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恋愛の話

最初は小学校に上がる前の院内学級の頃だったので、明確な年を覚えていませんがある女の子に一目ぼれをし、院内学級を卒業するときに告白をし、養護学校の入学式の次の日に告白し、小学校三年生の冬休み前にその子が転校することをしり、また告白し、小学校六年生の三学期の一月に帰ってきたときに告白し、小学校卒業式の日にも告白をし、中学校に進学し新学級が始まった入学式の次の日にも告白をしました。間があいて最後に同じ子に告白したのが中学2年生の夏、最後に告白したときに


「いいかげん、私じゃない他の人のほうがいいんじゃないの?」

といわれました。いままで同じ子に6回告白していましたが、それまではすべて断られるわけでもなく、受け入れられるわけでもなく、じっと黙っていられ無言の時間が過ぎていく中で、先生に声をかけられたり始業時間のチャイムの音で


「じゃあいくね」

といった返事だったのでなかなかあきらめることができなかったのにチャレンジしていましたが、7回目でこういった断られ方をしてしまったので、がっかりしたという気持ちよりははやくいってよという気持ちのほうが強かったです。


そして他の相手を考えたときに、小学校3年生のころから通学バスで行き帰りずっといっしょだった4つ上の先輩にもひそかに好意をもっていたので、学校のマドンナ的存在の人でしたので、玉砕は目に見えていましたがどうしても次にむかうことで振られたショックを忘れようとしていたのだとおもいます。

当時担任だった先生と寮で生活していた部屋の担当の先生と相談して、なんとかその先輩と一緒に出かける機会を作れないかという話をし、協力してもらい先輩の卒業式から新学期が始まるまでの間で、私の担任の先生が先輩のボランティアとして付き添い、寮の先生が私のボランティアとしてつきそい、またその寮の先生が車をだしてくれ、車でディズニーランドに行きました。

あの当時の私は舞い上がっていてなにをしたか全然覚えていなかったのですが、後日付き添ってもらった先生たちに確認した所、行きの車はまったくなにもしゃべっていなかったが、ディズニーランドと帰りの車の中でお前かなりすごいこといってたぞといわれ、

「へ?なんですか」

と聞いて内容にすこし自分でもびっくりしました。というのもディズニーランドのシンデレラ城の中にあるガラス陶芸を売っているお店の前で、その先輩がショーケースに飾られているガラスの靴をみて、

「わあ、すごくきれい」

と言っていたときに、それを後ろでみていた私が間髪いれずにぼそっとつぶやくようにこういったようです。

「僕のシンデレラは君だけさ」

そのあと帰りの車の中で、私の担任の先生がその先輩の恋愛観的な話を引き出そうと、女子トークをしているときに、先輩が私はそんなに先生方がおもったり学校のみんながおもってくれるようなマドンナ的なものじゃないですよ。わたしなんてそんなにかわいくないですよと言っていたときに、そこは大きな声で


「〇〇先輩の魅力がわからないまわりの男どもがバカなだけですよ」

と言っていたそうです。いちおうその当時は連絡先は交換したのですが、当時は携帯電話もなくあまり連絡できなくなり、あちらも社会人になりいそがしくなり、こちらも思い出作りとしてのデートはできましたが、そこから先は当時電話を取り次いでもらわなければならないということもあり、なかなか勇気がなくそのまま疎遠になってしまいました。


のちに風の噂程度で聞いた話ですが、勤め先で出会った方と結ばれたそうです。


そのほか高校時代は夏に毎年障碍者と健常者が6泊7日で行うキャンプに小学校5年の頃から通っており、それは小学生から高校生までが対象で、私は毎年書類審査を通過し、面接を通過し毎年のように通っていました。


高校生の時にであった一つ下の健常者の女の子に、以前から面識があったその子は他の健常者の男女ともにどこかよそよそしい接し方や距離を置いた接し方をする中で、その子だけは自分の兄弟や幼馴染のように接してくれていたので、それにすごく惹かれていました。


