例外許容的ルールモデル? ――安藤馨「最高ですか?」②【法哲学、読書メモ】


安藤馨・大屋雄裕ほか『法哲学と法哲学の対話』(有斐閣)2017年、第6テーマ「最高ですか?」の読書メモ、続きです。

前記事

興味深くはある。検討が進むとよいなぁと思った。





前の記事に書いた通り、法的三段論法モデルでは、現実の法的推論のあり方をうまく説明できない。

では、どのようなモデルが適切か。引き続き安藤馨氏の論文に沿って話を進める。今回もまた安藤氏とはやや異なる表現を用いて整理しているので注意(安藤氏は量化記号を用いている)。

例外許容的ルールモデル


安藤氏は自身のモデルに明確な名称を与えていないのだが、便宜上ここでは例外許容的ルールモデルと呼ぶことにする。

現実を観察すると、法規範はあくまでデフォルトを示しているに過ぎず、例外を許容するものとして定立されているようにみえる。そして、例外事情が発見されたときには、法規範が示す原則は阻却されている。

例外許容的ルールモデルは、そうした実情を考慮したものである。

再び殺人と正当防衛の事例を用いよう。

まず、殺人罪の法規範1と、正当防衛の法規範2をそれぞれ例外を許容するものとして定立する。

法規範1:人を殺した者は、例外がない限り、死刑または無期もしくは5年以上の懲役に処する。
法規範2:人を殺した者であり、正当防衛ならば、例外がない限り、罰しない。

事実の認定によって、事実1、2が得られたとする。

認定された事実1:AはBを殺した。
認定された事実2:AによるBの殺人は正当防衛によるものであった。

この場合の不都合は、法規範と事実認定から結論が二つでてくること。

結論1:「Aを死刑または無期もしくは5年以上の懲役に処する」[法規範1、事実1]
結論2:「Aを罰しない」[法規範2、事実1、2]

対立した結論1、2のうち、どちらを優先するべきか、この点は大前提である法規範1、2に書かれていない。

しかし、例外許容的ルールモデルは、法的正当性の源が法規範のみであるとはみなしていない。

法規範同士が競合したときにどう処理するのが法的に正当であるかを定める
法的に正当な推論規則(原理)」を導入することにしよう。この推論規則の具体例としては、特別法優越原理、後法優越原理、上位法の優越などがあげられよう。

本事例でいえば、「特別法は一般法を破る(特別法優越原理)」という「法的に正当な推論規則」が、法規範1の適用を排除し、法規範2を受容する。結果として、結論2のみが導かれることになる。

最終結論:「Aを罰しない」[法規範2、事実1、2、推論規則]

なお、「法的に正当な推論規則」は、法規範ではない。法的な規則を形成するものは、法規範には限らないのである。

推論規則は法規範ではないゆえに法規範とは競合しない。

また、法規範1は例外を許容しているため、本判断が法規範1の存在と矛盾したものとはみなさなくてよい。

法的三段論法モデルに比べて、こちらの例外許容的ルールモデルの方が、法的推論の実情をよりよく捉えているようにみえる。


違憲合法論


憲法に関する法的推論についても、法的三段階論法モデルで捉えることはできない。実際、判例においても、例外状況がすべて組み込まれた一つの憲法規範が定立されているわけではない。法規範から演繹的に結論を引き出しているわけではないということである。

例外許容的ルールモデルによれば、法規範はデフォルトの判断を示しているだけで、例外を許容する。憲法規範についてもその他の法規範と同様に、例外を許容するものとみなすことになる。裁判所も憲法規範をそのようなものとしてみている可能性がある。

