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(読書記録)生きる意欲の喪失と闘う――『原爆体験 六七四四人・死と生の証言』

大学時代の友人に、「戦争や原爆に関して、普段どういう本を読んでいるのか知りたい」と聞かれた。

確かに、こうした問題に対して「何か学びたい」という気持ちがあっても、膨大な資料を前に立ち尽くしてしまう感がある。実際私もそうだった(今もそう)。
ただ、「資料が膨大」というのは、戦後75年以上にわたって蓄積されてきたものがある、ということでもある。戦争被害については今も明らかになっていないことがあるし、解決していない問題もたくさん残されている。現在につながる問題を知る手がかりとして、私の読書記録がお役に立つことがあればうれしい。

といっても、「書評」ほどしっかりしたものではなく、「読書メモ」程度のゆるい気持ちで続けていきたい。

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一冊目は、先ほど読み終わったばかりの『原爆体験』。2005年に出版されたものだが、原爆が人間に何をもたらし、それに対して人間がどのように抗ってきたのかに迫った、完全版とも言える一冊だった。

著者は、一橋大学の濱谷正晴名誉教授(社会学)。
被爆者の全国組織である日本被団協が1985年、全国の原爆生存者と遺族を対象に実施した『原爆被害者調査』から、6744人の調査記録を抽出し、《原爆被害が人間にとってどれほど重いものであるか》に迫った。
本書のタイトルが「被爆体験」ではなく、「原爆体験」とされているところに、この本の真髄が現れていると言ってよいと思う。というのも、原爆について考えるには、1945年8月6日・9日といった「あの日」だけに焦点を当てるのではなく、その後の人生にどのような影響を与えたかといった要素も含めて考察する必要がある。そこにこそ、原爆の「非人道性」が潜んでいるからだ。

私はこれまで、国に認定されて被爆者健康手帳を受け取った「被爆者」と、国にその認定を退けられてきた「黒い雨体験者」や「被爆体験者」と呼ばれる人たちへのインタビューを重ねてきた。認定されている、いないに関わらず、彼らは「原爆被害者」だと私は考えている。
原爆被害者に聞き取りをしていると、原爆がさく裂した瞬間……いわゆる「ピカドン」の記憶を取っても、「ピカッと光った後、無音だった」と言う人もいれば、「『ピカドン』程度で済まされてたまるか。ビカーッと光って、ドガーンと、ものすごい衝撃だった」とおっしゃる人もいる。体験は千差万別で、その一つ一つを大切にしなければならないと考えてきた。

一方で、共通するものもある。

例えば、「あの日を境に、身体が思うように動かなくなった」という身体の問題や、「いつ放射線の影響が現れるか分からなくて不安だ」「被爆者であるがゆえに差別されたことがある」といった心の問題、そして、核廃絶や反戦への思いだ。

本書は、原爆被害者が経験してきた、そういった体・心の傷や、何を生きる支えとしてきたかについて、統計的なアプローチで描き出す。
以下は、<原爆症>と<心の傷>について、多くの原爆生存者及び遺族が苦しんできたことがわかる記述だ。

遺族(回答者)に対し、「ガン」にり患したことのある身内の死者について、原爆被爆との関係を尋ねてみると、原爆と「関係ないと思う」死者はわずか3%にすぎず、75%は「関係ある」とみなしている。なかでも「白血病」の場合、遺族は100%、その死が原爆と「関係ある」と答えている。

第2章<体の傷> 98頁

原爆被害者が亡くなった時、大部分の遺族が原爆と関係した病気だったと考えていることが分かる。数字を示すことで、被爆者の手記だけでは分からない、原爆による特有かつ共通した被害の実相、被害者が負わされた苦しみが見えてくる。

特に目を引いたのが「自死」の問題だ。6744人の調査対象者のうち、身内に「自殺者がいた」と答えた人が、22人いた。

・体が弱くていつも青白い顔をしており、仕事中に何度も倒れた。『男のくせに鼻血を出して』と職場の人から言われて、自死
・父が戸外で被爆。右半分熱傷、頭部裂傷。頸部の傷の悪化で骨髄炎となり、排膿を続けた。強度の頭痛に耐えられず自殺

