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浅倉大介さんは、90年代前半から「プレデビュー」の手法を上手く活用されていたのではないか?

今回の記事はaccessのキーボーディストであり、音楽プロデューサーの浅倉大介さんに関する記事です。

浅倉大介さん

浅倉さんは音楽ユニットaccessのキーボーディストとしてのアーティスト活動に加え、
音楽プロデューサーとしてT.M.Revolutionなどのプロデュースをされていますが、
accessとT.M.Revolutionには"ある共通点"があります。

それは
・accessのボーカリストの貴水博之さん
・T.M.Revolution
西川貴教さん
は、ともに
浅倉さんのソロアルバムに"ゲストボーカル"として参加してから、浅倉さんプロデュースでデビュー
されていることです。

(勿論
・貴水さんはHOTSOXや初期ソロ
・西川さんはLuis-Maryなどのキャリアがあるので"再デビュー"という形ではありますが…)

浅倉さんが90年代に行われていたこの手法は、昨今のアイドルなどで見られる"プレデビュー"という手法に近いのではないかと思い、この記事を書こうと思いました。

※この記事の構想自体はしばらく前からあったのですが、
・YOUは何しに日本へ?のaccess回
・貴水さん出演の雑誌「昭和50年男」
を拝見し"仕上げよう!"と決意しました。

今回の記事では、
・そもそもプレデビューとは?
・貴水さんと西川さんが参加された浅倉さんのソロアルバムの楽曲の解説
・それを踏まえて"なぜ浅倉さんの手法が現在のプレデビューに近いのか"

ということについて綴って行きたいと思います!


そもそも「プレデビュー」とは?

「プレデビュー」は、
グループを結成した後、正式にデビューするまでの期間に模擬的な作品を発表する」
という手法のことで、要するに「0thシングルのようなものをリリースする」という感覚に近いです。

近年のK-POPを中心としたアイドルグループやダンスボーカルグループによく見られる手法ですね。

最近は「オーディション番組からアイドルグループが誕生する」ことが多いので、デビューメンバーが決まった直後に、
オーディション用に作った課題曲をデビューメンバーで歌い直して、それをプレデビュー作品にする
という例も多いです。
(あくまで"簡易的に作れる作品を発表する"という側面もあるので課題曲をそのまま使うことで予算を浮かすことができます。。)

役割としては
・オーディション終了から正式デビューまでに少し時間が空くことが多いので、オーディションの話題性を保つために、グループを紹介する「お披露目作品」をリリースしてプロモーションを行う。
・更に楽曲配信やMVの再生回数などでの収益も発生させることが出来る
の2つが大きいです。

日本でも有名なプレデビュー作品だと、

・NiziU  「Make you happy」

・BE:FIRST 「Shining One」

などがあります!


貴水博之さんがゲストボーカルで参加された楽曲の解説

1992年当時の貴水さん

貴水さんは
1992年9月リリースの浅倉さんのソロアルバム「D-Trick」の収録楽曲にゲストボーカルとして参加された後、
2ヶ月後の11月に浅倉さんとのユニットaccessのボーカリストとしてデビューされました。

1992年9月2日リリース
貴水さんはボーカルとして
3曲に参加されています

度々accessのお二人は
お互いに
・貴水さん…歌えるけど曲が作れない
・浅倉さん…曲が作れるけど歌えない
だったんですけど、奇跡的に巡り会えて!

というお話をされているのですが、近年のインタビューでは、

貴水さん: ソロ歌手としてやっていたのですが、"曲が作れる強力なパートナー"が欲しいと思っていました。
元々TM NETWORKがロールモデルだったのですが、"TM NETWORKのサポートキーボードの方がボーカルを探している"というお話をいただいて、D-TrickのアルバムとLIVEに参加することになりました。
その後すぐユニットを始めることになったので凄いスピードで動き出して…。(意訳)

浅倉さん: 歌モノのソロアルバムを作る時に、自分が歌が苦手だったのでゲストボーカルを入れることになりました。
その中で知り合ったのが貴水くんで、「男性なのに歌声のレンジが高く、シンセの分厚い音の上に声が飛び抜けて聴こえたこと」が"新しい"と感じたので、「ユニットをやりませんか?」と声をかけました。(意訳)

と話されていました!


