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殺し屋イヌイ ワンナイト・ブリッツ!!

 

 標的のサカモトがいるはずの場所は、T町の外れの、深い森の中にぽつんと建っている工場跡だ。工場の持ち主はとうの昔に事業をたたんでいる。土地の所有権は他の誰かに売り渡したらしく、今では誰も寄り付かず、ただただ廃墟が放置され続けている……らしい。先程、突発の簡易ブリーフィングで得た情報だ。要するにだ、誰かがこっそりと悪事を働くにはうってつけの場所だということだ。

 サカモトは、テロリストだとか武器商人だとか呼ばれている。いわゆる危険分子ってやつだ。俺達はそんな奴らの魂をこの世から消すことを生業としている。

 つまり殺しだ。

 え? 誰がそいつを危険分子と決めるかって? そりゃ……俺は知らない。仮に上に聞いても教えてくれないだろうし、そもそも俺自身、興味がない。なぜなら知ったところで何かが変わるわけではないからだ。どうせどっかのお偉方が決めてるんじゃないか?

 もちろん、これは危険な仕事だ。危険、キケン、きけんの3Kだ。しかもそのくせ給料は高くない……いや、一般企業に勤めている同世代のやつに同じぐらいだろう。……ん? なんでこんな仕事してるかって? 別にやりたい仕事なんてないし、たいした学歴と資格がないから転職したところでたかが知れてるってもんだ。幸い、俺には適正があるとボスが言っていたし、俺もそう最近はそう思い始めてきた。

 よし、概要はわかったな? じゃあ始めよう。

~~

 生暖かい雨の中、鉄製の門の脇にある"立入禁止"と書かれた看板が、俺の手元の小型ライトから発射される細い光で照らされている。一応ビニール傘を差しているが、雨は容赦なく靴とズボンの裾を濡らしやがる。この辺りはすでに深い森になっていて、当たり前だがひとけがない。

 俺は一体全体なんでこんなところに突っ立っているんだ? ……もちろん仕事だからだ。さっさと終わらせてしまいたい。家に帰ってシャワーを浴びてビールを飲んで寝てしまいたい。

 小型ライトの電源をオフにして肩掛けカバンにしまい、代わりにスマートフォンを取り出して時刻を確認する。そろそろ日が変わりそうだった。まったく……。溜息がこぼれる。花金とはなんなのだろうか。

 スワイプしてロックを解除。アドレス帳に登録されている"営業部"を選び電話をかける。いつものルーチン。3コールで相手が出る。

「お疲れ様です、イヌイです。今、立入禁止区域の前まで来ました」

『ボーヤ君、お疲れ様。夜遅くにごめんね。何か問題はある?』

 女性の声。営業部のリーダーのヤギさんだ。ちなみにボーヤとは俺のあだ名だ。入射当時にヤギさんに命名された。チームで最年少でやや童顔だからというのが理由。今では俺より若いやつもいるというのにこのあだ名が変わる様子はない。まったく……。

「いえ、大丈夫です。これから侵入します」

『分かったわ。予定通りならターゲット以外にも何人かいると思うから気をつけてね。全員やっちゃっていいから』ヤギさんが軽い口調でいう。

「はい、わかりました」

『あっ、それとまりちゃんの準備もそろそろできるみたいだから、イヤホンとマイク忘れないでね。じゃあ、安全第一で行きましょう』そういって通話が切れた。

 俺はスマートフォンをサイレントマナーにしてから懐にしまう。映画や小説で隠密行動をしているときに突然アラームが鳴って気づかれる場面を見たことがないか? 実際、現代は電話やメールだけじゃなく、ゲームやSNSの通知がいつ来るかわからない。だからサイレントマナーだ。

 次に肩掛けカバンから無線イヤホンを取り出し左耳にはめる。そして特製超小型咽喉マイクを喉元にピタッと付ける。これらの製品はすべて"DIY部"が作ったものだ。"DIY部"ってのは……仕事の役に立つ装置を作ってる部署だ。

 雨の中、順調に装備の最終確認をしていく。イヤホン、マイク良し。靴紐良し、黒いゴム手袋――これは単純に指紋を残さないため――良し。肩掛けカバン良し。そして拳銃良し。

 拳銃を手に取りじっくりと眺める。闇に溶けるつや消しブラック。銃口の先にサプレッサー。そして、通常の5倍ほどの銃弾が入る特殊マガジン。うーん、見た目はかなりダサいけど……マガジン交換が苦手だから仕方がないよな。

 最終確認を終え、すばやくあたりを見渡し、再度ひとけがないことを確認して、軽々と門を乗り越え、立入禁止区域に入った。頭の中にあの有名なスパイ映画のイントロが流れる。俺は現代の忍者。

~~

 目的地の工場跡に向けて道から森の中に少し入った場所を悪態をつきながら歩いていく。地面は雨でぬかるんでるし、ライトが使えないから木の根っこやら何やらに引っかかりそうになるが、隠密だから仕方がないが。

 どれだけ歩いたか、時間と距離の感覚がなくなりかけた頃、遠くの方で小さな光が見えた。その光に向けて進んでいくと、木が生えていない、大きくひらけた場所に出た。目的の工場跡がそこに鎮座していて、光はそこから漏れていた。そこそこ大きなパーティーが開けるデカさだ。

 俺は特製小型望遠鏡を取り出す、これは、超望遠モードやAR(拡張現実)モード。暗視モードに赤外線モード、更には視界に映る人間がすべてカボチャに見えるモードなど、多彩なモードが備え付けられている。ま、半分以上は"DIY部"の悪ふざけだが、上手く使えばとても便利だ。上面についているダイヤルを回し倍率を上げて森の中から工場跡を見る。

 壁は見るからにボロボロでまさにザ・廃墟という感じだ。壁にかろうじてしがみついている窓の一部から明かりが漏れている。窓の位置から考えると、おそらく工場は3階建てだ。時折、明かりが漏れている窓を人相の悪い輩が通り過ぎる。見張りだろうか。

