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オータムインのピスキウム ~プロローグ~ ロスタイム

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「――なさい、――ウム。――なさい」

 暗闇の中、誰かの声があたしの耳に飛び込んできた。寝ている人の近くで大声を出すのはマナー違反だ。即刻、法律で禁止するべきだ。ぐぅ。

「――キウム。いいかげ――おき――」

 声は更に大きくなった。あたしの睡眠を妨げるつもりか。放っておいてくれ。あたしに構わないでくれ。
 あたしは両手で両耳を折りたたみ声から遠ざかろうと試みた。

「――、――。――」

 作戦成功。ぐぅ。

『起きなさい! ピスキウム!』

 雷のように鋭い声が脳に響いた。あたしを包んでいた眠気はどこかに吹っ飛んだ。目が限界まで見開き、全身に鳥肌が走った。

「え? なに? あたし?」

 反射的に辺りを見渡した。そこは学校の体育館ほどの広い空間だった。
 あたしの足元の床には、今あたしが着ているジャージと同じぐらい赤いカーペットが敷かれていた。チョーフカフカなやつ。カーペットが敷かれていない部分は、薄い青色のタイルが敷き詰められている。天井にはシャンデリアの森、遠くに見える壁にはカラフルなステンドグラス。そして……。

「ようやく起きましたか、勇者ピスキウムよ」

 背後から声が飛んできた。さっきまで聞こえていた声と同じだ。面倒の予感しかしない。ふわぁとあくびを1つ。誰がなんの用だというのさ。

 あたしはゆっくりと振り返った。長く伸びているカーペットに沿って視線が動いていく。しばらくするとカーペットが段差に酔って途切れた。それは、3段の短い階段だった。その向こうに背もたれが天井まで伸びている、4本足の白いイスが置かれていた。

 そして、そのイスに、白ウサギ人のおばちゃんがちょこんと座っていた。おばちゃんの頭には金色の王冠が乗っていた。なんだか、この世のすべてに疲れてるって感じだ。

「えー……と、どなた様で?」率直に訊いてみた。
「女王です。まさか忘れてしまったのですか?」

 まさかの女王様でした。だけど、全く記憶に残ってない。まだ寝ぼけているのかもしれない。

「あー。大丈夫です。はい」

 女王様が疑いの視線を向けてくる。あたしは思わずほんの少し視線をそらした。

「さて、そろそろ本題に入っていいですか?」
「あっはい、どうぞ」
「それでは、ウォッホン、ンン……。勇者ピスキウムよ、かの魔王を討ち、この世に平和をもたらしてまいれ!」

 女王様がいい終わると同時にガシャンと後ろで大きな音がした。後ろを振り返ると、天井まである大きな扉がすぐ後ろに出現していた。その扉は、開いていて、向こう側は光りに包まれていた。眩しい。
 あたしが見ている先で、光は渦を巻き初めた。そして、あたしはその扉に吸い込まれていった。

「うえー、気持ち悪……」

 気がつくと、古びた石畳の上で寝そべっていた。三半規管がグラグラして気持ち悪い。おまけに背中が痛い。
 身体を上げる気力がなかったので、身体を右にずらすだけにとどめた。頬に触れる石畳がひんやりと気持ちいい。
 あたしはそのままの姿勢であたりを見渡した。

 建物も人々も全体的に古臭くみすぼらしかった、まんま中世の田舎町――あたしの勝手なイメージ――といった世界が広がっていた。

 そのまま視線だけを動かして観察していると、周りの人々も、あたしを観察していることに気がついた。頬が熱くなってくる。

「いやー、あたた、転んじゃったなー」

 あたしはピョンとすばやく立ち上がった。若干早口になりながらも、とっさにうまい言い訳が出せたと思う。うん。
 だけど、公衆の面前で地べたに寝転んでいるのは、うん。アレだったな。流石にやる気がなさすぎるよ、あたし。
 ありがたいことに、周りの人々は何事もなかったかのように歩き去っていった。

