Shotgun Wedding プロローグ 02

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アナスタシアは、肌が見えるほど薄い白のスリップを着ていた。十三歳にしては身長が低く、線の細い体つきだった。肩にかからない程度に伸びた、白を基調とした金色の髪、青白い肌、エメラルドブルーな瞳。アナスタシアは存在感はあるが、まだあどけない少女だった。

トーシャはすぐにソファから立った。そして手に持っていた黒のロングコートを、アナスタシアの身体を包み込むように肩にかけてあげた。

「まあ、紳士的だこと……」低い声でジンが喋った。トーシャはアナスタシアの前にしゃがみ、コートが彼女から逃げないように抑えていた。

全ての動作はトーシャの意思とは無関係に行われた。誰かが自分の身体を操作しているようだった。違和感を感じる。

「ただの子供じゃないか。確かに…」
「美しい。と思ったでしょう?」

「ああ……」トーシャは返事をした。わずかな時間で考えた無感情を演じる発言は、余計な最後の一言で、見透かされていたかのようにジンの言葉へ同調させられた。違和感を確信した。

何かに身体だけじゃなく、感情まで支配されているようだった。トーシャは一瞬、ジンに操られているのではないかとさえ疑った。

トーシャはアナスタシアの顔を見た。彼女と目が合ったが、すぐに視線を逸らされた。わずかに漂う石鹸の匂い。彼女の服は、性癖倒錯した異常者が好むような服だった。原因の一つは判明した、とトーシャは思う。

それでも消えないこの違和感はなんなのか。妹の顔がよぎった。ジーニャ、愛しい妹。なぜこのタイミングで思い出すのか…。なんだこれは。早くどうにかしなければ…。トーシャの心情はいつになく揺れていた。

「服を着せた奴の品性が知れてる」トーシャはまた、自分らしくない言葉を口にした。こんなものだということは分かっていたはずだった。いや、まだ大丈夫だろう。これぐらいなら、いつものようなジョークだ。少しだけ、トーシャは冷静になった。

「あらごめんなさい。悪気はなかったのよぉ。これぐらい露出させたほうが、お客様も喜ぶと思ってね。…さあアナスタシア。いつまで黙っているの。挨拶なさい」

アナスタシアの肩がぴくりと動いた。彼女はまた、トーシャと目を合わせた。

「はい…」小さく掠れた声で、彼女は返事をした。

やめろ。喋らないでくれ。トーシャは強く思った。自分は今おかしくなっている。おそらく違和感の大半は、彼女が原因だと察した。

「トーシャさん。アナスタシアといいます」彼女はぎこちなく喋った。緊張しているようで、声がとても震えていた。トーシャは気分が悪くなっていた。別の人格がトーシャの身体を支配していく。

それは、弱かった幼き頃の自分だった。モスクワにいた頃の、妹を助けられなかった自分だ。フラッシュバックのように、今と昔の自分が同じ身体で同居し、トーシャの頭の中は混乱していた。とにかく、何か話しかけなければ…。この状態がジンにばれないように。ジンだけじゃない。誰にも悟られてはいけない。何か話さなければ。トーシャは思考した。

「どこの出身だ?」トーシャが声を出した途端、また彼女の肩は少しだけ震えた。エメラルドブルーが滲んで、溶けてしまいそうになっていた。

お前に何ができる? 妹を見殺しにしたお前が、何をできる? これは妹ではない。俺には関係ない赤の他人だ。トーシャはもうひとりの自分と、ずっと戦っていた。

「ああ……落ち着いて。大丈夫。何もしないから。落ち着いて」トーシャは苦笑いしながら、彼女に話しかけた。鼓動が強くなっていく。この感情は、怒りだった。

「いいんだ。何も話さなくていいから。ほら、このコートを掴んで。その服じゃ寒いだろう」もはやトーシャは思考も身体も制御できなくなっていた。鳥肌が立ち、今すぐこの場から脱出したかった。