 工場の正面に大型のシャッターがおりている。そして、シャッター付近にいくつものタイヤ跡が残っている。敵は想定よりも多いかもしれない。

『あーあー、マイクテスマイクテス、らららーららー。……ゴホン。イヌイッチ聞こえるー?』

 突然、通信が入りイヤホン越しに俺を呼ぶ声が聞こえた。無駄に大声で甲高く早口。同僚で俺の後輩、ネコタ姉妹の妹、ネコタ・マリだ。いつでもテンションが高くてウザイが、眠いからか普段以上にうざったく感じる。

「良好、うるさすぎるぐらいだ。いや、うるさい」

『オッケーオッケー、マリちゃんもオッケだよー』

 彼女の声が頭にガンガン響く。あっちは声を抑えるつもりがないようなので、イヤホンに手をやりボリュームを下げる。

「それで、ネコタはどこにいるんだ?」俺は訊いた。

『マリ』

 返答はそっけなかった。先程までとは違って硬い声だった。

「……マリ君はどこにいるんだ?」

『マリ』

 はぁ……。頭痛がしたところを指で揉む。ネコタ姉妹は2人共、なぜか下の名前で呼ばれないと機嫌を悪くする。しかも呼び捨てオンリーだ。年上で先輩の俺にも強要させる。ここで俺が強硬に出て後でパワハラといわれるとが目に見えている。

「……で、マリは今どこに?」

『上だよー』

 俺はビニール傘越しに頭上を見上げた。黒い空を背に木の葉が雨を浴びてフラダンスを踊っている。どこにも彼女はいなかった。いくら彼女が小柄だと言っても流石に木の葉の中には隠れられない……はずだ。俺はしばらく頭上を見ていたが、ついに彼女が現れることはなかった。

『えー? わからないの? こっちはバッチリ、イヌイッチのこと見えてるのに』

 なるほど。俺は双眼鏡を暗視モードにして再度空を見上げた。すると、木々の向こう、高いところに円盤状の熱源が浮かんでいるのが見えた。俺の視線に気がついたのか円盤状の物体がくるくると回った。

「ドローンか。今回のは小さいな」

『そだよー。なにせ、急だったからね。これぐらいしか用意できなかったよ。本当は直接行って一緒に仕事したかったんだけどー。ごめんね、ちゅっ!』

 普段は現場に出たがらないくせに何をいってるんだ。しかも「ちゅっ!」って。

 簡単に説明しとくと、ネコタ妹は殺し屋兼発明家で、こうやってドローンを使うことが多い。いや、発明家件殺し屋といったほうが正しいか。"DIY部"にも在籍していて、時間があればそこで色んな装置を発明したり改造しているらしい。

「いや、いいよ。ネコ……マリが直接来るよりドローンの方が頼りになる」

『あっ、ひっどーい。まぁ、それもそうだけどね。直接作業は苦手だし』そういってカラカラと笑う。

「それで、武装は?」

『さっきも言ったけど、急だったからね。マシンピストルしかついてないよだからあまり期待しないでね―』

 マシンピストルだけか……。俺より高火力だし文句はいえないか。

「了解。俺はターゲットを捕捉するまで隠密に徹するつもりだから、不用意に発砲しないでくれよ」

『オッケー!』通信がきれた。本当に大丈夫なのだろうかと若干の不安が残る。

 双眼鏡はもう使わないから閉じた傘と一緒に木の陰に置いておく。持っていってもかさばって邪魔なだけだし、後で回収してもらおう。ウインドブレーカーのフードを被り口元にバンダナを巻く。よし、行こう。

 拳銃を持ち闇夜に紛れるように静かに、しかし素早く工場に向けて走る。上空でドローンが静かについてくる気配を感じた。

~~

 壁にピタリと身を寄せる。シャッターをこじ開けるか近くの窓から侵入して特攻するという案が頭に浮かんだが3秒でかき消す。早く帰りたいからって流石にそれはないよな。代わりに壁つたいに進み、侵入に適している場所を探すことにした。

 ゆっくり進み、工場跡の角を曲がる。すると、木材やタイヤなど、何に使っていたのかわからない大きめの装置が無造作に置かれている空間に出た。ここには生きているものは俺以外いない。

 壁に大きめのひさしがついていて、そこに乗ることができれば上から奇襲をかけれるかもしれない。俺は廃材に足を取られないように注意しながら庇の下まで歩いた。

「聞こえるか?」

『はいはーい。感度りょうこーだよ!』

 テンションの高い返事。よく考えれば彼女は室内にいるのだから俺と違って気楽なのは当たり前か。

「見えていると思うけど、今、工場の東側、推定廃材置き場にいて、そこから3階まで登ってみようと思う。周りの状況はどうだ?」

『人影一つ見えないから安心していいよ』

「了解」

 俺はタイヤを広いひさしの下に積み重ねる。空気は抜けているが、ホイールが付いているおかげで案外安定感はありそうだ。揺らしてすぐに倒れたりしないことを確認する。……よし。

 拳銃をベルトにさし、タイヤによじ登る。タイヤタワーは崩れなかった。そして、ひさしに向かって飛んだ。両腕がひさしに乗る。ギィッと嫌な音がなり一瞬ヒヤッとしたが、なんとか登ることができた。雨で足が滑らないように注意して、さらにもう1段上のひさしへ飛ぶ。さながらクリフハンガーだ。この高さなら落ちても死ぬことは無いと思うけど。

 登ってあたりを見渡す。ヒビの入った窓ガラスが俺に「旦那、ぜひここから中に入ってくださいよ」と、いっている気がした。中は暗くてよく見えない。俺はこれ以上濡れていたくなかったのでさっさと中に入ることにした。運良く窓ガラスに鍵はかかっていなく、少し力を入れるだけですんなりと開いた。


~~

 中は男用トイレだった。

 床に着地すると、溜まっていたホコリが舞い上がり俺の目を刺激する。バンダナ越しでもホコリとトイレ特有の不快な臭いが鼻につく。ぱぱっと服についた水滴を落とす。そして暗視サングラスを取り出して装着。視界が暗緑色に変わる。サングラスである必要性は不明だが軽いし便利だ。

 ドアの向こうは廊下だった。……当たり前か。廊下は静かで工場を雨が叩く音以外は何も聞こえない。流石にこんなところまで監視を回すほど警戒をしていないようだ。

 通路は左右に別れている。確か大型シャッターが見えた方は右側だったはずだから……左手が手薄か? ということで俺は左手に沿って進むことにした。

 廃墟観光を楽しみながら(突発の夜勤なんだ。特別手当が出るかわからないし少しぐらい楽しんでもいいだろ?)どんどん廊下を進んでいく。窓ガラスの外では相変わらず雨が元気に降り続いている。反対側、内側には当たり前だが部屋が隣接しているのだが、なぜかドアがあるはずの場所に設置されていなかった。持ち主が撤退するときにドアを持っていったのだろうか?

