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【短編】スピカ

 以前「上京する」とツイートしていた佐藤スピカが、私の最寄り駅付近に住んでいるらしい事を偶然知った。

 数年前、好きなバンドのメンバーのツイート見たさにツイッターを始めたばかりの頃。同じバンドが好きな事をきっかけに、繋がった人達のうちの一人が佐藤スピカだった。
 最初に挨拶コメントを交わしたのが唯一の会話で、その後しばらく経った頃に私が好きな歌詞の考察を長々と連続でツイートした時、その考察ツイートの全てに佐藤スピカのアカウントからいいねをされた事が、何らかのやり取りと呼べそうな唯一だった。
 だから相互フォローとはいえ、仲良しという訳ではない。
 でも私はフォロー数自体がそれほど多くない事もあって、タイムラインに表示される全てのツイートを追う事が出来たから、佐藤スピカのツイートも日頃からよく視界に入っていた。
 言葉を交わす事が無くとも日常や好きな歌なんかの趣味嗜好を知っている、そういう何人かいるうちの一人。
 私にとっての佐藤スピカはそういう存在だった。

 好きなバンドのメンバーがパーソナリティを務める深夜のラジオを聴いていた時のこと。
 番組宛に届いたメールを紹介するコーナーで「東京都××区」と私が住んでいる地域の名前が読み上げられて、この近くにもラジオにメールを送るほどの熱心なファンがいるんだなと意外に感じた。
 そのメールの紹介と、メールの内容に対するメンバーのコメントが終わった後にCMが始まったので、何気なくツイッターを開いてタイムラインを更新すると「メールを読んでもらえた」という内容で佐藤スピカの喜びのツイートが連投されていた。
 さっき読み上げられたラジオネームはツイッターに表示されている佐藤スピカというハンドルネームとは全く別物だったけれど、紹介されたメールの内容と佐藤スピカの喜び溢れるツイートの内容は一致している。
 そういえば以前「上京する」とツイートしていたっけ、と思い出したものの。同じ区内なのかと思った程度でこちらからコメントを送る事も無く、他の共通のフォロワーから送られる祝福のコメントにテンション高く綴られる返信ツイートをタイムラインで目にしただけだった。


『東京に出てきて一番嬉しいのは、最寄り駅のすぐ近くにスタバがあること』

 春だった。
 晴れた土曜日の朝のこと。
 限定発売のフラペチーノ目当てで、自宅近くにあるスタバに朝から来て寛いでいた。
 苺の果肉がふんだんに使用されたフラペチーノは見るからに美味しそうで、情報解禁された時から楽しみにしていたのだ。けれども発売日の夕方、帰宅前にスタバに寄ると店内は満席でレジ前も長蛇の列。無理をして今買うよりも混んでない時間帯を狙って来よう、そう考えて引き上げた翌朝の話だ。
 一口啜って美味しさに幸せな気持ちになったところで、何気なくiPhoneを手にとってツイッターを開いた。
 そして視界に入った『最寄り駅のすぐ近くにスタバ』と書かれてある佐藤スピカのツイートと、そこに添付された写真を目にして驚いた。
 最寄り駅と書いてあるが××区にはスタバは二店舗しか無い(今居るこのお店がオープンする時に「××区で二店舗目」という触れ込みだったのだ)。そして添付された写真に写っているのは限定発売の苺のフラペチーノ、その背景になっている窓の向こうの晴れ渡った景色は、フラペチーノにピントが合う事でぼやけているとはいえ、どこからどう見ても私の最寄り駅のペデストリアンデッキだった。
 背景の映り込み方から判断すると、この店舗の出入り口の隣にある、窓側を向いて座るカウンター席で撮られたものだ。

 その後の行動に理由や深い意味など無かった。
 目にして得られた情報に対する条件反射だと誓ってもいい。
 窓際のカウンター席の方を向いてみると、店内に背を向けて座っている人が一人だけ居た。
 窓の外から射す光を受けて遠目にも分かる程に艶やかな、そして背中を覆い隠す程の長い髪と、そういう後ろ姿からも分かる華奢な骨格の人。

 ハンドルネームからも普段のツイート内容からも女性だろうと想像はついていたので、それ自体は驚くべき事ではなかった。
 それよりも繋ぎ合わせれば個人を簡単に特定できてしまうような断片的な情報を、不特定多数が閲覧できるSNSに抵抗なくアップする危機感の無さが心配になった。
 とはいえ会った事も無ければ会話らしい会話もした事が無い、そんな人間から危機感が無いと指摘されたところで怪訝に思われるだけなんじゃないだろうか。そう思い直してソファにもたれ掛かり、時間が経って溶けかけたフラペチーノを啜った。

 もしも日頃から頻繁にコメントを送り合う程の親密な付き合いがある間柄だったとしたら、立ち上がって席に近寄って声を掛けたんだろうか?
 振り向いた佐藤スピカの疑問符を浮かべる表情に向かって、自分のツイッターアカウントのホーム画面を見せながら自己紹介する場面を想像してみたけどうまくいかなかった。後ろ姿しか見えず顔が分からないのだから無理もない。
 代わりに自分だったらどうだろうと考えた。
 ツイッターは今では好きなバンドに関する自分の書きたい事を書くための場所になっているから、日頃から頻繁にコメントを交わし合うほど交流のある人はいないので想像するだけ。
 そうやっていくら仲良しとはいえ顔見知りになってしまう事で、一人で寛げる好きな場所がそうではなくなる可能性を考えると、気にかけて声をかけて貰える事が必ずしも手放しで喜べる事ではないように思えた。