それでは楽曲を解説していこうと思います!

※D-Trickの貴水さんボーカル曲のクレジットは全て
・作詞:田口俊さん
・作編曲:浅倉大介さん
です!

①COSMIC RUNAWAY

この曲は1995年2月1日に
"浅倉大介 Pred. AXS"名義で
シングルカットされました。

この曲は「accessの0枚目のシングル」といっても過言ではない楽曲です。
accessが活動休止を発表した1995年4月7日放送の「ポップ・ジャム」でも最後に歌われました。
コーラスには宇都宮隆さん、葛城哲哉さん、阿部薫さんが参加されています。

楽曲としてはミディアムテンポの
accessのサウンドそのままだけど、プロトタイプっぽい
という雰囲気です。

シンセの音色、Bメロの転調、ギターソロが入る点などはaccessらしさがあるのですが、
accessとして正式始動した後の楽曲はもうちょっと高い音域を歌われているので、そのあたりはプロトタイプらしさを感じますね。

近年のLIVEではキーを上げてアップテンポにアレンジされていたりもします。

②1000年の誓い

この楽曲は貴水さんと女性アーティストの麗美さんによるデュエット曲です。
お二人がオクターブ違いで同じ音域を歌われています。

※この楽曲自体は昔から聴いていたのですが、今回の記事を書くにあたりクレジットを調べた時に
「麗美さん?…麗美さんってあの穴井夕子さんのアルバム"Sin"をプロデュースされた麗美さん!?」
と驚いてしまいました…。
(来週そのアルバムについての記事を出す予定です。。)

落ち着いた雰囲気のバラード曲なので、貴水さんが代名詞のハイトーンでは無く低い歌声で歌われています。貴水さんのレンジの広さが凄まじいです…。

accessのLIVEでは「客席のファンとのデュエット」という形で披露されています。
そのため、近年の貴水さんのソロ曲で「ファンとデュエットする楽曲」がリリースされた時、アククラの皆さんが
我々は昔から"1000年の誓い"のデュエットで鍛えられている
と仰られていたのが印象的でした(笑)。

③Toy Box In The Morning

80年代中期のAORのような雰囲気のミディアムバラードです。
コーラスには木根尚登さんが参加されています。

エレピの音色とシンセのストリングスアレンジが優しい曲調を作り上げています。
この曲は貴水さんの声の透明感が最大限に活きていますね。

また、個人的に「浅倉さんがご自身の音域をベースに作られた楽曲なのかな」とも考えています。

西川貴教さんがゲストボーカルで参加された楽曲の解説

1995年当時の西川さん

西川さんは1995年にアルバム「ELECTROMANCER」からの先行シングル「BLACK OR WHITE?」でボーカルを担当されました。
(accessは1995年初頭に活動休止しています。)

アルバムは1995年7月12日に
リリースされました

このアルバムを制作するにあたり浅倉さんはオーディションで何人ものボーカリスト候補に歌ってもらったそうなのですが、共通のヘアメイクさんを通じて知り合った西川さんを
歌声の"ビート感"や"ロックなグルーヴ感"がピッタリだった。破壊的に凄い。
とのことで採用されたそうです。

その後浅倉さんから
「"1年で東京ドームでLIVE出来るような曲を作るから!"
とプロデュースを持ちかけて、
西川さんは浅倉さんプロデュースでT.M.Revolutionとしてデビューされることになった」
と近年のインタビューで話されていました。

西川さんも貴水さんと同じく、
レコーディングに参加した後に、浅倉さんのLIVEにも出演されています。

それでは楽曲解説に移ります!