 一応、ワンチャンス、サカモトが寝ていたりしていないかと部屋を確認していたが、ボロい椅子や机や機械の残骸が転がっているだけだったので、途中から部屋を確認するのを止めた。

 早くも廃墟観光に飽きてしまった。見る場所がなく仕方なく窓の外を見る。誰だって動かない建物よりも動く雨のほうが見てて楽しいだろ?

 すると、突然視界が真っ暗になった! しかしそれも一瞬のこと、すぐに視界は元に戻った。そして、遅れて雷の音が耳に届いた。暗視サングラスの機能が働いたんだ。簡単に説明すると、突然の眩しい光を完治すると、自動的に遮光モードになり目を保護してくれるということだ。これ、確かネコタ妹が作ったんだっけか。後で訊くか。

 と、タイミングよくネコタ妹から通信が入った。

「もしもし?」

『もしもし? 今、大きな雷がしてすごくてビックリしたよ―!』

  通信が来たかと思えばノンキなものだ。今度、とことんプロ意識について語ってやろう。え? さっきまで廃墟観光がどうとかいってたって? それはそれ、これはこれ。

「ああ、そうか。大変だな」会話を打ち切って先へ進む。

 そこまで長くない廊下の突き当りまで何事もなくたどりついた。右手へ伸びている廊下と、下階へ向かう階段がある。この階にはなにもないだろうから下に行くことにした。

「3階はクリア。これから2階に向かうから、マリも準備しておいてくれ。そろそろ接敵しそうな気がする」

『…………』ネコタ妹からの返事はなかった。

 俺はもう一度同じことをいったが、返事はなかった。イヤホンを外して確認してみたが、エラー表示はされていない。つまり、問題なく通信はつながっているはずだ。

「おい、マリ? 聞こえてないのか? なにかトラブルでも起きたか? それとも便所か?」

『……それ、セクハラだよ。さいってー』

 やっと返事が返ってきた。ぶすっーとした声だった。また拗ねてるようだ。はぁ……。

「今度はどうした、マリ。いいたいことがあるならいってくれ」

『……さっき、雷がすごくて、びっくりしたのに……なんか返事がてきとーだった。……マリのハートはとても傷ついたよ!』

 疲労感が俺を襲った。俺と彼女は今、仕事中だ。そのはずだよな? しかも、命の危険を伴う仕事だ。今回は俺の命だけなんだけどさ。とにかく、危険な仕事だ。だから集中する必要があるし、極力無駄話も控えるべきだと思っている。……俺の考え、間違っていないよな? 俺は心の中で大きな溜息をついた。

「はぁ……」あ、口に出てしまった。

『なにが「はぁ」なの!? 女の子が雷に怯えてるっていってんの! もう、信じられない!』怒鳴り声を聞くかぎり、彼女は雷に怯えていないようだが。

 俺はさっさと折れることにした。いつものように。いつものルーチン。

「悪い、いや、ごめんな。集中してたから気の利いた返しができなかった。そうだよな、確かに雷は大きかったし、ドローン越しでもビビるよな」

『そうだよ! ドローンは周りの音を増幅させて拾わせてるからすごい大きかったんだよ!』

「なるほど、そりゃビビるわ。……なるほどな!」

『そうだよ! 女の子の心は繊細なんだからね! ……まぁ、正直に謝ってくれたし許してあげる。その代わり、今度〈喫茶アーリ〉のロイヤルデラックスフルーツパフェスペシャルを奢ってね』

「はいはい。それじゃあ俺は2階に向かうから準備頼むな?」

「あいよー」通信がきれた。

 やれやれ、ただでさえ忙しいというのにガキの子守付きだとはね。特別手当をもらわないとやってられない。疲労感を振り払おうと暗闇の中で軽くストレッチをした。雨は未だ降り続いている。

 しかし、サカモトは何をやらかそうとしているんだ? いや、いいや、何をやろうとしていたとしても――それが慈善事業だったとしても――俺はやることをやるだけだ。手の中に収まっている拳銃が俺を導く。くそっ、俺をこんな目に合わせやがって、絶対許さねえからなサカモト!

~~

 階段を降りる。廊下は前方と右手に伸びていて、右手の奥に明かりが灯っている。俺は姿勢を低くして右手へ進む。

 廊下の光度が高くなるにつれて、暗視装置の効果が弱くなっていく。

 たしかオート補正機能が付いてるって説明されたっけな。問題点は、壊れかけた蛍光灯の近くとか、光が不安定な場所だと暗視装置の効果が頻繁に変化するので目が疲れるところだ。俺はメリットとデメリットを天秤にかけ、暗視サングラスを外すことにした。

 視界から緑が消え、暗闇が俺を向かえた。暗闇に目を慣らしながら、奥の明かりに向かって俺は歩いていく。さながら遠くのオアシスを目指し歩く放浪者か。あの明かりが蜃気楼じゃなければいいが。

  この階も部屋と廊下の間に扉がなかった。初めから部屋は無視することにした。誰かがいたらその時はその時だ。が、階段から3つ目の部屋の前に近づいた時、中からした微かな物音を聞き逃さなかった。俺はすばやく入り口の脇に立つ。拳銃を両手で握り安全装置が外れているのを指で確認する。

 部屋の中から小さく息を吐く音、そしてタバコの臭いがした。吸って、吐いて……吸って、吐いて……吸って……。

 サッと入口の前に立ち、部屋の中、タバコの火が照っている場所を撃つ。間髪入れず2発目をその下、腹部辺りに放つ。

 プシュ! プシュ!

