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#1 知ることより考えること
今回は私が成人するまでに起きた、2度の挫折とその後の話をしようと思う。
当時の私にとっては、ただただ辛い出来事だったが、この経験は確実に自分の価値観や考え方を大きく変えた、私の人生にとって重要な出来事だったと今振り返って思う。
(写真は大学時代の私。附属農場の牛たちに囲まれ、将来は家畜人工授精師か県職員にでもなろうかと考えていた頃。)
中学受験にて志望校全落ち
小3から塾に通い、夏休みは夏期講習、勉強漬けの毎日を経てついに小6の冬。中学受験の志望校は全て落ちた。
これが1度目の挫折。苦悩の日の始まり。
理由は勉強不足の一言に尽きるだろうが、そもそも私立の良い中学に入りたいなんてモチベーションがあった訳でもなかった。ひどく無責任なことを言えば、所詮、志望校も塾も親が決める、親主体の中学受験なんだから、勉強に身が入らない。受験する理由も勉強する理由も分からないまま、入試を迎えていた。
ただ、不合格という事実を突きつけられると、自責の念に駆られ、自分の勉強不足をひどく痛感した。頑張れなかった自分を責めた。
今思えば、塾に通わせてもらい、良い学校に入って、良い大学に行き、良い会社に入って都会で暮らすという最高の人生のレールをひいてもらったのにも関わらず、うまくそのレールに乗れなかった事を後悔している。
結果的に滑り止めで受けた中高大一貫の女子校に入学。『女性の品格』で有名な坂東眞里子先生が理事長を務める、歴史ある伝統校だった。
スカート丈は膝が半分見える高さまで。制服はもちろん指定で、コートの色や見た目まで決まりている。化粧や髪を染めるなんて言語同断、眉毛を整えたり、前髪を巻くだけでもごちゃごちゃ言われる。
厳しい校則に加えて、不思議なカリキュラムが組まれていた。
朝礼時に担当の生徒が内容自由な5分程度の小噺を行う”感話”
1年を通して1つの物事を研究し、年度末にクラス発表を行う”私の研究”
中高合わせて6学年を縦割りにしたグループで行う清掃”朋友班”
あげればキリがないが一言で言えば独特な学校生活だった。
そんな厳しく、変わった学校生活の中で待ち受けていたのは、いじめ。
小学生の頃から、お気に入りのペンセットや家の鍵を盗まれたり、無視されたりすることはたくさんあった。中学入ってもか…と思った。
その学校の中では勉強ができる方だったと思う。だからなのか、自分の性格に難があったからなのか、入学早々に嫌味を言われたり、グループから省かれたりすることが多々あった。
日々学校に行きたくないし、楽しくない毎日。
それでも一応は夢があった。
小学生の頃、目の前で祖母の飼っていた犬が病気に侵されて苦しみながら息を引き取ったところを見た。それからというものの、獣医になりないと思うようになり、佐々木倫子先生の『動物のお医者さん』を読んでから北海道大学の獣医学部に入りたいと考えていた。
もちろん今通っている中高から、国立の、しかも6年制大学に受かるなんて前例はなく、相当な勉強量が必要だった。
中3の秋、担任からこの本を渡されると同時に獣医学部は難しいと思うと告げられた。
この本を読んでも担任が伝えたかったことは分からず、とにかく勉強は頑張らないといけないということだけが頭に残り、焦る気持ちと比例してなかなか成績が伸びず、思い悩んでいた。
高校に入ると、いよいよ大学受験が待っていた。
大学受験での路線変更
北海道大学に限定しなくても、獣医学部のある大学を受験するという頭になっていた。
そもそもなぜ獣医になりたいのか。
どんな獣医になりたいのか。
高1の春、自己分析しながら進路指導の先生と話していると、大動物の獣医がいることを知った。
父が鉄板焼きの店のシェフをしていたこともあり、食肉に若干の興味があった私は、畜産を支える獣医を目指すことを決意した。
中高で謎カリキュラムと思っていた”私の研究”や”感話”などが、実は探究心や行動力、人前で話す力となっていた。
この時点での学力はかなり低く、進路指導の先生からAOや推薦入試も視野に入れてみたら?という言葉をもとに、小論文や面接指導も強い塾に変更。
第一希望の獣医学部の推薦がダメなら、1年浪人して一般受験で頑張るんでもいいんだよという母の声に甘えた。
結果は不合格。
浪人を考えていたが、ふと、大動物の獣医になるなら、まず畜産を学ぶことが先なのでは?と思ったのである。そこで東京農業大学の畜産学科を目指すことになる。
推薦入試で合格。浪人の道はなくなり、畜産を勉強することになった。もし獣医が諦めきれなければ、もう一度受験しよう。そう思っていた。
大学に入ると畜産の勉強が面白くて仕方なかった。若干諦めきれない獣医という仕事が頭の片隅にあったのも相まって、家畜衛生学を専攻し、卒論にも力を入れて頑張った。(卒論についてはまた別の回にまとめようと思う。)
それは逃げ道か
ここまでを読んで、私の学生時代を逃げてばっかりだと思う人が大半だと思うが、私はこれで良かったと思っている。
大人になってからもう一度、中3の担任にもらった『知ることより考えること』を読んだ。
インターネットなどに惑わされず、本当に知りたいなら、まず考えること。当時の社会や世間に対して、やや批判的に辛辣に意見された本だった。
自分と世界ではなく、自分が世界なのである。
世界は、視界は、必ず自分から開けている。
自分の人生、自分が生きていく。
物事が上手くいかなかった時、この道に進まなければ、こうじゃなきゃいけないんだから、と肩肘張って頑張りすぎると、返って心がダメになる。
最悪の場合のポジティブな逃げ道を探すこと。
自分の強みを活かせる道はどこか、遠回りになったとしても、自分がしたいものに近づける道を選べばそれでいいのでは?と思うのだ。
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