 ありがとうございましたー! という店員の声が響いて思案から覚めた。反射的に出入り口に目をやると、先ほど目にした長い髪の女性が出て行くところだった。右手に半分残ったフラペチーノのカップを持って、こちらに背を向けて駅の方へと歩いて行く。
 腰まである黒髪が春の風に揺れる様を眺めながら、本当に唐突に、佐藤スピカというハンドルネームに決めた理由を聞いてみたい、そう思った。


 だけど結局、そのきっかけは掴めないままだった。
 それから数日後、NowPlayingというタグのついた今聴いている曲のタイトルが書かれたツイートを最後にして、佐藤スピカのアカウントはツイートが途絶えてしまったのだ。

 何かあったのだろうかと最初は気になった。
 そして、顔は一度も見えないままだったけれど、あれだけ長い髪の持ち主なら通りすがりに見かければ嫌でも気付いてしまうだろうと思い至って複雑な気持ちになった。
 だけどその後、スタバだけでなく最寄り駅でも電車でもコンビニでも、あの日見かけた女性ほどの長い髪をした人を生活圏内で目にする事は無かった。そのうちに私の住んでいる地区に通り魔の目撃情報が相次いでいるという案内があり、しばらくは出来るだけ独りで外出する事を避けて欲しいと両親から頼まれた事でスタバからも足が遠のく事になった。

 それから数か月後、好きなバンドがライブを行う事が決まり、運良くチケットが取れたので母と一緒に日本武道館へ行った。
 駅を出て会場へ向かう坂道を登っていると、前から一人で歩いてくる女性がものすごく長い髪をしていて心臓が高鳴った。
 これから向かうライブのツアーグッズのTシャツを着たその人と、目が合いそうになって慌てて逸らした。
 すれ違った後に振り向いて後ろ姿を眺めたけれど、数か月前に一度見かけただけの佐藤スピカと思われる面影に合致する人物なのかは全く分からなかった。

 さらに時が過ぎて大学への進学が決まって、一人暮らしを許してもらえたので卒業式前に両親と一緒に大学近くの不動産屋へ相談に行った。
 ○○大学ならこの路線かこの路線が便利だと言われて、何駅か提案してもらった後に母から意見を聞かれたので近くにスタバがある駅がいいと答えた。母には呆れた顔をされたけれど、不動産屋のお姉さんは朗らかに笑ってスタバの店舗情報を検索してくれた。

 そんな流れで住む場所もとんとん拍子に決まり、高校の卒業式と引っ越しで慌ただしい春休みを経て大学生活が始まった。
 新しい環境と新しい出会いを目まぐるしくやり過ごすうち、好きなバンドへの想いは変わらずにあったものの、ツイートの回数もツイッターを開く頻度も減っていった。
 それに伴うように、街で長い髪の女性を見かける事があっても、振り返って二度見するような事もいつしか無くなっていった。

 大学入学から半年後に知り合った二つ歳上の人と、四年付き合った後に結婚を決めた。
 彼の住むマンションの契約更新の時期に合わせて、二人で住める広さの物件に引っ越しをする事になり、もうすぐ立ち去る事になった自室で荷造りを始める事にした。
 好きなバンドのベストアルバムをBGMにして服を段ボールに詰めながら、ふと、次の最寄り駅にはスタバが無いんだなと思った。
 なんでスタバに拘ったんだっけ?
 浮かんだ疑問符の一瞬後に、後ろ姿と風に揺れる長い黒髪が鮮やかに脳裏に過った。

 選ばなかった方の選択は、いつだって無限の可能性を秘めている。
 もしもあの時躊躇せず話しかけていたら、或いはあのツイートにコメントを送っていたら、全く違う関係性の佐藤スピカとの今があったんだろうか? 私の性格上それはあり得ないという思いも勿論あるけれど。

 誰かとの何かが始まる時には、意志を持って踏み出す事でようやく始められるものと、意志も何も関係なく否応なしに始まってしまうものの二種類があるのだと、佐藤スピカとの遭遇を通して知った。
 佐藤スピカだったかもしれない人の後ろ姿を目にしたあの瞬間を、何年経っても写真のように鮮明に思い出せてしまう。そんなふうに。

 机に置いてあったiPhoneを操作して、BGMを別の歌に切り替えた。
 かつて佐藤スピカから大量のいいね通知が届いた、歌詞考察を長々と書き綴った歌。
 そう言えばこの歌が好きだといつだったか書いていたような気がする。記憶が遠過ぎて本当のことだか自信が無いけれど。

 ホーム画面にまだ残っていたツイッターのアプリをタップしようとしたけれど、呟きたい事など何一つ思いつかなかった。
 開け放った窓から吹き込む南からの風が、カーテンを揺らした後に頬に届く。
 心地よい季節はいつだって短い。



<了>