 サイレンサーにより抑えられた銃声が2回。確実に殺るために最低2発は撃ち込め。ボスの教えだ。なお、ボス自身は大抵ヘッドショット一発で終わらせてしまうらしい。恐ろしい。

 中にいた奴は射撃音にギリギリかき消されない程度に小さくうめき声を上げて床に崩れ落ちた。俺は拳銃を構えたまま近づく。

 奴は床に投げ捨てられたマネキンのような姿勢で絶命していた。足元には火のついたままのタバコが線香代わりに転がっている。死体のそばの机の上には短機関銃が置いてある。

 俺はタバコの火を踏んで消し、短機関銃を手にとった。例にもれず、典型的テロリストが使用しているタイプだ。粗悪で無骨で必要以上に弾をばらまく代物。マガジンを確認すると弾はフルに入っていた。質は悪いが使えないことはないので、持っていくことにした。

 廊下に出て、再び明かりの方へ向かう。

 景色が明るくなった。暗闇が俺を隠しきれなくなったということだ。ここからは更に慎重にだ。

 俺の3歩先の右手が、先程までの汚い壁ではなく、塗装が剥がれて錆びている手すりに変わっていた。そして、下から人の話し声が聞こえてくる。どうやら、工場中央は吹き抜けになっているらしい。2階の天井についている、細長い蛍光灯からまばゆい光が辺りを照らしている。そういえば廃工場なのになんで電気が通っているんだ? ……まぁいいか。

 俺は手すりのギリギリでしゃがみこんで下を覗いた。

~~

 1階は元は作業現場だったようで、中央に大きなベルトコンベアが付いた装置が等間隔で並んでいる。周りにはよくわかない中型の装置が設置されている。いくつかのベルトコンベアの上には木箱が置かれている。木箱はなぜか綺麗で新品だ。サカモトが持ち込んだものか? 銃器とか爆発物とか、食べたら興奮するバナナとかか……? 俺と反対側の廊下の下は大きく開けた空間になっていて車両が3台止まっている。どれも黒いバンタイプだ。車両の向こうに大型シャッターが降りていて、床に、泥で作られたタイヤ痕が付いていた。

 いかにもテロリストですよといった風貌の男たちが各々思い思いの場所でのんびりしている。全員が短機関銃や拳銃など何かしらの銃器を持っている。ただ一人だけ、顔の彫りが濃いムッキムキの大男はマチェーテを持っている。なんだあいつ、助っ人外国人か?

「こちらイヌイ、いま工場内の2階中央付近にいる。中央は吹き抜けになっている。下の様子を見ているがサカモトの姿は確認できない。そっちは?」

『変わりないよ。相変わらず雨がザーザー降ってるし、雷もなってる。誰も外に出てこないし誰もこない。突撃する?』

「いや、まだだ。ただ、そろそろメインイベントだ」

『あいあーい。準備はしとくー』

 短い通信を終え再び1階の様子をうかがう。ついでに小腹がすいてきたので夜食用に持っていたプロテインバーを取り出してひとくち食べた。口の中にチョコレートの味が広がる。このあまり甘くないのが好きなんだ。

 5分ほど見ていたが、サカモトが一向に現れないので、暇つぶしがてら、今後のシミュレーションをすることにした。

 今の計画は、サカモトをぶっ殺して邪魔する取り巻きも殺す。そして、清掃班と交代して帰って寝る。これ以上無いぐらい単純明快だ。まるで稚拙なパルプ小説のプロットみたいだろ。

 もちろん、作戦内容によってはもっと年密な計画を立てる。だが、今回のような突発の仕事はこんな感じで大まかに「絶対やること!」だけを定めておいて後は現場の状況によって柔軟に動くしかない。

 この時点で1階には少なくとも6人以上武装している敵が確認できている。おそらく今見えていない場所にも、そこそこの人数がいるだろう。対してこっちは俺とネコタ妹(貧弱なドローン)だけだ。ある程度は策を練らないと厳しい。といっても、できることなんてたかがしれてるのだが……。

 俺があーだこーだ思案していると、ネコタ妹から通信が入った。

『ちょっと! イヌイッチ! 外!』

 いつも脳天気な彼女が声を荒げていた。つまり、緊急事態ということだ。どうやら、策を練っている暇はなさそうだ。

「どうした? 簡潔に話せ」

『車! 森から3台接近中!』

 くそっ、増援か……結局ノープランで突っ込むほかないらしい。まあいいさ、俺はいつでも地雷原を突っ切ってきた。いつものことだ、いつものこと……。

「……よし、俺は突入する。マリは外の奴らを頼む。タイミングはそっちに合わせる」

『あい、任されたよ! 大丈夫だとは思うけど、死んじゃだめだからね! パフェ奢ってもらうんだから!』

「あいよ」

 短く返事をして通信を終える。ここで長々としゃべるやつは死ぬ。これは映画で学んだことだ。

 俺は拳銃を右手に、先ほど拾った短機関銃を左手に持つ。

 合図を待つ。1階の監視は怠らない。敵は相変わらずバラバラな位置に立っている。遮蔽物になりそうなものはいたるところにある。たえず動き回るんだ。勝利の鍵は機動力だ。

 その時、工場西側の扉――俺の位置が南で大型シャッターが北だ――のトビラが開いた。ベレー帽、眼帯、迷彩服、葉巻。いかにもテロリストの親玉的な男が出てきた。スマホを耳に当てながら偉そうにあたりを見渡している。まちがいなくサカモトだ。

「おい、てめえら! だらだらしてないでさっさと準備しろ! 取引の時間だ!」

 サカモトの一声で、一気に慌ただしくなる。

 BARARARARARARARARARARARARA!

 そして、外から断続的な銃声が聞こえてきた!

「じゅ、銃声!?」

 誰かがいった。全員が銃を持ちシャッターの方を向いた。今だ。

 俺は手すりを勢いよく乗り越えた!

~~

 落下したまま短機関銃を一番近くにいるターバン野郎の背中に向けて引く。

 BARARARARARA!

