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密室本 こんな場所だから食を思う。

マンガ「美味しんぼ」が好きすぎて全話暗記しているという後輩がいた。

ほんとかよと思い、昼時にたまたま入った定食屋に「美味しんぼ」が置いてあったのでクイズを出してみた。

「ほやの話で出てきた山岡さんの後輩のなまえと登場した巻は?」

「はいっ!31巻のタイトルは能あるホヤ!」

「。。。せせ、正解!」

信じられないと思った。「美味しんぼ」ってそんな読み込むマンガだったのか。

そんなことを考えながら唖然として彼の顔をみつめていたら、置かれた味噌汁が冷た。

■私は食事にほとんどこだわりがない。

美味しいものは好きだし、できれば美味しいものを食べたいが、お金をかけてわざわざ高価で美味しいものを食べに行こうと思った事はほとんどない。もちろん、美味しいと評判のお店に行く事はあるが、そういうことが好きな友人に誘われて行く事がほとんどで「その店に行く」という行為に喜びは感じていない。食べている時は確かに幸福感はあるが、どちらかと言うとその後のお支払いの負担の方が気になり、気持ちのプラスマイナスではマイナスで着地し店を出る。

だが、そんなことを表に出すわけにもいかないので、美味しかった(事実)ということをちゃんと全面に表出させ、せこい奴である(機密)という事項は覆い隠す。

願わくばこの気持ち、バレていないで欲しい。バレてそうだが。

大人になるにつれて、ご飯に行く事が好きな人が増えたように思う。「ご飯を食べに行くのが好き」という言葉はよく聞くし、昔よりも圧倒的にご飯に行く回数が増えた。

私は正直渋谷マークシティ横の黄色い看板の場末感たっぷりなお店で十分だが、大人の世界はそうもいかない。

大人の世界は背伸びと配慮と遠慮でできている。

ただ喋るだけでも大人にはそれなりの格は必要なのだ。

■美味しいご飯とは

家のご飯の方が美味しいのに。

そんなこともよく思う。ただこれは回転寿司とカウンターの寿司とでは同じ寿司でもジャンルが違うように、家メシと外メシは同じメシでもジャンルが違うので、比較することは間違っている。ジャズもテクノも音楽でどちらも良いものは良い。

一週間続けての外食は我慢ならないが、一週間、同じ手料理を食べ続ける事はおそらく我慢できる。イヤだけども。

食べ物に対してのこだわりとこだわりのなさ。
そしてそれを炙り出された時の何か人生を語りたくなるような生命の根源である陽人それぞれの「食」の捕まえ方。

ようは自分は雑食だなと思う。結局どれを食べてもある一定ラインの「美味い」に落ち着く。悲しいことなのかもしれないが、私の「美味い」には上限があるのである。

このバカ舌!っと海原雄山にいつか怒られると思いながら、5日連続の卵かけご飯を食べている。

美味い。


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