まず初めに「私の授業は受けなくて良い」と言う先生😅
世の中には「声優になりたい」と言う人が沢山います。まぁ、それ自体は別に良いとも悪いとも私は思いません。日本国憲法はその第13条で幸福追求権を認めていますから、声優になる事(あるいは目指す事)でその人が幸せになれるのであれば大いに目指したら良かろうと思います😉👍。
ただし、ここに一つ問題がありましてね。私がデビューした頃と今とでは「声優」と言う言葉の意味合いが大分違うのですよ😵💫。私が声優の養成所(のような所😅)に通い始めた40年ほど前は、「声優」と言えば「アテレコ・アフレコ・ナレーションなど🎙音声表現に特化した表現が出来る俳優」程度の意味しかありませんでした。所が今は仕事の種類だったり、収録スタイルだったり、アイドルとかタレントなどのニュアンスを含んでいたり……もう色々な意味やシチュエーションで「声優」と言う言葉が使われるようになっています😵💫。
更に厄介な事には、プロとアマチュアの境目もよく分からなくなってきている。現に「声優」と名乗っている人の表現力がピンキリなのは皆さんもよくご存知の事でしょう。また、今日では見るからに知名度でキャスティングされていて表現力は二の次と思しき作品も珍しくありません。かつてホリエモンこと堀江貴文氏が「声優になるために学校に通うなんてバカじゃないの❓だって演技なんかした事のない俺にだって声優のオファーが来るんだぜ」と言って物議を醸した事がありました。それでも仕事として成立するし、話題にもなる。こう言う現実がある訳ですから、技術や感性を磨くよりも知名度を上げるための営業に時間と労力をかけた方がはるかに早くデビューできるかも知れないのです🤔。
まぁ、こうした現状の是非はともかくとして、既にこうなっている訳ですから、一口に「声優」と言っても生徒さんだってそれぞれ全く違ったイメージや解釈をしている可能性がある……いや、むしろそれぞれが目指している「声優」のイメージはバラバラである事を前提にした方が良いのだろうと私は考えています。
コチとら出来ねぇものは出来ねぇのよ‼️😤
さてそうなると、生徒さん達の「声優になりたい」と言う思いに応えるためには、とんでもなく守備範囲の広い授業をしなければならないと言う事になる訳ですよね🙄。所が私の能力では、とてもではないがそんな多岐に渡る要望を包括できる授業など出来ません😭。そこで必ず授業の最初に生徒さん達に聞くのです。
「このクラスに『声の仕事ができれば声優でなくても構わない』と言う人はいますか❓」
すると、ほとんどの生徒さんが「はぁ⁉️😧何言ってるの、この人❓」と言う顔をして固まってしまいます(まぁ、そうだよね😅)。そこで改めて問い直します。
「〝声の仕事さえできれば〟歌手でもタレントでもお笑い芸人でも何でも構わない。特に声優には拘らない、と言う人はいますか❓」
こう問い直すと、今度はどのクラスでも数名の手が上がります🙋。そこで私はこう続けます。
「誠に申し訳ないのだけれど、私の能力では明確に『声優になりたい』と言う人のための授業しか出来ないのです。残念ながら私には、今手を上げてくださった皆さんの期待に応える術がない😭。これ以上はお互いの時間が無駄になるだけですから、どうぞお帰りください。私の授業を受けない事で皆さんの評価に影響する事は何もありませんから。もし受けなかった事で何か不利益が生じたら、私は全力で皆さんのために戦います。ですから安心してお帰りください」
手を上げてくださった生徒さんは「はぁ⁉️😳」と言う顔をして固まっているので、改めて「お帰り頂いて結構ですよ😉」と言うのですが不思議な事に誰も帰らない(今後帰る人が出る事に期待😅)。そこで「絶対にこの時間で他の勉強をした方がいいです😄。私の授業はアナタの役に立たないだけじゃなくて、大変なだけで面白くも何ともないから、本当に受けなくて良いんですよ😄」と言うのですが、なかなか信じてもらえない😔。
仕方がないので「私の授業を受ける以上は目的を定めてキッチリと課題をこなしてもらいますが、最後までやりきると約束できますか❓」と聞くと、手を上げた皆さんはなぜか素直に了承してくれます。こうして全員の目的がそろった所で、ようやく本来の授業が始まります😄。
それにしても厄介な時代になったものですよね。毎回最初の授業で自分の能力の低さを告白せねばならない訳ですから😅。……いやいや、精進します🙇。
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