「ぐぅっ!」

 軽い連射音がなり無駄に多くの銃弾が飛んでいく。何発かは周りのベルトコンベアに当たり、何発かはターバン野郎の背中に突き刺さった。さらに引き金を引きっぱなしで、銃口を隣のスキンヘッド野郎へ向けると、スキンヘッド野郎は右半身をズタボロにしながら崩れ落ちる。まず2人。

 短い空中遊泳が終わり、両足でベルトコンベアに着地。すぐさま振り返り驚愕の表情で俺を見ているアホ面ハンドガンで穴を開けて前転。ベルトコンベアとベルトコンベアの間に落ちて遮蔽をとる。奇襲は上出来だな。

 外でも銃声が聞こえる。撃ち合っているようだ。頼むぞネコタ妹。

「敵襲だ! そこのレインコート野郎をぶっ殺せ!」サカモトが叫び声を上げた。

 俺はすばやく体制を立て直し、低い姿勢で駆け抜ける。四方八方から怒声と銃声、周りで銃弾が跳ねる音が聞こえる。

 端まで被弾せずにたどり着く。次のベルトコンベアに移る前に急停止して状況判断。この先は十字路みたいになっている。右か左か真っ直ぐか……。

「くそっ! クソ野郎はどこだ!」

 右手から声。

「さあな」

 BANG! BANG!

 拳銃をすばやく2連射。足のバネを一瞬溜めてすぐに解き放ち、向こうのベルトコンベアへ飛ぶ。左手から銃声。いい反応だが一瞬遅かったな。一瞬顔を出して俺を撃ったアゴヒゲ野郎に残念賞の2連発をプレゼント。

「あそこの影だ!」「殺せ!」「なめんじゃねえぞ!」

 その代償に俺を襲う銃弾の数が増える。今回は痛み分けか、割に合わないが仕方がない。

 走る足を止めず、時折周りに牽制で発砲。ベルトコンベアゾーンは終わり俺を守るものは無くなった。どっと汗が吹き出る。牽制をする余裕もなく、数メートルのキルゾーンを全力で走り抜る。奇跡的に一発も被弾せず無造作に置かれている中型の装置の一つに身を隠すことができた。よかった、下手くそばかりで。さてどうするか……。

 ガサッ。

 左前方の背丈ほどある木箱の影で足音が聞こえた。姿は見えない。じりじり距離を詰めているのだろう。このまま挟み撃ちにしようということか。悪くない手だ。……俺に気づかれてなければの話だがな。

 ダッシュで木箱に近づき、木箱に足をかけて飛び越えた!

 空中を舞う俺からは木箱の影にいる男の、ハゲかけの頭部が丸見えだった。ワンテンポ遅れてハゲ男が口を開けてこちらを見た。そして銃をこちらに向けようとしている。ただ、その前に俺の拳銃から発射される銃弾によってハゲ頭に小さなクレーターが作られる。そして俺は華麗に着地し、サビまるけの鉄箱の影に隠れる。

 今のは我ながらかっこよかった……。

 BRRRRRRRTTTTTTT! BANG! BARARAR! BANG!

 すぐさま俺が隠れている鉄箱に銃弾が続々と突き刺さりカンカンと甲高い音がなる。クソっ、少しぐらい悦に浸らせてくれてもいいだろ……人気者も辛いね。

 一瞬顔を出して一人を撃ち殺す。反撃は数倍で返ってくる。1発の弾丸が俺の腕を掠める。皮膚の上を赤い線が走る。

 ふぅー……。深呼吸を1回。状況は良くない。外の天候ぐらい良くない。弾丸の嵐は止まない。外の天候と同じようだ。ネコタ妹は上手くやっているのだろうか……いや、上手くやっているから増援が入ってこないんだろう。なら俺も上手くやらないとな……。

 目を閉じ視覚を封じ集中力を高める。

 BRRRTTTT! BANG! BANG! BARARA! BANG!

 まだだ、もう少し。

 BANG! BARA!

 射撃音が一瞬収まった。その隙を見逃さない。俺は目を開き、鉄箱から飛び出した! 集中力が最高に高まり、世界がスローに映る!

 視界に入った敵は5人。そのうち2人はマガジン交換を終えて銃を構えようとしている。俺を舐めているのかろくな遮蔽をとっていない。2人の内、自動小銃を持っている方を拳銃で1発撃ち、同時に短機関銃で奴ら……ではなく奴らのはるか上に銃口を向けて弾が尽きるまで引き金を引き続けた!

 カシャカシャカシャン!

 工場内を照らしている蛍光灯の一部が破壊され、工場内が暗くなる。ギリギリまで目を閉じていた分、俺のほうが有利になったはずだ。短機関銃はもう用済みだから捨てて、拳銃を両手で構える。

 マガジン交換済みの短機関銃を持っている奴に2連射、標的を戻しトドメの1発! 他の3人はまだマガジン交換中だ。

 俺は一気に距離を詰め、ベルトコンベアに飛び乗る! 遮蔽物の陰にいる奴の姿が見え、2連射をぶちこむ。そのまま横っ飛びして次の奴に3連射! これはサービスだ。

 最後のガスマスク野郎はベルトコンベア3つ向こうに立っていて、自動小銃のマガジン交換をするのを止めて、拳銃に持ち替えていた。

 BANG! BANG! BANG!

 ガスマスク野郎の銃弾が俺の足をかすめた! ゆっくりと痛みが広がる。集中力が切れたら一気に痛むんだろうな。クソっ!

 俺はベルトコンベアの上を手を使わずに勢いよく前転して、的を絞らせないようにする。ガスマスクは更に3連射するが、俺のスピードのほうが早く銃弾はベルトコンベアを傷つけるだけ。

 もちろんいつまでも動く的になっているつもりはない。俺は2回目の前転を終えたところで、勢いそのままガスマスク野郎の方へ飛んだ!

 ガスマスク野郎の拳銃の銃口が俺から逸れる! 俺とガスマスクの視線が交差する。そしてお互いの銃口がゆっくりお互いを指し……。

 プシュ! プシュ! プシュ! プシュ!

