法的三段論法モデルの限界?――安藤馨「最高ですか?」その①【法哲学、読書メモ】


安藤馨・大屋雄裕ほか『法哲学と法哲学の対話』(有斐閣)2017年、第6テーマ「最高ですか?」の読書メモです。マニアック



三大論法&法的三段論法とは?

大前提 人間はいずれ死ぬ
小前提 ソクラテスは人間である
結論  ソクラテスはいずれ死ぬ

これはよくある三段論法である(なお大前提、小前提、結論の数は複数あってもよい)。

この論法は、法的推論にも応用できると考えられており、定評のある法学入門書には「裁判における法の適用は、形式的には三段論法の形でなされる」(伊藤正己・加藤一郎編『現代法学入門〔第4版〕』有斐閣 2005年 66頁)などと書かれている。

とはいえ、実際の法的推論のあり方は、法的三段論法モデルで捉えられるほど単純なものではないという話はどこかで聞いたことがあった。

私としても、法的三段論法モデルで正当防衛などを本当にうまく処理できるのかなど疑問に思っていたものだが、法哲学どころか、法学に関してすら素人であるから深く考えずに通り過ぎていた。

ところが先日、『法哲学と法哲学の対話』(有斐閣)を拾い読みしていたら、安藤馨氏がその話に触れていた。

私なりに理解した内容を書いていくことにする。なお、私にとっての分かりやすさのため、安藤氏とは異なる表現によって整理している(安藤氏は量化記号を用いている)ので注意してほしい。より正確に考えたい方は原著をぜひ。


法的三段階モデルの欠陥

法的三段論法モデルというのは、大前提に法規範([要件]と[効果])を定立し、小前提として認定された事実をおけば、法的に正当化された結論が演繹的に導かれるとするモデルである。

法的正当性の源は、大前提にある法規範である。法規範の法的正当性が、認定された事実に転移することから、結論も法的正当性をもつということだ。

そして何より重要なことだが、このモデルにおいては、大前提を

大前提[法規範]:[要件]ならば、例外なく、[効果]である

と読まねばならない。例外を許容するならば、大前提と小前提から演繹的に結論を導くことはできない。というのも大前提の法規範が例外を許すものならば、小前提で認定された事実が大前提を適用すべきでない例外に当たる可能性を排除できないため、演繹的推論にはならないのである。

このモデルを用いる際の難しさは、大前提である法規範に、法的正当性の要件が全て書き込まれていなければならないところにある。正当防衛などの例外規定も、大前提たる法規範のうちにあらかじめ規定されていなければならない。

殺人罪を例にとろう。ここでも大前提たる法規範に、正当防衛などの例外規定が書き尽くされていないのならば困ったことになってしまう。

例えば、

大前提[法規範]:人を殺した者は、例外なく、死刑または無期もしくは5年以上の懲役に処する。
小前提[認定された事実α]:AはBを殺した。
小前提[認定された事実β]:AによるBの殺人は正当防衛によるものであった。

が与えられたとする。以上の大前提、小前提からは、

結論:Aを死刑または無期もしくは5年以上の懲役に処する。

が導かれる。

というのも、正当防衛の法的正当性については、大前提で定立された法規範には含まれていないためである。認定された事実βは結論に何ら影響を与えない。

法的三段階モデルに従った演繹によって法的正当性を確保したいのならば、大前提たる規範を定立する段階で、すべての例外事象を明示するしかない。

それは例えば次のように記述されるだろう。

大前提[法規範]:人を殺した者は、正当防衛に該当せず、緊急避難に該当せず、正当行為に該当せず、超法規的違法性阻却事由がなく、刑事責任能力があり、……であるときは、例外なく、死刑または無期もしくは5年以上の懲役に処する。

大前提の法規範が、例外を許さない普遍的なものとして定立されたならば、あとはそれを認定された事実に対して当てはめていけばよい。

ただし、この方法が実践上の困難を抱えていることは明らかであろう。

問題1 演繹に拘るのならば、定立された法規範は、例外を許さない。しかし、例外を許さないで済む完璧な法規範をあらかじめ定立することは実践的に言って不可能である。

問題2 法規範は当然長大になるが、事実の認定もまた長大になる。(正当防衛などの)例外状況に適用すべき法規範群も大前提たる法規範の一部であるから、それらすべてについての事実認定も行わねばならない。それほど長大な事実認定を行うことは実践的に不可能である。

こうした事情からいって、裁判実務における法運用を法的三段階モデルの適用とみなすことは妥当ではない。

実際、裁判官は定立された法規範のことを、将来あらわれるいかなる状況下でも破られないものだとはみなしていない。例外状況のすべてについて事実認定を行っているわけでもない。

ということで、現実の法的推論がどのようになされているのかを究明するためには、法的三段階モデル以外のモデルを探してみた方がよさそうである。

あるいは、法的三段階モデルが、実際のところはどういうモデルなのかをもっと詰めて考えるべきなのだろう。

話はまだ続くが、いったんここまでにしておく。


※ 余談
「大前提:人間はいずれ死ぬ。小前提:ソクラテスは人間である。結論:ソクラテスはいずれ死ぬ」に関しても、演繹的な三段論法として読むときは、大前提部分を「人間は例外なくいずれ死ぬ」と読まねばならないようだ。

法的三段論法モデルが演繹でなかったとしても、だからといって裁判実務に不都合が生じているとか、世の不幸が増えているかといったらそうとは限らないと思う。が、それはそれとして「法規範を適用するとはどういうことか?」という哲学的探求として安藤論文は興味深いものになっている。


【参考文献】

「第6テーマ 最高ですか?」安藤馨・大屋雄裕ほか『法哲学と法哲学の対話』(有斐閣)2017年



続きを書きました。




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