さて、例外許容的ルールにおいては、憲法をめぐる法的推論の一種として、「違憲合法論」の存在を認めることができる。

というのも、「違憲である法律は無効である」という憲法規範もまた例外を許容するものとみなすことができるからである。

一見するとラディカルな見解だが、「事情判決の法理」及び「違憲状態」なる概念の存在を認める限り、違憲合法論を排除することは難しい。

続いて「違憲合法論」がどのような推論によって表わされるものであるかを整理しておく。

なお、以下では自衛隊法を素材にするが、本法が憲法9条に反して違憲であることは仮定されている(私自身は自衛隊法が違憲だと考えていない)。

法規範1:法律案は両議院で可決したとき、例外がない限り、合法である。[憲法59条1項等から]
法規範2:違憲であるならば、例外がない限り、無効である。[憲法98条1項から]

事実認定1:自衛隊法は両議院で可決した。
事実認定2:自衛隊法は違憲である。

ここから二つの結論が出てくる。

中間帰結1:自衛隊法は合法である。[法規範1と事実認定1]
中間帰結2:自衛隊法は無効である。[法規範2と事実認定2]

中間帰結1、2が矛盾する。「法的に正当化された推論規則」によって、矛盾を解消する必要がある。

本件にあたって検討すべき推論規則は三つある。

推論規則1:特別法優越原理
特別法は一般法を破る。
なお、憲法59条第1項「憲法に特別の定めのある場合を除き」という部分は、憲法98条が本条の特別法にあたることを明示しているものとして読むことができる。通常ならば、本原理に従って、違憲である法は無効である。

推論規則2:形式的効力原理
上位法は、下位法を破る。憲法98条自身がこの原理を表明している。

推論規則3:事情優越原理
違憲である法律を無効とすることが対応不可能な混乱をもたらす場合、その法律は合法である。

事実認定と推論規則からは次の帰結がでてくる。

中間帰結3:自衛隊法は無効である。[事実認定2、中間帰結1、推論規則1、2]
中間帰結4:自衛隊法は合法である。[事実認定2、推論規則3]

推論規則を適用したわけだが、それでも中間帰結3、4が矛盾している。

そこで、推論規則1、2と推論規則3のどちらを優先するべきかを、さらなる推論規則(二階の推論規則)によって確定させる必要がある。

その推論規則の内容は、次のようなものになるだろう。

二階の推論規則:「事情優越原理」優先原理
特別法優越原理と形式的効力原理よりも、事情優先原理の方が優先される。

安藤氏は名前をつけていないが、仮に「事情優越原理」優先原理と名付けた。

ある法律に違憲無効判決を下すことが、法体系全体(憲法を含む)の存立を危うくするような場合、そうした法律は憲法98条さえ排除する。

このような二階の推論規則の導入によって、ようやく結論がでてくる。

結論:自衛隊法は合法である。[二階の推論規則(「事情優越原理」優先原理)]

※ 安藤論文では、「事情優先原理」と「二階の推論規則」を用いることなく「違憲合法論」を導く方策についても論じられている。興味深いが、こちらは本旨ではない(310頁)ようなので割愛する。

「法的に正当な推論規則」なるものが存在してよい理由としては、身も蓋もないが馬鹿にできない三つのものがあげられる。

1.ないと困るから‥‥‥推論規則を導入しなければ、法制定の負担が増える。後法優越原理、特別法優越原理、形式的効力原理がない場合にどうなるかを考えれば明らかである。

2.そういうものだから‥‥‥推論規則を導入しなければ、法体系を例外許容的な法規範の集積としてつくり上げることができない。

3.裁判所がそうしているから‥‥‥後述の通り、日本の裁判所が採用している「事情判決の法理」は実質的に違憲合法論である。法の変更や認定に携わる集団(公的諸機関)が受容しているルールの内実は例外許容的ルールモデルで捉えられるようなものなのである。


違憲合法論の意義


「違憲合法論」を認めることには二つの利点がある。

利点1:現実になされている法的推論のあり様の理解として適切である

判例からしても、裁判所は「違憲合法論」を認めているものとみることができる。

議員定数不均衡訴訟において適用された「事情判決の法理」は、違憲である法律も有効であるとしている点で、実態としては憲法98条が排除されるような推論規則を採用していると考えざるをえない。

