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紅く、さらに紅く

12月26日、中国では毛沢東の生誕130年を迎えました。
改めて説明するまでもありませんが、新中国の「建国の父」です。そして、習近平国家主席にとっては思想や統治手法の「モデル」となっています。
一本の記事で全てを網羅するのは難しいですが、14億の民が毛沢東時代への追憶を刷り込まれ続ける先に何が待ち受けるのか、少し考えてみたいと
思います。


消えた文化大革命への言及

そもそも、多くの日本人は毛沢東というと真っ先に思い浮かべるのは文化大革命でしょう。だからこそ、今の中国で「毛沢東礼賛が復活している」というニュースに接するとざわつくわけです。

ただ、中国では、国民党との内戦に勝利して今の中華人民共和国を誕生させた「国父」としての歴史がメインです。これは自然なことでしょう。
北京に駐在していたころ、中国の当局者たちとカラオケに行くと、ビールや白酒の勢いも手伝ってか、けっこうな確率でその人たちは「没有共产党、没有新中国(共産党なくして新中国なし)」という革命歌を高らかに歌ったものです。
その共産党のアイコンが毛沢東なわけで、彼の功績が前面に打ち出されるのは習近平時代より前からずっと続いてきたことです。

ただ、その中国共産党であっても、やはり文化大革命という新中国の大汚点を毛沢東が引き起こしたという負の功績は、認めてきました。結果、毛沢東の歴史的な評価はザックリいえば「功績8:悪事2」という感じでしょうか。

しかし。

今回の毛沢東生誕130年に際して、習近平氏は「記念座談会」で文化大革命に一言も触れなかったそうです。10年前の生誕120年では、「毛同志が重大な誤りを犯したことは否定できない」と認めていました。それが消えたことは、決して小さな変化ではありません。

人間、誰しも過ちを犯します。でも文化大革命級の過ちとなると、そうそうは起きないわけで、同様の地獄絵図を防ぐために後世にその歴史を伝えることが重要になるわけです。

それが、今回、習近平氏は文化大革命をスルーした。それは、毛沢東の神格化であり、自分をその毛沢東になぞらえることによる自らの神格化の試みといっても過言ではないでしょう。

神格化を後押しするノスタルジーとルサンチマンと無知

毛沢東の生まれ故郷は湖南省韶山(しょうざん)という市で、生誕記念日では銅像が立つ広場に大勢の信奉者が前日から集まり、午前零時に向けてカウントダウンをして130年を祝ったとのこと。まるで年越しイベントです。

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