 さてと、魔王退治、どうしようかなあ。色々突っ込みたいことはある。なんであたしがとか、魔王ってどことか、魔王……魔王かぁ。多分強いんだろうな。期末試験ぐらい。ああ、やだやだ。めんどくさっ。
 ……しかしまあ、ここでグラグラ言ってても埒が明かない訳で。とりあえず、知ってる人がいそうな場所に行ってみるかな。
 そんなことを考えていると、都合よく〈人が集まるパブ〉と描かれた看板を見つけた。

〈人に集まるパブ〉は、木製の小奇麗な2階建ての建物だった。入口の上にパブと書かれた看板が風に揺れている。屋根から突き出た煙突からはモクモクと煙が出てくる。
 パブを観察していると、閉じた扉の先から大勢の笑い声が聞こえてきた。扉を開けると、予想通り多数の酔っぱらいがいたるところで騒いでいた。うへぇ。

「ちょっと通りますね。失礼しま……痛い! 押すな!」

 酔っ払いをかき分けて進み、なんとかカウンターまでたどり着いた。運良くスツールが1つ空いていたのでそこに座った。
 すると、カウンターの向こうにいたクマ人のおじさんが、料理に集中しつつそういった。

「いらっしゃい、ご注文は?」
「情報が欲しいんですけど。魔王って知ってます?」
「魔王?」
「そう、魔王」
「どの魔王だい?」

どの? 魔王って複数人いるってこと? よくわからない。だって、女王様は"魔王"って単数形でいってたじゃん。

「えっと、それじゃあ……一番近い魔王で」
 我ながら適当だなあ。

「それなら……ああ、恋の魔王だな」
「恋の……じゃあそれで。詳しい話を聞かせてもらえますか?」
「それなら……」

 クマおじさんは、おもむろに後ろを向いた。棚に乗せてある樽から黄金色の液体をジョッキに入れて、あたしの前に置いた。

「これは?」
「これを持っていけば、本人に会えるから直接訊くといい。ほら、こぼさないようにな」
「あっはい」

 あたしは慎重にジョッキを持った。ジョッキから、独特な匂いがした。ビールは苦いから嫌い。父さんは、ビールは甘いというけど、アレは味覚がおかしくなってるんだと思う。

「それで、これをどこに持っていけばいいんですか?」

 あたしがそう尋ねると、クマおじさんは親指で天井を指した。上? 空の上とでもいうのだろうか。

「2階だ」

 めちゃくちゃ近くだった。いやいや、流石に近いにもほどがあるのでは? まあ、楽だしいいけど。

「わかりました、ありがとうございます」

 あたしは席を立って軽く頭を下げた。慎重に酔っ払いたちの間を抜けて、店の隅にある階段を上っていった。

 階段の先は廊下になっていて、端まで伸びていた。突き当りで銀色の扉が半開きになっている。扉の隙間から、真っ赤な紅葉が溢れていた。
 なにか、誘われている気がする。……。
 あたしは、紅葉を踏み分け、扉をくぐった。

「はーい。可愛いお嬢ちゃん。元気してる―?」

 鮮やかな紅葉が敷き詰められている部屋の中央で、オオカミ人の女性が木製の椅子に座っていた。銀色のショートカット。赤と黃と白と黒が混ざったドレス。自信満々な表情。全体的に上品な感じ。
 全身からなんかオーラでてるし。これが魔王か。

「まぁ、ぼちぼちです。ところで、つかぬ事をお聞きしますが、あなたが、えっと……恋……の魔王さん?」

 さっきは軽く流したけど、恋の魔王ってどうなの? いってるこっちが恥ずかしいんだけど。

「んー? なんかそう呼ばれることもあるね。うん、私が恋の魔王よ―。……ところで、そのビール。私の?」
「そうです。どうぞ」

 そういって、恋の魔王にジョッキを渡した。彼女は、ジョッキを受け取ると、一息で中身を空にしてしまった。
 さっき感じた上品さはどこへ行ってしまったのか。これが魔王か。

