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松田優作「野獣死すべし」(11)


映画「野獣死すべし」 松田優作
日比谷公会堂の謎に包まれたクライマックス

ラストシーンで使われた階段

1980年版の松田優作主演
ラストシーンのロケ地は、日比谷公会堂の階段である。1929年に竣工した日比谷公会堂は、当時の建築技術の粋を集めて建設されたホールの草分けともいえる建物です。この公会堂を出たところで伊達邦彦は銃弾のようなもので狙撃され、階段に倒れます。そのシーンの解釈には諸説あります。準備稿と決定高を比較して考察してみた。

準備稿と決定稿

 日比谷公会堂の階段はラストシーンで使われた。映画には原作があり、シナリオが書かれて、準備稿ができ、ロケハンを経て、決定稿が出来上がる。更に現場で変わることあり得るのが映画の醍醐味だ。最終的にフイルムに収められた映像を試写で見て更に再考(取り直し)がある事もある。またリバイバルされる映画も多い。この作品もそうである。と言うわけで、原作の話を見てみよう。大藪春彦のデビュー作「野獣死すべし」の続編として昭和(1959年)三十四年に発表された長編小説私が生まれて2年目父の青春時代だ。大藪春彦の野獣死すべしである。
1974年(S54)に主演が藤岡弘で公開された二度目の「野獣死すべし」である

右側の広告に「青春の蹉跌」が載っている

1959年(S34)に大藪春彦のデビュー作「野獣死すべし」の続編として昭和三十四年に発表された長編小説には、伊達邦彦が一度徹底的に傷ついた人間が悪霊として生まれ変わった存在だとしている
野獣死すべし1959年昭和34年に
映画化第一作として製作された。東宝作品で監督が須川栄三、主演仲代達矢での公開が最初であった
野獣死すべし 復讐のメカニックが1974年に復讐篇として映画化された。製作が東宝で監督が須川栄三そして主演:藤岡弘。前にあげた新聞記事がそれである。

1959年昭和34年筆者2歳
1980年昭和55年

1980年公開の日本映画が大藪春彦の同名小説『野獣死すべし』の3回目の映画化作品。主演が松田優作で監督が村川透である。製作が角川春樹事務に変わっている角川春樹の人生も壮絶な生き様だがこの映画もその後またリバイバルされている。映画ではないが、オリジナルビデオの企画として、続編『野獣死すべし 復讐篇』との2本立てで作られた。伊達邦彦が横山やすしの長男の木村一八(タクシー運転手への暴力事件を起こしている。)で制作れている。現在まで何度もリバイバルされているこの映画のタイトル野獣死すべしであるが聖書によると詩篇に、

詩篇73-21-24

「わたしの魂が痛み、わたしの心が刺されたとき、わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった。けれどもわたしは常にあなたと共にあり、あなたはわたしの右の手を保たれる。あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。」(詩篇73:21〜24)と書いてあって主人公伊達心が魂が打たれ傷つき獣のようであったが、救われるという趣旨のものだが、別の文章で「野獣死すべし、しかし主の恩寵あり。神の栄光にあずかる希望あり。悟れ、悟れ、主の啓示を悟れ。神の言葉により悟りを得よ。
詩篇73篇21-25よりと書かれている文章を見たことがあります。これが獣は死ねんだという根拠になっている。野獣死すべしとは獣は死ねという意味だが、例えばクマが街に侵入した場合は駆除されることがある。そのとうり伊達は駆除されたのだろうか。聖書ではそうではないのです。やっぱり野獣は死すべきなんでしょうか。野獣死すべしという言葉が聖書に付け加えられたという疑念があります。黙示録の警告に書かれている言葉があるあえて現物を載せてみた。

黙示録22-18-19

上記の様に聖書が誤って理解されている五つ言葉が「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」「野獣死すべし」「復讐するは我にあり」「世界平和を祈ろう」「今の不幸は過去の縁にある」いずれも聖書を利用した言葉の可能性があります。偽預言者達が、宗教を使って人々を惑わせています。もしかしたらそれを行なっている本人たちも、気づいていないかもしれない確かに世界平和を祈ることは大切なことだと思う。しかし祈りとは何かを是非、聖書を読んで気づいていただきたいのです。

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