こういう気持ちのもとで高校2年生の夏の時に、そのキャンプは高校3年生で行っている人はほぼいなかったので、これが最後のキャンプになるなと思い、なんとその子も参加することがわかり、最終日に山中湖のキャンプ場のキャンプファイヤーのフォークダンスの後に告白することを計画し、その当時の同じ部屋の健常者および障碍者の友達、および部屋の統括の大学生のボランティアの人にすべて自分の思いをはなし、なんとか協力をしてもらえないかとお願いしていました。


ですが、その当時は携帯電話こそ出始めでしたが、カメラ機能もなくまたデジタルカメラもまだまだ高い頃だったので、なんとかして自分にとって思い出となる一週間を記録に残したいと思い、写ルンです8つを買ってそれにすべて首掛けストラップをとりつけ、持っていくことにしました。


しかしこれが失敗の最大の要因でした。


私はなぜ首掛けストラップにしたかというと、いつでもどこでもスッと写真が撮れるようにしたく8つすべて車いすや自分の首にひっかけて常に持ち歩いていました。


ですが、それが思いを伝えようとしていた女の子からすれば、怖そうに見えたそうです。

キャンプ2日目の夜の消灯時間がすぎた10時以降、そのキャンプの責任者が社会人スタッフ数名がいる運営のテントに呼び出され


「〇〇ちゃんが君のことをとても怖がっている。いつでもどこでもカメラを持っていて盗撮されているのではないか、ストーキングされているのではないかと、ずっとびくびくしていると泣きながら相談があった。その子は看護師を目指しているので今年は最後の参加なのに、最後のキャンプが怖くて怖くてしょうがない。せっかくのキャンプを台無しにしたくないのでなんとかしてください。」


といわれたようです。責任者は私にこういいました。


「悪気はないのは知っているし、私もこの話をするにあたって他のスタッフにも聞いたので、このキャンプでなにをしようと考えているかもしっています。なので、その子にとっても君にとっても良い思い出にしてほしいので、はっきりと伝えました。」


私はショックで自分のバンガローに帰って泣いていたら、その泣き声が大きかったらしく寝ていたスタッフ、大学生のボランティアや障碍者、健常者の友達を起こしてしまい、顛末を泣きながらはなし、


「俺の恋は終わった、俺のキャンプは最悪の状態で終わった。」

と言いました。その後のキャンプの思い出がいまでも、考えてもなにも思い出せないくらい、そのあとの残りの5日間をどうやってすごしたのかまったく覚えていません。


後日、聞いた話によると私はまったく覚えていなかったのですが、翌日の夜同じ時間帯にスタッフが呼びにきて運営スタッフのテントで、その女の子がおり二人っきりで30分ほどはなす時間をもうけたそうです。女の子のはなしによれば私は泣きながら何度も頭を下げていたそうです。

女の子は


「4年間一緒のキャンプでいつも楽しそうにみんなと和気あいあいしているので、いい友人になれたらと思っていたのにとてもショックで残念です」


とはなしてくれたようです。

そんな話がありましたが、キャンプの数か月後に行われる思い出の会といってキャンプを振り返る一日があるのですが、その時にこの話を聞きましたが彼女とは直接はなすことはなく、疎遠になりかけていましたがその当時の同じ部屋だったメンバーが後日とても気を使い、約一年後に彼女の誕生日にバラの花束を持って会いに行って、そこでもう一度告白すればいいんじゃないかと励ましおよび説得をうけ、私も真に受けて彼女の誕生日に彼女の家の最寄り駅にいき、花束をわたし告白をしました。