「やっぱりピートさんのビールは美味しいな―。持ってきてくれてありがとね!」
「うい」
 あたしのクチから思わず生返事が出てきた。目の前にいるのは、美人だけど少し残念なお姉さんにしか見えない恋の魔王。……どうすればいいのさ。

「えっと、もう一度訊きますけど……魔王なんですよね?」
「そうらしいよ。恋の魔王だって」
「それじゃあ、やっぱ世界征服とか侵略とかするんですか?」
「えっ? そんな事はしないけど」
「えっ?」

 恋の魔王はキョトンとした顔であたしを見ている。多分、あたしもおんなじような表情をしていることだろう。もう、あたしには魔王がなんなのか分からなくなってきたよ。

「……それでは、普段はどんなことをしてお過ごしで?」
「んー、そうだねえ。大抵はあっちこっちフラフラしてるかなあ。ほら、私の後ろにカメラがあるでしょ? あれで写真を取るんだよ」

 いつの間にか、恋の魔王の後ろにあたしの背丈ほどある一眼レフカメラが置いてあった。なるほど、あれが魔王の武器というわけだ。

「なるほど、あのカメラで撮るなり殴るなりして人の魂を奪ってるんですね」

 ビシッ! っと、あたしの人差し指が恋の魔王に伸びる。

「え? 魂? よくわからないけど違うよー。きれいな景色を撮るだけだよ。見る?」恋の魔王は、足元の紅葉を数枚拾い上げた。紅葉は、彼女の手の中で写真に早変わりした。「ほら、これとかよく撮れていると思うんだけどどうかな?」

 あたしは、差し出された写真を受け取った。どこかの山の中だろうか、とても綺麗な紅葉が、辺り一面についていた。初めて見る景色だけど、なぜか懐かしさを覚えた。あたしは写真を彼女に返した。

「ええっと、そうですね、美味く撮れている、と思います。……本当に綺麗です」
「ふふ、ありがとう」

 恋の魔王は写真を優しく床に落とした。写真は再び落ち葉に変わり、床を彩るグラデーションの一部に戻った。
 さて、この時点で恋の魔王をぶっ飛ばす気は0だ。悪さをしてる様子もなさそうだし。女王様がいってた"かの魔王"ってのは別の魔王のことだろう。そうに違いない。いや、あたしがそう決めた。
 さて、そろそろ帰ろうかなと思ったところで、さっきから頭の片隅に浮かんでいた疑問を思い出した。

「そういえば、なんで"恋の"魔王って呼ばれてるんですか?」
「そうねえ。私が自称し始めたわけじゃないからねー。多分、恋愛相談とかよく受けているからかなあ。ほうっておけないんだよねえ」
「なるほど」
「なになに? もしかしてお嬢ちゃんも悩みがある感じ? 気軽に相談してくれていいよ―」
「いえ……そういうのは間に合ってますんで。大丈夫です」