アナスタシアは不安な表情を浮かべていた。彼女がコートを掴んだのを確認してから、数十秒後、トーシャは手を離し、後ろにいたジンのそばへ寄った。

「ジン、この子はもう客の相手をしているのか?」トーシャが聞いた。喋った後に、まだ彼女がどうなるのか決まっていないことを思い出した。

「いいえ、まだよぉ。トーシャ、それはさっきも言ったわ。気に入ったの? アナスタシアのこと」少しの悪意を持って、ジンが喋った。アナスタシアはずっと肩を時々震わせながらうつむいていた。それを見ながら、トーシャは決心した。

「ああ。この子は俺がもらう。いくら払えばいい?」

不意の発言にジンは驚いた。もらう。どういう意味だろうと思い、トーシャの顔を覗き見た。いつものトーシャの顔だった。アナスタシアと遊ぶという意味だと解釈し、返答した。

「あらぁトーシャ! 珍しいじゃない! 良い趣味してるわ。でも、さすが分かってるって感じ。あなたは良いものを知っている人だものね。今日はこの子を紹介してよかったわぁ。いいわよぉ。時間は? 何時までするの?」ジンは予め用意しておいた会話をトーシャへ試してみた。

「違う。この子をもらうんだ。俺がずっとな。俺のものにする。そういう意味だ」そう言った後に、トーシャは持っていた煙草を吸おうとしたが、火が消えていた。

それからソファの近くに置いてあったテーブルの上にある灰皿を思い出し、吸い殻をやさしく指で弾いて投げ入れた。それは入るべき器を跳ねて、地面に転がった。

オールドムスクに似た部屋の香りが、トーシャとジンの付近だけ変わっていく。トーシャが吸っていた煙草の香りに。

「ごめんなさい。トーシャ。どういう意味? …この子を、ここから出そうとしているの?」ジンがもう一度確認した。

「この子は俺がもらう。いくら払えばいい?」最初に伝えたことを、トーシャはもう一度言った。

三十秒ほどの沈黙。

「どうしたの…トーシャ…? 何か癇に障ったのなら、謝るわ。でも、もらうだなんて。突然ね…。ちょっとびっくりしちゃって…」ジンが言う。

「いくら払えばいい?」トーシャは再度確認した。トーシャは何度も確認するつもりでいた。気が狂うほど同じトーンで。呼吸を意識して、空気の振動をコントロールするだけでいい。欲しい答えが返ってくるまで。トーシャの顔はいつもと変わらないが、ジンが今までに感じたことのないほど、彼は怒っていると感じた。

部屋が静かになった。ずっと古い音楽が流れていた。

深いため息をつきながら、ジンは言葉を選びながら喋った。
「…小切手を持ってくるわ。少し待ってて。トーシャ」先に折れたのはジンだった。「ああ」トーシャは即答した。ジンは一度、胸のほうで祈るように両手を合わせ、軽くため息をしてから部屋から出ようとした。

「ジン」トーシャが呼び止めた。「なあに。トーシャ」彼は足を止め、右手の平を腰へ掛けた。トーシャのほうは振り向かなかった。トーシャもアナスタシアを眺めながら話した。

「この子の服も持ってきてくれないか。普通のやつを。それと、いつも無茶をいってすまない」言葉を隠すように、トーシャはジンに謝罪をした。今日はどうかしていると、自分でも認識していた。先ほどまでの暴力的な感情は、もう消え去っていた。

ジンはくすりと声を出して笑った。そして腕を組み、トーシャのほうを振り向いた。「トーシャ。こっちを向きなさい」ジンに言われた通り、トーシャはジンのほうを向いた。

「今日は料理を作ってやらないんだから」ジンは笑顔で話した。想像していたものとは違う言葉が返ってきたので、トーシャは口角を少し上げ、両手を上向きに、外側へ広げながら反論した。