「違憲状態」を宣言し、対象の無効という効果を認めない違憲状態判決も同様に、憲法98条を排除するような推論規則を採用していると考えるしかない。

「違憲状態は合憲である」と説明されることもあるが、これは判例でなされている判断実践についての正しい言語化ではない。実際に行われているのは「違憲かつ合法」という判断である。「事情判決」や「違憲状態判決」において現実に用いられている法理は、「事情優越原理(一階の推論規則)」及び、「事情優越原理優先原理(二階の推論規則)」なのである。

利点2:違憲性を批判しつつも、同時に法律自体の法的統制についても真剣に批判的検証ができる

安藤氏は、「違憲合法」という法的判断が法的に正当なものでありうるとも主張している。

というのも、この理論には、法理論としての有用性がある。

「違憲合法」を導いた有権解釈者たちは、「違憲である法律は無効である」という原則よりも、「無効とした場合の結果の重大性」という例外事情を優先したわけであるが、自身が「違憲である」と判断したことについては否定をする必要がない。

法律の違憲性は温存されているからこそ、「違憲である法律が存在していることの諸弊害」及び「違憲無効という原則を貫徹しなかったことがもたらす諸弊害」について批判し続けることが可能となる。

また、「合法」と結論を出していることから、その法律に基づき、現実の国家の活動が法的に統制されているかどうかを批判的に考察することも可能である。




面白い論考であった。法的三段論法批判と例外許容ルールモデルの提案に関してはなかなか腑に落ちる。

違憲合法論はラディカル過ぎてついていくべきなのか疑問であるが、「事情判決」「違憲状態判決」というよく分からないものを解明する議論になっているように思う。元々は故・小林直樹氏が提唱した理論で、支持は得られず今日に至るようだが、問題意識は了解できる。

安藤馨、2017年
「だが、小林の違憲合法論にはもちろん汲むべきところがある。私の見るところ、その核心的主張は「自衛隊は違憲であるが合法である」という法的認識を達成することによって、自衛隊を違憲であると考える者が同時に自衛隊の法的統制に真剣にコミットすることができる、ということにあるだろう。自衛隊を違憲だとしつつ、その自衛隊法から自衛隊が逸脱した場合にはその逸脱は違法であるとして自衛隊法に基づいて批判する、というそのようなことがどのようにして可能になるか、という小林の問題意識はまったく正当である。もちろん菅野に従って、憲法学者の解釈は学説に過ぎず法的には「無関連 irrelevant」なのだから有権解釈者が合憲だと言っている以上はその合憲である自衛隊法に基づいて自衛隊の法的統制を考えればよいだけだということもできるだろうが、この方策は当の有権解釈者の法的判断を導くことができない。裁判官を始めとする有権解釈者を含め一般的に法的判断を行うものが、ある法を違憲だと判断しつつしかしそれを無効とした場合の結果の重大性ゆえにそれをなお有効とし、その法に照らして国家の活動を法的に統制しようとする、ということが如何にして可能か、その前提としてどのような法的認識が必要とされるのか、という問いとして小林の違憲合法論の問題提起を捉えるのがよいだろう。」

『法哲学と法哲学の対話』(有斐閣)2017年 276-277頁

例外許容ルールモデルや違憲合法論はあるべき法的推論の姿ではないのかもしれないが、実際に司法によってなされている法的推論はそのようなものなのかもしれない。「どうあるべきか」だけではなく、「どうなっているのか」の分析も重要である。本論考でなされた議論は現時点では安藤氏の単独説なのだろうが、広く検討されてよい気がする。

ただし、この理論はつまみ食いされると「違憲でもまぁいいじゃん」という理解を広め、憲法軽視を深刻化させる危険も大きいように思う。実際どの程度の危険があるのかを示すのは難しいが。















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