見出し画像

【映画】安易な復讐劇ではない。性被害の残酷なリアルを描く『プロミシング・ヤング・ウーマン』

カフェで働く元医大生のカサンドラ・トーマス
(キャシー)。彼女は“ある理由”から、バーで飲んだくれたフリをしては、自らをお持ち帰りしようとする男どもを"制裁"していた。

そんな中、かつて同じ大学で同級生だったライアンという男と再会し、意気投合する。これを期に"制裁"をやめようとするキャシーだったが...。


この映画のタイトルは、実際に起きたある事件が基になっている。

それは2015年に米国・スタンフォード大学で起きた性暴力事件。
大学構内で開かれたパーティーに参加していた女子学生が、当時水泳部のスターだった男子学生にレイプされ、その後ゴミ捨て場に放置されていたというなんとも惨いもの。

裁判でその男子学生は有罪になったが、裁判長は彼が"プロミシング・ヤング・マン"、すなわち、"将来のある若者"だからという理由で、たった6ヶ月の禁錮刑としたことに由来する、皮肉を込めたタイトルになっている。


"将来のある若者の未来を奪うのか"
"あんな優しい人がこんなことをするなんて"
"若かったから、酔っていたから、善悪の判断がつかなかった"


なんちゃって人権派や危機感0の傍観者たちが並べ立てる綺麗事や自己保身にうんざりしている自分にとっては、この『プロミシング・ヤング・ウーマン』のような、性犯罪とその闇をストレートに描きつつも、しっかりとエンタメに振り切った作品を待っていた。


誰かの将来を奪った人間の将来など"法で正式に"奪えばいいと思う俺は過激派なのかもしれないけど、実際、悪質ないじめや性犯罪の加害者は幸せな人生を謳歌し、被害者はいつまでも消えない苦しみを味わい続けるこの世の無情さに対する
スカッとするような答えが、この映画は出してくれるんじゃないかと期待して見ていた。

しかし、そんな甘い映画ではなかった。この映画は、この映画の凄さは、予想の斜め上を行く。
.
.
.
※ここからは多少ネタバレを含みます※
.
.
.
こういう結末を迎えるとは思っていなかった。


終盤の、あのベッドでの、あまりに虚しく、悲惨で胸糞なシーン。あの悲痛な絶叫は、果たして本当にキャシーのものだったのか。
それともアルが昔レイプした相手のもので、ようやく、やっと、その時の彼女の悲痛な叫びを"聴くことが出来た"のか。
正解は分からない。

でも俺は後者の方だったと思う。あの状態でキャシーがあんなに叫べたとは思えないし、これほどまで追い詰められないと、アルのようなクズは自らの過ちに気づけないという、皮肉と絶望と、現実のやり切れなさが詰まった、監督の伝えたいメッセージが最も現れたシーンだったと感じた。

そして主人公にとって最重要人物であるライアンの配役。

監督が意図的にキャスティングしたというように、好感度の高い俳優をこういった役に抜擢するというのは、日本では絶対できない。いやアメリカでさえ非常に勇気の要ること。
一度凶悪な役をやってしまったら、そのイメージはなかなか消えないまま、偏った役柄だけを演じて俳優人生を終えてしまう危険もある中、このライアンを見事に演じきったボー・バーナムと、彼の配役を決断したエメラルド・フェネル監督、もちろんその他のクズ男たちを演じた俳優の全員に、敬意を表したい。

総評。

主人公の美人局的なやり方=昔失った親友への復讐という図式は微妙にズレている気がしたし、中にはただ介抱しようとしただけの男もいて、中盤までは主人公にあまり肩入れ出来なかったのと、心理的に見るのが辛くなる描写も多々あるので、二度見たいとは思わない。


しかし、オスカー獲得まであと一歩だったキャリー・マリガンの名演技は必見。
名曲『Angel on the Morning』に乗せて送る
ラストも完璧。

キツい内容ではありますが、ぜひ多くの方に見てほしい作品です。

そしてこんな悲しい映画が二度と生まれないような、正しい世の中になって欲しいと切に願います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?