 俺のほうが引き金を引くのが早かった。放たれた弾丸の内2発がガスマスクの大きな目止めの間を突き抜けて、奴のピンク色の脳みそを伴って後頭部から出ていく。俺はそのまま蛍光灯の破片が散らばる床にダイブした。痛い。

 次第に世界の速度が戻り、痛覚も元に戻る。流石に無謀だった。鼻血が出ていたので乱雑に拭く。手と足から出ている血はとりあえず放置。

 ゆっくり起き上がり、遮蔽を取りながらあたりを見回した。誰もいなかった。雑魚は全員仕留めたか? それともどこかに隠れているのか? そしてサカモトは?

 KA-BOOOOOOOOOOOOOOOM!

 思案しているその時、工場外から爆発音が聞こえ、俺は反射的に伏せた。そう、破片の上に。再び破片を体に刺さる。痛い。

 しばらく伏せて警戒していたが、2回目の爆発音は無かった。ただ、俺の呼吸と雨の降る音だけが聞こえる。

 再びゆっくり立ち上がり体についた破片を慎重に抜いていく。ついでに状況を整理することにした。

 怪我の状態。ほとんどが擦過傷。この程度で済んだのは日頃の行いがいいからだろう。化膿しないことを祈る。拳銃はまだ半分以上の弾丸が残っている。工場内に人の気配はない。外も静か。サカモトの姿も見えない。スマホを取り出し時間を確認。丑三つ時だった。

 ベルトコンベア上の木箱にもたれかかり、ネコタ妹に通信。

「マリ、聞こえるか?」

『……あいあい』返事は明るくなかった。

「外で爆発音がした気がしたが何が起こった? というか状況は?」

『うんとね、端的にいうとね、ドローンの弾薬が無くなったからね、ドローンを奴らの車両に突撃させて、爆発させたの。多分みんな死んだよ。そっちはもう仕事終わった? ヤギさんに伝える?』

 つまり、さきほど俺の上空を飛んでいたドローンには何かしらの自爆装置が積んであったということだ。そして、もう援護はないと。

「いや、まだサカモトを殺ってない」

『うーん、そっか。私はもう何もできないから、後はイヌイッチ一人でやってもらうしか無いよ。できることは応援することだけ』

「ああ、心の中で応援しておい……」最後まで言い終わる前に、背後でジャリっと破片がこすれる音が聞こえた。俺はまたもや反射的に転がりその場から逃げた。

~~

 CRUUUUUUSH!

 俺が持たれていた木箱がけたたましい音を立ててぶち壊れた! なんと木箱には鉄のハンマーがめり込んでいた! 木箱からは青い結晶が入った大量のビニール袋がこぼれる。もし避けなければあの木箱は俺でビニール袋は俺の血だっただろう。

『なに今の音!? 大丈夫!?』

 完全に状況を把握する前に、木箱を押しのけてこちらに向かってくる巨漢がいた。俺はとっさに拳銃を影に向ける。が、引き金を引く前に巨漢が振った大ぶりの刃物が拳銃を俺の手から吹き飛ばした!

「ふん!」

 巨漢が刃物で再び斬りかかってくる! 俺はスウェーで避ける! そして力いっぱい跳躍して巨漢にドロップキックをくらわせ、反動を使って距離をとった!

「ぬぅ、小賢しい奴め」

 俺はファイティングポーズを構えて巨漢と対峙した。ラガーマンのようにガッシリとした体型、顔の皺が深く、チーズを削り取れそうなぐらい硬そうな口髭を生やしている。右手にはマチェーテを持っている。そうだ、こいつを忘れていた。

 奴は俺を見るとニヤリと笑った。

「好き勝手暴れてくれたじゃねえか。なあ? ま、それもここまでだ。オモチャ無しで俺に勝てるか?」

 奴の言う通り、頼みの綱の拳銃はどこかへ飛んでいった。カバンの中にも武器になりそうなものはない。一方、奴は凶悪なマチェーテを持っている。そうでなくとも圧倒的な体格差だ。さて、どうしたものか。

「おいおい、男らしくないな。こっちは見てのとおり丸腰だ。お前もそのマチェーテを捨てて素手でこいよ。その筋肉は飾りか? 怖いのか?」

 俺の挑発を聞き奴は一瞬キョトンとした後、大爆笑した。笑うところじゃねえぞ。

「がっはっは! 面白いことを言うなお前! 笑かしてくれたお礼に指を全部切り取ってお前の穴という穴にぶち込んだ後に、足から一寸刻みで切り刻んでやろう!」

「……そうかい」

 俺は軽快なステップを踏む。奴は見せつけるようにマチェーテをブンブン振り回しながらゆっくり近づいてくる。

「マリ、状況はわかってるな? "アレ"を使う準備をしてくれ」俺は小声でいった。

『え? あ、うん、わかった。今から探すからまってて!』

 イヤホンの奥でドタバタと騒がしい音が聞こえてくる。近所迷惑だな……いや、彼女はかなりいいところに住んでるから防音は大丈夫なのか。クソっ。

「来いよウスノロ」

 ブルース・リーみたいに手のひらを上に向けて指をクイクイさせる。

 奴は吠えながら一気に間を詰める! そして俺を真っ二つにする力任せの袈裟斬りを繰り出す。素人丸出しのソレを落ち着いてかわして奴の左足に鋭いローキック。1ポイント。次の右から左への首チョンパ横薙ぎは深く沈んで避ける。奴の膝に前蹴りを当て、反動を使って距離をとる。振り下ろされるマチェットが鼻先をかすめる!

「ふん、ちょこまかしやがって。そう何度も避けれると思うなよ!」

「そっちこそもう息が上がってるように見えるけど大丈夫か?」

「ほざけ!」

 単細胞め。頭に血の上った奴の攻撃は更に単調になり回避がたやすくなる。

 俺は奴のマチェット斬撃を上手くかわしながら足を蹴り続ける。奴の動きがほんの少しずつ鈍くなっている。が、斬撃の勢いは劣ることがない。一発喰らえば即退場。スリルがあるぜまったく。

 イヤホンの後ろでは未だにガサゴソガッチャンしている。アレほど整理整頓をしておけと……。早い所頼むぜ。

 さらに何度目かの斬撃を避け、何度目かのローキックをくらわせて距離をとった時、奴はマチェーテを投げつけてきた!

