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日本の芸能文化芸術に未来はあるのか❓

🌟本当に次の世代につながって行くのか…🤔

 このnoteの本来の趣旨からは少し外れてしまうかも知れませんが、ずっと考えている事の一つでもあり、また若い表現者の皆さんにも一緒に考えて欲しい事なので少し触れておきます。

 最近、昭和の頃を中心に芸能文化芸術の各方面で大活躍をして一時代や一ジャンルを確立された方々の訃報に触れる機会が増えました。とても残念な事ではありますが、人に寿命と言うものがある限り、こればかりは仕方がない事として受け入れざるを得ません。それと同時に、とても不安に思う事があります。それは、そうした方々の芸風・感性・技術・知識・経験などをきちんと継承している人達がいるのだろうか❓と言う事です。それがきちんと出来なければ一個人の特殊な能力と言う事で終わってしまって、発展は愚か伝承もおぼつかない訳ですからね。

 その時代の人達を魅了したと言う事には時代特有の背景もあるのでしょうが、人の心に響く本質的な何かがあったはずだと私は考えています。そう言う本質的なものは人が人である以上は時代を超えても同じように響く所があると思うのです。現に数百年〜数千年の時を超えて今も評価され続けているものは世界中に沢山ありますよね。それらは世界中の財産ですから、きちんと継承されないととても勿体ない事になってしまうと、私はこの歳になってより一層強く感じるようになりました。

🌟必要なものは仕方がないと言う事なのか…🤔

 なぜ何百年〜何千年もの時を越えて人を魅了出来るのか❓ それは人がただ命を繋ぐだけの生き物ではないからだろうと思うのです。芸能文化芸術と言ったものを編み出した事でより大きな幸せ・喜び・楽しさを感じられるようになった訳です。とは言え、なぜそう言う進化をとげたのか❓と言う具体的な理由については私にはよく分かりません😅。オランダの文化史学者・ヨハン・ホイジンガは人の本質を「遊び」に見出して「ホモ・ルーデンス」を著しました。遊びは常に文化に先行しており、遊びこそが人間活動の本質だと説いています。

 まぁ、理由はどうであれ、人と言う生き物が「人間らしく生きるためには芸能文化芸術が必須である」と法で定めている国は数多くあります。その真偽に対して近年議論が起こったと言う話も聞いた事がありません。これはもう「人間とはそう言う生き物なのだ」と言う事にしておくしかないと誰もが認めていると言う事なのだろうと思うのです😅。

 所が、必須であるはずの芸能文化芸術がより多くの人に触れるようにするのは簡単な事ではありません。なぜなら消費する事の方が圧倒的に多く、歩留まりが極端に低く、一般的な商売と同じやり方・考え方が通用しないからです。言い換えるなら「法で必須だと定めただけでは衰退してしまう」ものなのです。だからこそ先進国では芸能文化芸術を公的に手厚く保護しているのです。

🌟改めて浮き彫りになった日本の貧しさ🤔

 実は本邦の憲法にも同様に定めている項目があります(憲法第二十五条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」)。所がコロナ禍を通して浮き彫りになったのは、他の先進諸国と比べてあまりに貧しい国の文化事業への認識と対応でした。その貧しさがいわゆる識者にまで影響を及ぼしている。それでもコロナ前までは自転車操業でなんとかやってきた人達も、とうとうここに来て持たなくなってきたのです。このままでは日本の芸能文化芸術は廃れてしまう。これではまるで「金がないなら人間らしい生き方はあきらめろ」と言われているようなものです。そんな有り様で皆が人間らしく幸せに暮らせる道理もありません。こうした危機感から互助の仕組みを作ろうと言う動きが起こりました。
 まだ動き始めたばかりでどう言う形で機能するのかは分かりませんが、少なくとも世界からかけ離れた日本の現状を少しでも埋める役目を果たしてくれたら芸能文化芸術に関わる人達が活動がしやすくなるのではないかと期待されています。

 現状を変えると言う事は簡単ではありません。ですから芸能文化芸術を発信する側の私達は勿論、次の世代を担う若い皆さんにも一緒に考えて頂きたいと思うのです。素晴らしいものを次世代に伝えるだけではなくて、更に発展させる事は今を生きる表現者の勤めです。貧しい現状に対して行動もせず黙っていたらどんどん廃れてしまう。皆が豊かに暮らせるように、いつでもどこでも気軽に芸能文化芸術に触れられる国になるように、微力であっても何かを続けて行きたいと思うのです。


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