・「BLACK OR WHITE?」

1995年5月25日に
"浅倉大介 expd. 西川貴教"名義で
リリースされました

作詞は井上秋緒さん、作編曲は浅倉さんなのでT.M.Revolutionと同じ布陣です

歌詞は"相反するもの"をテーマに作詞されており、西川さんのロックで振り絞るような歌声も相まって
エレクトロニカであるものの、かなりロックな仕上がり
になっています。

浅倉さんはこの時から西川さんの声のパワーを邪魔しないようなトラックメイクをされていますね。演奏へのギターの絡ませ方やサビのリードシンセのフレーズは浅倉さんらしさが強いです。

また、「ELECTROMANCER」収録ver.とT.M.Revolutionのデビューアルバムver.ではMIXが変更されています。

その後T.M.Revolutionで2000年に再度リアレンジされてリリースされています。

その際、キーがかなり上がっているのですが、
西川さんご自身も「デビュー後に音域が全音で2音上がった」と仰っているので、それも踏まえたキー上げアレンジなのかと思われます。


総評

①なぜ浅倉さんの手法をプレデビューに近いと感じるのか

これはZ世代の僕から見てなのですが、
貴水さんと西川さんが、
浅倉さんのソロアルバムにゲストボーカルとして参加→正式に浅倉さんとタッグを組まれてデビュー
という流れが、プレデビューの
0thシングルのような作品をリリースしてプロモーションを行うことで話題性や収益を確保し、その後正式にデビュー作品をリリース
という流れに近いかと感じています。

もちろん
・正式にデビューが決まっている上でやっているプレデビュー
・一度ゲストボーカルとして起用して、相性を確かめた上で正式にタッグを組む

を比べると後者は「試運転」に近いかと思うのですが、
「アルバムにこの人がボーカルで参加します!」となった時点で貴水さんと西川さんの名前は売れていると思いますし、
CDを出している以上お三方全員にしっかり収益が入るわけなので、そのあたりも似ていると感じました。

また、90年代後半に浅倉さんのユニット「Mad Soldiers」プロデュースでデビューされたコタニキンヤ.さんも
「LIVE活動で下積みを積みながら、数回ほど変名でCDをリリースし、その後本人名義での正式なデビュー」
という形でデビューされたので、浅倉さんはプレデビューのような手法がお好きなのかもしれまさん。

②実は浅倉さんご自身もプレデビューのような形でデビューされていた!?

実は1991年リリースの浅倉大介さんのデビューアルバム「LANDING TIMEMACHINE」は、
数曲を除いて全曲TM NETWORKのカバー
という構成でリリースされました。

1991年11月1日リリース

浅倉さんは「デビューアルバムがカバーアルバムとなった理由」について、インタビューにて
「小室哲哉さんからの薦めでソロアルバムを作ったのですが、小室さんから

"方向性が定まっていない状態でいきなり全曲オリジナルで作っても聴いてる側も分からないので、
せっかくTM NETWORKのサポートで知名度があるんだから、それをきっかけに自分を知ってくれた人たちに向けてTM NETWORKのカバーでソロアルバムをつくったらいいんじゃないか?"


とアドバイスを受けたことがきっかけです。」
と話されています。

まさにこの小室さんの
既にあるもの(TM NETWORKの曲)を用いて作品を作り、デビューにあたり話題性と収益を得る
という手法がとても近年のプレデビュー文化に近いと感じます。

そのため、浅倉さんの中では小室さんから受け継いだ
「デビュー前にプレデビューのような形で試運転を行う

という手法がプロデュースを行う上での定番となっているのかもしれません。


まとめ

・浅倉さんは90年代から近年のプレデビューに近い手法を使われていてた
・デビュー前に貴水さんと西川さんが参加された楽曲は、かなり方向性が定まっているものの、正式にタッグを組んだ後の楽曲はもっと高い音域を使った曲が多い

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