「それとこれとは別だろ。それとジン、これは本当に申し訳ないんだが、食事を三人分作ってくれ。アナスタシアの分だから、追加分は少なめで」

ジンは大笑いした。十数秒ほど、ジンの笑い声が部屋を満たしていた。

「あなた……大物になるわあ。アナスタシアの食事代も、小切手に書いておくよ」そういってジンは部屋から出ていった。

扉の閉まる音。それが聞こえてから、トーシャはアナスタシアにささやくように話しかけた。

「アナスタシア、恐がらないで。こっちまで来れるかい?」彼女はトーシャを見て、すぐにまたうつむき、地面まで垂れ下がったコートの端を持ち上げるように抱きかかえながら、ゆっくりと近づいてきた。

それでも彼女の後ろではコートが床を引きずっていて、それはまるでバージンロードを歩く花嫁のようだった。

「こんな部屋じゃ広くて落ち着かないだろう」トーシャは立ち止まったアナスタシアの前に、またしゃがみこんで目線を合わせた。

彼女はトーシャを見た。口をほんの少し開けたり、目を時々逸したりしていた。彼女はずっと緊張していた。それでも、彼女は勇気を振り絞ってトーシャに話しかけた。

「あの…。私は、トーシャさんのところに、行くことになるのでしょうか?」トーシャに怯えながらも丁寧な口調で、アナスタシアは尋ねた。

「ああ。別にいやらしいことをしたいわけじゃない。そうだな。掃除とか、洗濯とか。実は、まだ何をお願いしようかも決めてないんだ」トーシャは慎重に話した。彼女の不安は、これまでのやりとりでは到底拭えきれないことを理解していた。

そもそも彼女が今の状態で、どこまで話を理解できているのかも分からなかった。当たり前だが自分のことも信用はしていないだろう。トーシャ自身ですら、なぜこんなことになったのか理解できないでいた。とにかく、どう伝えたら彼女を安心させることができるのか。少し考えた後に、トーシャは続けて彼女へ話した。

「いいかい。難しいだろうけど、今は信じてくれないか? 俺は君を…なんて言えばいいのか、助けたいと、思ったんだ。余計なお世話では、ないよなきっと…」トーシャはアナスタシアから目を逸らし下を向いた。失敗したと彼は思った。なんて格好つけた台詞を話してしまったのだろう。

久しぶりに、恥ずかしいという感情がトーシャの中で湧き上がった。今日は本当におかしくなっている。助けようとは別に思っていない。きれいだったから、こんなところで壊したくなかっただけだ。そうに違いない。なぜ自分はこんなことをしているのだろう。さっきも思った感情だった。

それにしても、特に最後の、余計なお世話という下りは格好悪かった。ジンがいなくて本当によかった、と彼は思った。

アナスタシアの顔を覗いた。彼女は目を丸く見開いて、少し驚いたような顔をしていた。純粋な子供だ。さっき言ったことを真に受けたのだろうか、とトーシャは大人ぶった思いでいた。

アナスタシアはまた一度うつむいてから、トーシャへ目を合わせて、逸らさないように精一杯頑張りながら話しかけた。

「私……私は、掃除も洗濯も…できます。母さんと一緒に、時々手伝っていました。学校から帰ってきたら、母さんと……料理も…教えてもらって………」

言葉と共にアナスタシアの瞳から、涙がぽたぽたと地面に落ちていった。彼女は溢れ出る感情を抑えつけるかのように、顔を両手で覆いながら泣いた。湿った声がわずかに漏れ、支えを失ったトーシャのコートは彼女の身体から逃げていった。

トーシャの身体はまた勝手に動き出した。頭の中は様々な感情で混乱していたが、妹へ何度も同じことをしていた経験が、身体を迷いなく動かしていた。

彼女の前へ近づき、ゆっくりとコートをまた羽織らせて、フロントの両側を左手で掴んで抑える。そして右腕は彼女の背中を一周し、右肩を抑え優しく抱きしめた。トーシャが冷静になった頃、アナスタシアは彼の腕の中にいた。

ずっと古い音楽が流れていた。時々聞こえるヴォーカルは、どれも似たような歌詞を英語で口にしていた。どれも、二人で一緒にいようと願うラブソングばかりだった。

Shotgun Wedding プロローグ 03 へ続く

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