「感情労働」=メンタル不調?
感情労働という言葉、聞いたことがありますか?
1970年アメリカで「感情社会学」という分野が登場し、肉体労働、頭脳労働の他に感情労働という概念が、社会学者アーリー・ホックシールド氏によって提唱されました。
サービス業など、いついかなる時でも笑顔を絶やさず、文字通り自分の感情をコントロールしながら業務に当たらねばならない仕事を指します。
1.接客業
2.客室乗務員
3.テレフォンオペレーター
4.看護師や介護士
5.教師や講師
こういった職業が当てはまります。もちろん、社内での人間関係でも、特に女性は感情労働を強いられるケースがあります。
なるほど、「感情労働」という言葉があるとわかりやすいですね。多くの企業が顧客満足度を競うようになり、大なり小なり感情労働が必要とされる業界や職種が増えています。
気持ちの良い対応、それ自体が報酬となる、
いえ、そういう対応ができないと、報酬を得ることができない、
そんな分野がこれからもっともっと増えていくことでしょう。そしてそれに伴い強いストレスをうける人が増えていくと言われています。
こうあるべきという理想の対応と、自分の中に起きる本音とのギャップに苦しむ人が多くなる、それは容易に想像できます。ウツなどメンタルヘルスの不調、バーンアウトと呼ばれる燃え尽き症候群などの多くはこの感情労働の負担から来ていると言ってもいいかもしれません。
組織として感情労働者をどう支えていくのか、という議論が多くなされています。
ストレス過多になってないかを早めに知るためのストレスチェック制度や、社内カウンセラーの配置、コミュニケーション研修や、バウンダリー研修など様々な研修制度。
私もかつて、接客業のストレスを改善する目的で、チーム内に「サンクスカード」なるものを流行らせたことがあります。名刺大のカードを用意しておいて、何か嬉しいこと、感謝したいことがあるとそれを書いて、相手に渡す、というただそれだけのことですが、これはかなり効果がありました。
今でも名刺の箱に頂いたカードがとってありますが、読み返すと、ほっと心が暖かくなります。
外でお客様との間で感情労働を強いられ、心が辛い時に、社内でサンクスカードを貰うと、それだけで、辛かった心が癒やされます。
ある会社では、週に20分、あえて愚痴を言い合うという時間を作っています。
5.6人のチームで、お客様のこと、家族のこと、なんでもいいので愚痴を言い合うわけです。共感しあったり、言ったことである程度発散できたり、など良い効果を生んでいるそうです。
でも、これって本当に抜本的な解決法なのでしょうか?
感情のコントロール=本音とのギャップ=ストレス過多=ウツなどメンタル不調、という構図。
これって前提がもしかして、間違ってないでしょうか?
もう何年も前からAIに仕事を奪われず生き残る仕事、それは「心」を使う仕事だ、と私は言い続けてきました。相手に対して心を傾けること、つまり簡単に言えば、本当に愛情を注ぐことだと。
感情労働が演技であるうちは、そのギャップに強いストレスを持たざるを得ません。
でも良い教師がそうであるように、本気の愛情が子供を育てる、どれだけ本気の愛情を持つことができるか、感情労働の本当の意味がそこにはあるような気がします。
そんなこと、キレイ事じゃん、という声が聞こえてくるのもよくわかります。
それができりゃ、苦労せんわ、とか。
確かに…
斎藤ひとりさんの「普通はツライ」というCDと本があります。
最初聞いたとき、度肝を抜かれました。
普通でいると、ツライことがずーっとつきまとう、いっそうのこと、さっさと”聖人君子”になってしまえばいいんだよ、という本(!)
先日の兵庫県知事選挙の、一連のニュースを見ていて感じました。
斎藤知事の「やっていません」が、もし本当に真実だとしたら、
徹底的にやられて失職という状況になったとき、もうやってられるか!と怒りをあらわにしていたとしたら、それって「普通だよね〜」
再戦で返り咲いたとき、一言でも恨み言を口にしていたら、それって「普通」ですよね。
でも彼は普通じゃなかった、そこが県民の心を掴んだんだじゃないかなぁ〜
今、本気で自分の心を育てる必要のある社会に突入しかけているんだと感じます。
感情労働をどうやって自分の成長に活用するか、という視点をもたないと、ただストレスから逃れる方法を考えるだけでは、方向性が違うような気がしました。