数学嫌いの数字好き

昔から数学が嫌い。
PCが得意なので理数系と思われるけど、そもそもこの理屈が納得いかない(笑)

PCを使うと言っても、大半の場合が何かのアプリケーションを使うぐらい。
理数系の頭が必要なのは、プログラムを組んだりするなら必要だけど普通に使う分にはその部分を補うのがPCだと思っている。

まぁ、プログラミングをやったりもするので完全には当てはまらないけど基本的に論理としては違うと思ってる。

閑話休題。

表題の話に戻ると、根本的な考え方として【答はいくつあっても良いじゃん】というタイプなので数学的な【答は一つ】というのが苦手。

世の中の問題の多くはいくつも正解がある。
あれも正解。これも正解。

数学が好きな人は僕とは逆に明確な答えが出るから好きという人がいる。
どちらが良いではなく好みの問題。

ただ、僕が厄介なのは数字は好きという事。
それはなぜなのか。単純な事。
【判断材料の一つ】として見ているから。

何か物事を判断する上で、数値化されているものは基準としやすい。他者と共通認識が出来るし、比較もしやすい。

昔からゲームをするのもデータを読むのが大好きで、【信長の野望】【三国志】などの武将データや、【ファミスタ】【ウイイレ】なんかの選手データなどなど。ゲーム雑誌でデータが公開されると一日中読んでいて、その為に普段買っていない雑誌を買ったりもした(笑)
空想の世界で理想の組み合わせを考えているのが至福の喜び。

シリーズで評価が変わる違いも面白いし、なぜこの数値になっているのかを考えるのも楽しい。スポーツ選手は成績で数値化されるから比較的わかりやすいけど、武将なんかはなぜ変化するのか。まぁ、歴史的な解釈が変わったり新しい文献が見つかって評価が変わったり。それこそ、データを作っている人たちの中で思い入れのある人のプレゼン次第で変わる事もあるだろう。

何かを考えたり、判断するには情報がどれだけあるかというのが大切で、数字というのは情報の一つ。他にも、情報は何でも大好物(笑)

情報から想像する世界も楽しい。そこで仮説を立てて検証して予想通りだった時はたまらない充実感がある。

人に対して仮説を立てる時の重要なポイントは【仮説は仮説で、先入観にはしない】という事。
これが出来ないと、たんに偏見でねじ曲げた見方をしてしまい正しい判断が出来ない。
そうすると、それは仮説でも何でもなくて自分に都合の良い理想の押し付けにしかならない。

情報というのは、持っているだけではそこまで大きな意味を持たない。それをどう使うかが大事で、それが能力差につながる。

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