「うぉっ!?」

 なんとかマチェーテの直撃を避けることができたが、バランスを崩して倒れてしまった。そして奴は近くにあった木箱を持ち上げ、投げつけてきた!

 CRUUUSH!

 俺は避けることができず、木箱と共に吹き飛ばされる!

 CRUUUUUSH!

 2つ目の木箱が俺に突き刺さる! 砕けた木箱から赤い粉が入ったビニール袋が俺の上にばらまかれる。

「はっはー! ストライク! さっきまでの威勢の良さはどうした? あ? おら、自慢のフットワークで避けてみろよ!」

 CRUUUUUUUSH!

 三度木箱が飛んでくる! 頭を守っていた左腕に直撃して、腕からボキッと嫌な音がした。なけなしのアドレナリンで痛みをできる限り制御する。

 苦戦しながら体を起こし、立ち上がろうとする。奴は俺を見てニヤリと笑った。殺してやる。

「おーおー。まだ立ち上がるか。タフだねえ」

「……ぜんっぜん……これっぽっちも……効いていない……んですけど?」

「はっ、いうねえ。ボーズ」

 奴が近づいてきて、俺を強く突き飛ばす。俺は為す術もなく後ろに飛ばされて青と赤の粉の上に倒れる。

「うう……」口からうめき声が出る。奴はソレを聞きさらに笑う。絶対に殺す。

「おいおい、お前がいまベッドにしているソレはまだ市場に出回っていない新型のドラッグだぞ。サカモトさんの大事な商売道具だから大事に扱ってくれよ」

 俺はドラッグが入ったビニール袋の一つを掴み、奴に投げつけた。へろへろとハエが止まるぐらいのスピードで飛んでいき奴の胸に見事命中。

「大事に扱えといっただろうが!」

 奴が俺をサッカーボールのように蹴り飛ばす。俺はボロ雑巾のように吹き飛ばされ、なにか硬いものに衝突した。その時、イヤホンからキュイーンと聞こえた。

「ははっ、よく飛んだな。肉を食ってないのか?」

 俺は返事の代わりに震える中指を突き立てる。

「……そうかい。ま、そろそろ飽きたし。殺すわ」

 奴が俺にのしかかり首を絞める。いたぶっているつもりか首をへし折られることはないが、空気が吸えず順調に死が近づく。死神が頭上で俺をじっと見ている。

 俺は奴の横腹にパンチを繰り出すが、ヘロヘロパンチじゃびくともしない。

『準備できたよ! 使う? 使う!?』

 その時、ネコタ妹の声が聞こえた。陳腐だが俺にはそれが天使の声に聞こえた。だが俺は喉を絞められていて思うように返事ができない。クソッ……。

『なんかよく聞こえないけど……。ヤバそうだから押しちゃった!』

 キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!

 耳元で甲高いサイレン音が爆発して俺の視界がブラックアウトする。

 脳裏に黒に赤に黄に青にとにかくあらゆる色のパターンが現れては消える、ソレはまるで昔見た宇宙のビジョンのようで……。次第に全身の細胞がざわめき、筋肉が今すぐ暴れさせろと騒ぎ、鼓動の速度が限界を超える。

 BAN!

 頭の中で爆発音がなり、視界が戻る。サイレン音はやんでいた。というか何も聞こえない。俺は今何をしていたんだっけ……? 視界ははっきりしているが、情報が脳まで入ってこない。手を動かすとなにか硬いものを掴んだ。

 俺の上でクソ野郎が怪訝な顔をする。ああ、そうだ、俺、死にかけてるんだった……。じゃあなんとかしないと……。

 俺は掴んでいたもの――クソ野郎の両腕――を……そのまま握りつぶした! 割り箸を折るようにいとも簡単に。奴の両腕から血と骨が吹き出し、ついでに俺の左腕からも血と骨が飛び出す。

 奴が苦痛に顔を歪めて俺から手を離す。口を大きく開けているから多分叫んでるのだろう。

 予想外の反撃でうろたえているクソ野郎の顔面に右ストレートを打ち込む。両腕をおられてクソ野郎はガードができずまともに喰らい、吹っ飛んでいく。脳と筋肉が酸素を欲している。俺は何回も何回も深呼吸をした。次第に聴覚が戻ってきて、クソ野郎のうめき声が聞こえるようになる。

 俺は立ち上がる。奴はまだ倒れていた。耳元ではマリが俺を呼びかけ続けていた。

「マリ……助かった。サンキューな……」舌が上手く回らずゆったりとした喋り方になる。

『ああ! 良かったよう! 返事してくれないし、もうだめかと思ってた! あー、本当によかった!』マリは若干涙声になっていた。『ところで、久しぶりの"限界突破くん"の調子はどう?』

 俺は起き上がろうともがくクソ野郎を見ながら体の調子を確かめる。どこにも痛みはなく、聴覚視覚ともに良好。体のいたるところから血が流れ続けているのは無視だ。手足は思うように動く。左腕は無視だ。

「良好。まるで健康……そのもの……だ。反動が……怖いけどな」

『それは仕方ないよ』マリが笑う。

 "限界突破くん"は"DIY部"ではなくマリが1人で作り上げた、あまりに危険な代物なので会社が使用を許可していない装置。装置のすぐ近くにいる状態でスイッチをオンにすると、そいつのリミッターを解除させることができる。いわゆる火事場の馬鹿力ってやつだ。もちろん負担は体にも脳にも大きいし、反動もひどい。初めてテストで付き合わされたときは何もしていないのに反動だけで2日は筋肉痛に悩まされた。

「く……そが。何を…ぶつくさいってやがる……」

 クソ野郎がよたよた立ち上がる。いくら体勢が悪かったとはいえ限界突破状態の右ストレートを食らっても立ち上がるとは。タフな野郎だ。

「こっちの話だよ……ソレよりも、形勢……逆転だな」

 俺は右手だけでファイティングポーズを取る。

「クソッ! クソッ! クソッ! まだ終わりじゃねえぞ!」

 クソ野郎は右肩をこちらに向け、2回ほど屈伸のような動作をした後、弾丸のようなタックルを繰り出してきた! 早い! だが無駄だ!

