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My Story Vol.1

自己紹介もせず新年の抱負から始まってしまったこのnote(笑)自分の内側をシェアしていくのもこのnoteの目的の1つなので、ひとまず自己紹介1回目!

◆ 緩和ケア理学療法士

名古屋市熱田区の緩和ケア住宅「まごころの杜」で理学療法士として働いています。元旦も出勤で初日の出は職場で仕事をしていて迎えました(笑)

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理学療法士ってリハビリをする仕事の1種ですが、大体は病院やクリニックにいて病気や障害を持った人が社会復帰をするために
必要な身体機能の回復を目指したり、道具を使って代用する方法を探したり

一般的にはリハビリって良くなるイメージじゃないかなと思います

じゃあ、「緩和ケア」と聞くと、どうでしょうか?

なんとなくイメージをわかせるのは「死」だと思います

「理学療法士」と「緩和ケア」という相反する両者を繋ぎ合わせたのは自分自身の中にあるStoryでした

◆ 一人の患者さんから始まった

理学療法士として働き始めた1,2年目は病院で勤め、いわゆる病気や障害を持った患者さんを社会復帰に導く一般的な理学療法士の仕事をしていました

あの時は、鬱陶しいくらい身体を良くする事に向き合っていて、
代替手段を提案するのは自分の実力がないからだとさえ思っていました。

そんな自分が1年目の頃に担当した患者さんがいました
大腿骨を折って入院した人で、それまでに背骨を折ったり反対の大腿骨を折ったりと地域に根付いた病院あるあるのいわゆる常連さん
言いたいことをはっきりいう人だからこそ新人の登竜門的な存在でもあり、毎回新人が担当するっていうお決まりの方でした

「故郷の台湾に帰りたい」という希望から、そのためにもうちょっと安定して長い距離を杖で歩けるようにしようというのが目標になっていました

そのために自分の持てる知識を総動員して目標を達成できそうな状態になったにも関わらず、
退院する時「台湾に行くのは、車椅子で良かった」という話を受けました

◆ 自分の仕事って何?

身体を良くしてなんぼ、歩けない人を歩けるようにしてなんぼ

そう考えていました。だって大学2年生の時の実習で、歩けるようになったって泣いて喜んでいた人を先生の側で見ていたし、自分もそれを見て一緒に泣けてこの仕事って素敵だな〜って感じたから

でも自分の視野が狭かっただけでした

◆ 手段にばかり目がいってしまいがち

目的は「台湾に行く事」で、そのために歩いて行くか車椅子で行くか
自分が歩いて行ける手段を提供できる仕事だからこそ、それが正解だと思っていました。ですが、

身体を良くすることも1つの手段なんだ

それに気づけたからこそ、「理学療法士」と「緩和ケア」という相反する両者を繋ぎ合わせることができました。

理学療法士はリハビリをする仕事の1種と冒頭でお伝えしましたが、そもそもリハビリテーションっていうのは

「その人らしく生きることの再獲得」

という意味。だから自分たちが理学療法という手段を通して本当に届けなければいけないのは、
たとえ病気や障害があったとしても「その人らしく生きること」

病気になった
できていたことができなくなってしまった
家族に迷惑をかけてしまうかもしれない

その一瞬を、その一点を見ると辛かったり悲しくなったりすることもある
だけど、振り返った時に1つ1つの点が1つの線となって、そして物語として見てみると

あの時のあの経験があったから、今があるって思える時がきっとある

だからちゃんと物語として、Storyとして伝えたいって思うし、
「緩和ケア」っていうフィールドから「その人らしく生きるって何か?」を自分自身体現しながら、伝えていきたいと思います。

それがもしかしたら、10年間自宅で介護をして看とったばあちゃんの教えなのかもしれません。

今日はこんなところで(^^)


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