ですが、もちろん玉砕しました。

今は看護学校にいて恋愛とかを考えている余裕はないといわれ、ごめんなさいといったあとに、でもせっかくだから一度ぐらいどこかに行きましょうかと言ってくれました。

そして後日、彼女と一緒にお昼ご飯を食べ一緒に映画をみに行きました。いまでもそのお店と観た映画は鮮明に覚えています。

そのあとはというと、NPOに通い始めたころですがそこの先輩たち、または学生時代の先輩後輩達と月一度程度カラオケをするという形で会っていたのですが、そこで皆の恋愛話をきき、またはプライベートの充実のはなしを聞くにふれ、また誰かを好きになりたいな恋がしたいなと思い始め、友達のはなしをうらやましく聞いていました。

そうしたときこういう言い方は失礼になりますが、次にターゲットにしたのがまわりをみたときにホームヘルパーであれば自分たち障碍者にたいしても、もともとから理解がある人がおおいであろうし、これからも長い付き合いができると思い意識するようになりました。

ですが、今思うとこの考え方自体が失敗していたと思うところがあります。

というのもヘルパーさんなら気持ちをわかっているからうまく付き合えるだろうとおもっていたことと、この業界は広いようで狭いということを後々気付かされました。一時期は女性から総スカンになり、なぜだろうと思っていたら自分に入っている男性ヘルパーから

「この業界には手あたり次第かたっぱしからヘルパーに告白する変わった障碍者がいるから気を付けた方がいいと警鐘をならす書き込みがSNS等にたくさんあった」

と書かれていることを知らされました。


NPOに入って2002年の頃遅ればせながら学生時代のクラスメイトのお母さんたちが呼びかけをし、20歳のお祝い会で、以前に七回告白してわたしはあきらめて他の人にすればといわれていた女の子から逆告白をされました。


その時にいまさら遅いよなんであの時に受け入れてくれなかったの?と言って断りましたが、じゃあ一度でいいから二人っきりででかけようと言われ、自分も最後に良い思い出を持てたことがあったので、OKしていったところ、ある啓発セミナーだよと障碍者であってももっと世の中に貢献できることがあるんだよといわれ、参加したところがある宗教の入会勧誘セミナーでした。


それからその子と付き合うのがこわくなり、わたしではなくわたしの父や母の影響力を目当てにしているのだなと感じたので、一気に疎遠になりましたが、わたしが一人暮らしをはじめNPOの正社員になったころに、友達を通じて再開するようになり、月1回皆であうときにだけ会うというような感じで付き合うようになりました。


そして時がたち、2010年ごろのはなしですが私が自分でヘルパー派遣の事業所をたちあげたころにその彼女から、


「おねがい、わたしをあなたの家に住まわせて。一緒に暮らそう」


といわれました。本人曰く家族と一緒に実家で暮らしていましたが、家族についていけないため、家をでたいが一人で暮らす自信もないので一緒に住まわせてほしいとのことでした。その彼女からは度々逆告白をされいましたが、このことをきっかけとしてじっくり話し合い、その後はそういったことはなくなりました。


こういった経験をしてきた中で自分が舞い上がてしまったり、すごく落ち込んでしまったり、前にもましてまわりに対してまわりの目を気にするようになったりとか、そういったことが多くなってきたので正直、恋愛って面倒くさいなと自分の中で思うようになってきてしまいました。
そうしたとき、女の子が好きだしかわいい子がみたいなと思ったとき


「あ、そうだ!アイドルを応援すればいいんだ!」

とアイドル好きになりました。それが今のアイドル好きという趣味につながります。

母親に言われたこともあり、将来の役に立つようになればという思いからか、気功に小4から行きはじめ25歳でNPOで正社員になるまで行っていたのですが、NPOでとった集合写真の意中の女性に気功を送るなどをしていましたので、気味が悪いといわれていたこともあります。


また、ベビーカーに乗っている子供をみると、自分のように障碍をもつ子にならないように元気に育つようにと手を合わせて祈ったりもしたこともありました。やはり自分自身もなにかしらに生かされているという思いがあるためそういった行動に出てしまったのですが、回りの人の目もあり、やめてしまいました。

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