 俺はクソ野郎の弾丸タックルを真正面から受け止め、そのまま1メートルほど押された。地面の靴の跡がひかれる。

 すごい威力だった。だが、もう終わりだ。俺はクソ野郎が驚愕の表情を浮かべる。まさか受け止められるとは思っていなかったのだろう。俺はクソ野郎の顔を右手だけで掴み、一気に頚椎をねじ切った! 奴は顔を180度後ろへ向けた体制で倒れ、動かなくなった。

 俺は油断せず辺りをクソ野郎と周りをうかがう。奴はうつ伏せ――顔は天井を見ていて、口には血が溜まっている――のままピクリともしない。

 しばらくすると皮膚がピリピリしてきた。

「あっ……やばい……」

 "限界突破くん"の効果が切れたようで、体に一気に痛みが戻って来やがった。俺は数秒間、体を丸めて痛みに耐えることしかできなかった。そしてまた痛みが消え失せた。今度は脳がプッツンしたのだろう。後遺症がないといいけど……。

 何はともあれ、再び動くことができるようになったので、まずは拳銃を探すことにした。おぼつかない足取りで装置と死体の間を進んでいく。みんな気持ちよさそうに寝てやがる……。悪い子が早く寝て、良い子がまだ起きて働かされている。なんて社会だ。

 拳銃は青いドラッグに半分埋もれているのを見つけた。俺は拳銃とドラッグを1パック拾った。

 ドラッグはとても綺麗な青色をしていた。いわゆるメスとかそういうのやつか? ま、どうでもいいか。俺には無縁の代物だ。試したいとも思わない。もし冗談でも使おうものならボスと姉貴に殺されてしまう。ドラッグを捨てる。これも"清掃班"が処理するんだろうな。

 ガチャン!

 突如ドアが閉まる音がしたのでそちらに目を向ける。そちらには、先程サカモトが出てきた扉があるだけだった。もしかしてずっと隠れていたのか?

 拳銃に問題が無いかを確認しながら扉に近づいていく。弾薬よし、装填よし、トリガーよし、銃口よし……。全部良……ん? ポタッと拳銃に血垂れる。また鼻血か?

 俺は鼻を確かめる。しかし、鼻から血は流れていなかった。しかし手にはドロッとした血の感触がする。ゆっくりと鼻よりも上に指を這わせる。なんと血の出処は左目だった。これはいよいよヤバイかもしれないね。

 拳銃の血をぞんざいに拭き、扉の前に立った。振り返り工場内を見渡し、誰かが俺の背後を狙っていないことを確認する。誰もいなかった。

 改めてドアを開けようとして、思いなおし、扉の脇へ移動する。無警戒にドアを開けるやつは素人だ。蝶番を撃ち後ろ蹴りをドアに当てる。

 BRRRRRRRRRRRTTTTTTTTTTTTTT!

 中から銃弾の御一行様が顔を出した。俺は壁に背をつけながらパレードが終わるのを待つ。10、12、16……30。銃声は30回で止まった。中から荒い息遣いが聞こえる。中にいる奴はとても緊張している。

 すばやく中に入る。中はそこそこ小奇麗に清掃されていた。中央に社長室にあるような大きめの机が置いてあり、その上に酒の瓶と青い粉が乗っている。高そうな灰皿の上で葉巻が煙を上げている。そして机の向こうに怯えた表情のサカモトが座っていた。

「ひ、ひぃ! クソッ! クソッ!」

 サカモトは俺に向けて引き金を引き続けているが、カチッカチッとなるだけだった。

「おいおい……それ、弾切れじゃないのか?」

「う、うるせぇ!」

「え……? うるさい……?」

 俺が拳銃を向けると奴は小銃を落とし両手を上げた。こいつ、見た目はごっついくせにクソチキン野郎かよ。

「た、頼む、殺すな! 金ならやる! それか薬か? 女か? なんでもやるぞ! ……そ、そうだ! 俺の部下にならないか!? 外のぼんくらと違って腕が立つし報酬は弾むぞ! いい思いができる……」

 俺はさっさと引き金を2回引いた。奴の頭がはじけ、後ろの壁に脳みそがこびりつく。きたねえ前衛的アートの完成。これで終わり。

 拳銃を仕舞い、携帯を取り出して"営業部"報告することにした。3コールでつながった。いつものルーチン。

「お疲れ様です。イヌイです……。全て片付けました」

『ボーヤ君、お疲れ様。結構時間掛かったね。大変だった?』ヤギさん声はいつも通りだった。今までずっと起きていたのだろうか?

「はい、まあ。手が折れたり……目から血が出たり……早めに医療班を送ってもらえると助かります……」

 それを聞いてヤギさんはうーんと唸ってから歯切れの悪そうにいった。

『あーうん……あのね、ボーヤくんも知っていると思うけど、清掃班も医療班も始業時刻になってからじゃないと送れないんだよね。ほら、契約とか色色あるでしょ?』

「……ということは?」

『それまでそこで安静にして待っててもらうしか無いの。ゴメンね。なるべく早く向かわせるから。あ、その前に誰か出勤してきたら送るね』

 時刻を確認するが、誰かが出勤してきそうな時刻ではなかった。

「……はい、わかりました。安静にしてますので、早めにお願いします」俺は電話をきった。

「あーもう、畜生!」

 机に乗っている酒瓶を掴んで中身を一気に煽り、壮大に咳き込んだ。中身はウイスキーだったようで、喉と食道を焼きながら胃に収まっていく。

 部屋を出て工場内を歩く。時折ウイスキーを呷っては咳き込む。今ここで敵が現れたら俺は何もできずに殺られるだろう。それもいい、もうどうでもいい。今はただ眠りたい。

 寝床を探していると、黒いバンが目についた。

 1台に近寄りダメ元でドアを開けてみると、すんなりと開いてくれた。俺は助手席に座った。カバンを運転席に放り投げ、リクライニングを倒して横になり、ダッシュボードに足を載せる。最後に酒を呷り、中身の入ったままの瓶を無造作に投げ捨てて目を閉じた。

 完

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