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【映画】無意識に怪物を探すあなたが怪物なのかもしれない。『怪物』レビュー

"この映画で無意識に怪物を探そうとしている観客のあなたが、一番の怪物なのかもしれない"

かねてよりお互いをリスペクトしていたという、『万引き家族』の是枝裕和監督×『花束みたいな恋をした』の脚本・坂元裕二が初めてタッグを組んだ作品。第76回カンヌ国際映画祭にて、脚本賞とベスト・クィア賞を受賞。

【大きな湖のある静かな街の小学校で起きた“事件”。息子がいじめられていると学校に訴えるシングルマザー。生徒への暴言・暴行を告発された若手教師。マニュアル通りの対応で乗り切ろうとする小学校の校長。教室で喧嘩し突然姿を消す小学生2人。“怪物”は誰だ-?】

ある一つの出来事を複数の登場人物の視点から描き出し、最終的にはその出来事が初見の時とはまるで違って見えてくるという造りは、まさに現代版『羅生門』。

あちらは新しい視点が出てくるたびに事件・登場人物の醜さが浮き彫りになっていたが、この『怪物』は新しい視点が出てくるたびにその視点の主人公に感情移入し、最初の主観パートでは『なんなんだこの人』と思っていた人物に隠されていた背景が徐々に露わになると、一気に物語の重みが増し、面白くなっていく。

現実においても、ある事件について、ニュースなどで一部分だけの情報を知り得た人達が、足りない情報を都合よく補完し、当事者の言葉・事件の真実を置き去りにして、ただ無闇に叩くという病的なループが問題になっている。いや、むしろいちいち問題にならない、『間違えてもまぁいいや、また次の叩くネタ探そう』くらいの世の中になっている気がする。

少々話が逸れたが、結局何が言いたいかというと、余計な情報で固められた一つの出来事も、その余計な部分を削ぎ落せば、最後にはただ一つの、最も大事なもの、“真実”が残る。

嘘かホントか分からない情報で溢れた現代では無駄な物に気を取られがちだが、最も大事なのは、何が問題なのかという事。この『怪物』においても同様に、だ。


最初自分は、誰が一番“怪物”なのかという事がこの映画の真実の鍵を握るかと感じていたが、意外にも“怪物”とやらはこの作品ではそこまで重要なワードではなく、それでも、予告編のセンセーショナルな造りだったり、『怪物』という言葉をタイトルに持ってきてる辺り、多くの観客が“怪物探しをしようと試みる怪物”になりやすい状況を作りながらも、しかし真実は、人間の負の部分を簡単に煽れるようなそんな言葉では決して語ることが出来ないという、是枝監督のメッセージとハッキリとした意図を感じた。

(※終盤で子供たちが遊んでいる『怪物、だーれだ』ゲームの“怪物”が、ブタだったりナマケモノだったり色んな動物が出てくるのも、誰しもが怪物になりうるというメッセージなのだと思う)


ちなみに映画自体の面白さとしては、シングルマザーの早織パート、いじめを告発された教師・保利パートが圧巻の面白さで惹きつけられただけに、今作の最重要人物・小学生2人のパートで多少ブレーキがかかったような印象があって、正直後半は眠くなる瞬間も何度かありました。

いわゆる勧善懲悪のような作品とは対極にあるような内容ですし、胸糞とまでは言わないまでも、人間が嫌いになるような生々しく陰湿なシーンも多くあるので、どよ~んとした気持ちになります。

妙に晴れやかなラストシーンも、何かのしがらみから抜け出せたようなはしゃぎっぷり、“一夜で撤去されていた柵”などを見ても、恐らくそういうことなんでしょう。これが遺作となった坂本龍一氏のスコアと相まって、すごい余韻の残る作品でした。

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