝方法がもう少し違っていたら、最初の期待もなかっただろう。

帰宅後、Amazonプライムで久しぶりに第1作を観た。
笑った。泣いた。これが劇場で味わいたかった。


(以下、個人的寅さんの思い出)
91年夏、とある映画の撮影で松竹大船撮影所に出入りしていた。なぜか自分のスタジオは入るのに別のスタジオを横切らないといけなかったのだが、その時、毎度通らせて頂いていたのが「くるまや」が組まれたスタジオだった。
申し訳ないので、視線を合わせないように、そこを通り過ぎていくのだけれども、山田監督やくるまやの方々が多くのスタッフの皆さんといらした。ナマで見る「くるまや」のセットは照明効果もあり、本当に綺麗だった。
その大船撮影所も今は女子大のキャンパスとなっている。
時代が去っていくのは寂しい限り。

よろしければサポートお願い致します。旅行記などを書く際の路銀の足しにさせて頂きます。