第4章<原爆>にあらがう 179頁から要約

私が取材させて頂いた「被爆体験者」――つまり、いまだ国から「被爆者」として認められておらず、救済を求めて闘い続けている人――の中にも、「自分で命を絶とうかと思った」と打ち明けてくれた人がいた。その方は、10代で片目を失明し、もう一方の眼にも多くの障害があり、視覚に数々の困難があった。その原因を、<原爆>に求めている。
また、病気がちで家事もまともにできない日が多かったという「黒い雨体験者」の女性は、「弱い女をもろうたものじゃ」と夫になじられていた。そうした経験を思い出し、「もう死んだ方がええ、と何度も思ってきました」と、声を震わせていた。
つまり、「自死」を考えさせるような苦しみ――本書では<生きる意欲の喪失>と表現されている――が、原爆被害者を襲い続けてきた、ということだ。この点については以下のように考えるべきであろう。

自殺者たち・自死した被爆者たちが抱え込んだ苦悩は、何千にのぼる原爆死者たちがたどらされた苦しみと重なりあっている。いっぽう私たちは、少なからず聞いて知っている――一度は自殺を考えたことがあり、実際に試みたことがある被爆者がいることを。この人たちは、なんらかの事情で思いとどまり、未遂に終わったのである。
 これらのことを踏まえれば、被爆者を<生きる意欲の喪失>状況に追い込んだ力は、自死した人びと個々の身の上を超えて、被爆した人たちすべてに作用しているものとみることができる。

184頁

原爆は、「被爆した人たちすべて」に<生きる意欲の喪失>を与えるものだった、とする指摘だ。
私自身の取材の体験から考えてみれば、それは国に「被爆者」と認定されているか否かを問わない。認定されていないが故の苦しみもあるだろう。実際に、「被爆体験者」や「黒い雨体験者」が、いかに<生きる意欲の喪失>を経験したかは先に挙げた通りだ。「被爆した人たちすべて」が、生きる苦しみを背負わされている。

本書を読み終えて私が痛切に感じたことは、やはり、"全ての"原爆被害者に対する援護(国家補償)が急務である、ということだ。本書で描き出されている「原爆体験」は、国に「被爆者」として認められていない原爆被害者たちにも共通しているものだと再確認することができた。
国は、爆心地からの距離によって被ばくの影響を計測し、救済対象を近距離被爆者に限定したいようだ。しかし、原爆がもたらした被害は、それだけに留まらないということは、本書が記す膨大なデータからも明らかだ。

被爆者の<不安と苦しみに満ちた人生>は、同時に、<生きる意欲>を喪失させようとする原爆とのたたかいの過程であった。だが、わたしたちが暮している日本の社会はいま、被爆者たちの苦悩をうけとめかれらのたたかいを支えることができているだろうか。

第5章 戦なき世を――むすびに代えて 254頁

「戦争被害を国民に『受忍』させる、そのような日本の社会のしくみに内在して問題を立てる」こと。そして「日本の社会の底深く、戦争を否定し、原爆を必要としないしくみをつくりあげる」こと。それは、被爆者だけではなく、わたしたち国民の一人ひとりが――現在及び未来において――「平和に生きる権利」を享受(実現)するために欠かすことのできない課題である。

第5章 戦なき世を――むすびに代えて 256頁

濱谷の指摘がずっしりと心に響く。
私たちは、被爆者の闘いを受け止められているか。
そして、被爆者の闘いは当事者だけに意味を持つものではなく、私たち自身がどのような社会を実現したいか、という問題も含んでいる。

原爆とは何か、何をもたらしたのか、そしてその被害者たちはどのように戦後を生き抜いてきたのか。
多面的に原爆という被害を捉えたい時に、手に取ってもらいたい一冊だと思った。

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