○○があるから人は真剣になれる

こんばんは、しいまです。

今日は昨日に続けて
「真剣にする」感覚について、
話させていただきますね。

* * *

真剣モードをONにするために、
「包丁を使うシーン」を思い出す


「これを思い出そうとすると、
 なんで切り替わるんだろう?」

「瞑想とか、凪いだ水面とか、
 他のことをイメージしても、こんな切り替わらないのに」

と不思議でした。


それで今日色々と歩きながら考えていたところ、
料理人や外科医の方が浮かんできて、
多分これじゃないかという要素を言語化できました。


それは、

「身体で感じることができる危険性」があるかどうか

です。


真剣さというのは、
頭ではなく身体が反応したからこその状態、
かつ
危険性を感じているからこその状態
だと思っています。


頭で考える危険性
例えば、
・お金がなくなる
・納品物を間違える
・メールの宛先を間違える
みたいな「社会的な危険性」だと、

身体からすると、
(身体)「? 必要性わかんないから、省エネのままでいくね」
となる。


一方で、
刃物や火とかの「身体で感じれる危険性」のときは、
(身体)「省エネ思考でいたらやばいな。栓を開こう」
となる。

だから、刃物で思い浮かべたときは、
身体が刃物から危険性を感じて、
(身体)「省エネ思考で気を抜いてたら指を切るな。エネルギー割こう」
となって、
真剣に取り組めていたんじゃないか
と分析しました。


この分析から大事な要素は、
「何してもミスしても平気〜〜〜」と認識してる状況だと、
どうあっても人は真剣になれない

ということです。

だって、人って本能で省エネ思考働いてるからね。
必要性を感じないと、エネルギーを割いてくれないわけです。


逆に言えば、
「省エネ思考とか言ってる場合じゃねぇ!」
と、"身体"に思わせることができれば、スイッチが入ります。


ではどうやって身体に思わせることができるのか?

刃物とか火とか、
頭ではなく「身体が直接危険性を感じれるもの」で、
イメージを作ればいいと思うんです。


そう。
わたしたちが今まで集中状態に、
スッとモードを切り替えるようになれなかったのは、

イメージするものに必要な要素がなかっただけ

だと思うわけです。

それで身体が危険性を感じれるイメージだったら、
なんでもいいと思います。

まぁその中でもほどよい塩梅で、
おすすめなのが、
昨日紹介した「包丁で野菜を切るときを思い出す」だったわけです。

他にも高層ビルとか焚き火とかも試してみましたが、
どうも危険性の塩梅がいまいちで。

高層ビルはふつーに怖すぎて足が重くなりましたし、
焚き火は「近づかなければいいじゃん」みたいに舐めがちで。

やっぱり、「真剣(包丁)扱う」と思うのが、
一番ちょうどよかったんですよね。


* * *

ということで、
今日は
身体が危険性を感じるからこそ、人は真剣になれる
と思ったことについて、
話させていただきました。

昨日より少しは汎用的なものにできたかな。

この性質を活かして、
寝る時以外は常に真剣モードになれるよう、
段々と濃い時間、濃い1日にしていきたいですね。

それが戦国自体の
「常在戦場」
の感覚なんじゃないかと思うわけです。

別の例えで言うと、
「ずっと超サイヤ人状態で生活する修業」をしてた悟空みたいな。


それでは今日はこの辺で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


少し変えることで、ととのいますように。
ととのった状態で、迎えられますように。


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