 すっごく世話を焼きたそうな恋の魔王には悪いけど、今のあたしに恋なんて無縁だ。

「さて、それじゃあ、そろそろ帰ります」
「あらそう? それじゃあまたね。いつでも相談にのるからね―」

 あたしは、彼女に見送られて部屋を出た。
 1階に戻り、さっきと同じスツールに座った。

「どうだった?」
「どうしたもこうしたも、人違い……魔王違いでした」
「そうか」

 くまおじさんは短くそういうと、ビールを入れたジョッキをあたしの前に置いた。

「サービスだ」
「え、あ、ありがとうございます。だけど、あたしはビールが苦手で」
「いいから、飲んでみな」

 むぅ、そこまでいうなら。ゴクリ。

「!?」

 あたしの耳がピンと立った。そのビールは、これまで飲んだどの液体よりも優しく、少し苦く、暖かく、そして甘かった。

「どうだ、美味いだろ」

 クマおじさんはがほんの少しだけ口角を上げていった。
 あたしは、ただうなずくことしかできなかった。口がジョッキを離さなかったからだ。

「あれ? もしかしてピスキウムじゃない? ……やっぱりそうだ。こんなところで何してるの?」

 ジョッキを半分程度カラにしたところで背後から声をかけられた。そこには、旧友のパムとトーマスが立っていた。なぜか、二人とも年季の入った鎧を着ていた。学芸会?

「2人こそ何してんのさ」
「僕たちは魔王を討伐する旅をしているんだ。いわゆる勇者ってやつだね」
「へー勇者。……マジで?」
「そだよ。どうしたの?」と、パム。

 まさかの同業者だった。だから鎧を着ているのか、納得……。いや、納得出来ないわ。だってあたし、ジャージだよ?

「いや、なんでもない。それで、恋の魔王を討伐しにここにきたって感じ?」
「え? 恋の魔王? ――ぷっ、あはははは! ピスキウムにしては面白い冗談いうじゃん! クックククク」

 パムの笑い声が癪に障る。こんにゃろ。必殺後ろ飛び蹴りを食らわせてやろうか。視線を横にずらすと、トーマスが笑いをこらえていた。お前もか。こんにゃろー。

「あのね、僕たちは情報収集をしにきたんだよ」
「そうそう、情報を集めるには人が集まるところで、人が集まるところは酒場ってね。だから……ククッ、恋の魔王? ってのは関係ないよ。――恋の魔王ってククク」
「テメェこんにゃろー! 笑ってんじゃねーぞすっとこどっこい!」

 あたしは立ち上がり、パムに必殺後ろ飛び蹴りを食らわせようとした。しかし、トーマスに止められてしまった。

「まあまあ、落ち着いて」
「ごめんごめん、ツボに入っちゃって」
「……ふん。まあいいさ。さっさと勇者に仕事に行ってきな」
「うん、また今度ね」「ばいびー」

 2人は人混みの方へ歩いていき、すぐに視界から消えた。寂しくはない。それは遠い昔に置いていった。
 気を取り直して、ビールを口に含む。今のあたしにはこれさえあればいい。寂しくは、ない。

「ねぇピー。置いていかれたと感じてるんでしょ? あなたから勝手に離れていったというのに、身勝手なお姫様ね」

 すぐ隣から鈴のように透き通った声が聞こえた。同時にヒイラギの香りが周囲に漂ってきた。
 周囲の喧騒が消えていた。いや、喧騒だけではなく、クマおじさんも、その後ろのビール樽も消えていた。残っているのは、あたしの座っているスツールとカウンターだけだ。

「うるさいなあ。最初に逃げたあんたにいわれたくないよ」
「たしかに」

 彼女はカラカラと笑った。

「で、ここで何してるの?」
「ふふ……知りたい?」
「正直、どうでもいい」
「まぁ、ひどいわ」

 そういって、彼女は再びカラカラと笑った。どうやら、自信のことを語る気はないらしい。それならそれでいい。これ以上、わたしから彼女に訊くことは何もない。どちらにせよ、彼女にはもう語る口はないのだから訊いても無駄だ。

「それじゃ、あたしはそろそろ行くから」

 ジョッキに残ったビールを飲み干して立ち上がった。最後まで、彼女を見なかった。

「うん……あ、最後に1ついい?」
「なに?」

 あたしは、彼女に背を向けたまま言葉の続きを待った。

「私のことはさ、もう忘れていいんだよ?」

 その言葉を最後に、彼女の気配と周囲に漂っていたヒイラギの香りが消えた。何もない世界に、あたしだけが取り残された。

「それができたら苦労はしないっての」

 小さな独り言は、誰にも届くことはなかった。

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