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国家はどうして正当化されるのか? シンプルな説明【憲法学】


国家はどうして正当化されるのか。なぜその命令に服従しなければならないのか。

「従わないと罰せられるから」では正当性の説明にならない。例えば強盗団に拳銃を向けられたらたいてい人は服従する。しかし服従する義務があるわけではない。強盗団は正当化されない。

では改めて、国家はどうして正当化されるのか。全て市場に任せてはダメなのか。

この疑問にはさまざまな答え方がありえる。

私は現状、憲法学者である長谷部恭男の説明に納得している。

氏によれば、

A 社会的相互作用の調整
B 公共財の供給

という二つの機能を果たすことで、国家は功利原理(最大幸福原理)によって正当化される。そして正当化された国家の権力濫用を防ぐために、

C 人権の保障

がなされねばならない。

以下、内容を解説する。



国家を正当化するのは功利原理(最大幸福原理)である。国家が以下A、Bの役割を果たすことは、市場競争だけに任せている場合と比べて、社会全体の効用を増やすだろう。

A 社会的相互作用の調整


〈ルールが共有されていること〉自体が大きな価値をもつ場合がある。例えば、車両は道路の左・右のどちら側を通行すべきか? どちらでもよいのだが、とにかくどちらかに決まっていて、皆がそれに従うことが重要である。

交通規則に限らず、多くの制度について似たような事情が成り立つ。所有権、契約、相続等に関して統一ルールが整備されれば、そうでない場合と比べて他者の行動も予測しやすくなり、自己利益の計算も容易になる。つまり市場取引もより円滑に進む。この点、国家は〈大多数が従う統一的なルール〉をつくるのに向いている。

B 公共財の供給


市場に参加する者たちは、基本的に自分の目先の利害を考えている。そのため公共財については、市場競争によっては十分供給されないと予想される。

上下水道、消防、警察、安全保障、外交、環境保全、交通インフラなどは、供給がなされたならば一律に恩恵を受けられるため、ただ乗りへの動機は強い一方で、自分が進んで経費負担しようという動機は乏しい。市場原理に任せては維持しえなくなり、すべての人々に不利益となる。そのため費用は国家が社会全体から強制的に徴収する必要がある。

公共財を適切に供給するためには、以下四点が重要である。①各人は私的利益ではなく、社会全体の利益を念頭に審議・採決すべきである。でなければ市場と同じ結果しか期待できない。②国民・代表は必要な情報を正確に知り、社会全体の利益を合理的に計算すべきである。③政府諸機関は、採決の結果をスムーズかつ忠実に執行せねばならない。④決定が国民の人権を侵害してはならない(長谷部恭男『憲法第6版』新世社2014年65頁)。

ただし、上記の役割を果たすためとはいっても、人権を不当に制約することはあってはならない。よって三つ目の任務が課せられる。

C 人権の保障

功利原理だけではいけない。というのも、人間には功利原理によっても制約されてはならない核心的利益があるからである。

「しかし、人権宣言の系譜に属する現代の権利論が指摘するのは、功利主義が全体の利益を名目として、個々のメンバーの核心的利益の侵害をも正当化する危険である。我々の社会には、功利主義的計算によって処理すべきでない価値や利益があるように見える。
 しばしば引かれる極端な例で言えば、病院の前をたまたま通りかかった人を捕まえてその身体を解体し、移植の必要な患者にそれぞれ臓器を分け与えれば、一人の犠牲で多くの生命が救われることになる。集計主義的功利主義はこのような手術を正当化することにならないだろうか。もちろん、功利主義者は、このような手術が実際に行われれば、明日は我が身かといぅ恐怖から人々に深刻な不安を引き起こし、結局、社会全体の効用は低下すると主張しうるであろうが、結論はともかく、この理由づけは重大な点を見落としているように思われる。そして、生命・身体の安全という最低限の利益に限らず、人が人として、つまり自分の生き方を自ら構想し、選択する存在として生き抜いていくためには、それに必要な基本的な権利と自由は、功利主義的計算によってはその侵害が正当化されえない権利として保障されるべきであろう。レイプが禁止されねばならないのは、レイピストの得る快楽の総計よりも被害者の苦痛の総計の方が多いからという理由によるのではないはずである。」

長谷部恭男『権力への懐疑――憲法学のメタ理論』1991年 日本評論社72-73頁


ゆえに、国家は人権保障の役割を果たす必要がある。A、Bの任務を果たす際にも、社会的弱者の人権を侵害するような枠組みを形成してはならない。また、司法的な人権救済制度も用意する必要がある。


国家の正当化理論としては、理由づけに説得力があり、その上でシンプルなのが魅力的である。A、B、C共に市場では不十分。もちろん強盗団はしてくれない。私は大筋においてこの説明を支持している。


【参考文献】


・長谷部恭男「第3章 人権:おおげさなナンセンス?」『権力への懐疑――憲法学のメタ理論』日本評論社

・長谷部恭男『憲法第6版』新世社 2014年
 
なお2024年4月現在、最新版は8版である。

 


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