死ぬのが怖い人へ (1)
はじめまして、龍雲といいます。
私はいわゆるお坊さん(僧籍保持者)で、いまブラジルに住んでいる38歳です。
この文章は死ぬのが怖い人に向けて書いています。
みんな、いつか死にます。
人間の死亡率は100%で、いままで死ななかった人はいません。
死にたくないといって不老不死の薬を求めた人もいましたが、やっぱり死にました。
死ぬのは怖いし、死んだ後がどうなるかもよく分からない・・・本当はちゃんとこの問題と取り組む必要があるはずなのです。だって私もあなたも死ぬんだから。
でも色んな人にインタビューしてみたところ、多くの人は「あまり考えないようにしている」「死んだら死んだときだよ」と答えました。
それでは何も解決していないのですが、というか、むしろ目を背けているだけなのですが、解決策がないので仕方ないのかもしれません。「死の問題を解決したよ」という先輩もなかなか見当たりませんし。
このノートで書くのは、死をこわがる子供だった私が、死の問題を分析し、約20年かけて死の問題と取り組んだ記録です。
あなたが以前の私と同じように死に悩んでいるのなら、何かヒントがあるかもしれません。
子供時代からの疑問
私はサンパウロに住んでいますが、元々は日本の田舎町に生まれました。夏になれば家の窓にカブトムシが飛んでくるほどの田舎です。野山や川で遊ぶのが好きなごく普通の少年でした。
しかし幼い頃から、どうしても気になる疑問がありました。
それは「死んだらどうなるんだろう?」というものです。
幼稚園のころ、夜中に目が覚めたら、まっ暗い部屋の中で天井がうっすらと見えました。そのとき「いつかお父さんもお母さんも死んでいなくなる。そして必ず、僕も死ぬ日がくる。死んだらどうなるんだろう? 何も分からない、すごく怖い」と感じました。
暗闇が死を連想させたのです。
また母親から「あなたには兄がもう2人いたのだ」という話を聞いたことも、死について考えるきっかけとなりました。彼女によると、他に2人妊娠できたのだが、そのときはお金がなくて堕ろしたのだそうです。
その2人の兄はどこへいったのだろうか? 死ねば終わりなのか?
私は死についてよく考えるようになりました。
死について色んな人に話を聞きましたが、あまり明快な答えは返ってきませんでした。よく聞いたのが「死んだらどうなるかなんて考えたことない」というもの。また「子供の頃は死んだらどうなるか考えたが、大人になったら気にならなくなった」という人も多かったです。
「お前も大人になればそんなこと忘れるよ」とよく言われました。
しかし私はなぜか、いつまでたっても死ぬのが怖かったのです。
「死んだらどうなるんだろう?」という疑問は、青春時代になってもずっと私の心の中に残り続けました。
たとえ友達と楽しく遊んでも、スポーツに打ち込んでも、好きな女の子に夢中になっても、でも・・・いつか必ず私は死んでしまう。
目の前に死の影がちらつき、周りのみんなとちがって、どうしても生活を楽しみきれない自分がいました。
なぜ死ぬのが怖いのか?
ところで、なぜ私はそれほど死ぬのが怖かったのでしょうか。
その理由は、死後に何が起こるのか全く分からなかったからです。
下の図にあるように、死後は不明です。
これを例えていえば、死後は「何が入ってるか分からない箱」のようなものです。
想像してみてください。ここに「何が入ってるか分からない箱」があったとします。
その箱に手が入るくらいの穴が開いていたとしましょう。あなたはその中に勢いよく手を入れられるでしょうか?
中身はおもちゃかもしれないし、ケーキかもしれないし、毒ヘビかもしれない。
本当に中身が分からないのであれば、多くの人は不安を感じて、手を入れるのに躊躇(ちゅうちょ)するのではないでしょうか。
これと同じように、死後は完全なブラックボックスであるため、私は不安を感じたわけです。そのため周囲の大人たちに「死んだ後はどうなるの?」と聞いてまわりました。
しかし大人たちは「死後が分からないなんて当たり前」「死んだ後が怖いなんていうのは子供のうちだけだ」と言って、質問してくる私を相手にしませんでした。
私は納得できずにもんもんとしたまま子供時代を過ごしました。
論理的に考えても、科学的にみても、死後の問題は不安をともなうもの。そんな問題を無視するというのは、私には考えられませんでした。
死後の不安要素は6分の1
さて、小学校や中学校を経験すると、世の中の知識を学ぶことができるようになります。
私にとってもっとも意外だったのは、現在の科学では死後が有るか無いかすら分かっていないということでした。そのため当然ですが、学校教育でも死後について教えてくれる授業はありません。だって分からないのですから教えられるはずもありません。
しかし分からないのであれば、なぜ世の中の大人たちは平気な顔をして生活しているのだろうか? 死後は不明だし、誰もがいつ死ぬか分からないのだから、解決方法を求めるのが最優先のはずなのに。
私の目には、大人も子供も、ほとんどの人が死の問題を忘れているように見えました。(※死の問題を解決しようとする人が少ない理由は、後に分かることになります)
そこで私は子供なりに情報を集めようとしたのですが、やはり死後については何のヒントも得られませんでした。中にはオカルト的に「死後には天国や地獄がある」と主張する人もいましたが、信頼できる根拠があるようには思えませんでした。
死の問題について話し合える相手もいないので、私は自分一人の問題として解決の手がかりを探していきました。
その後、学校で数学を勉強しているときに「確率論」という考え方を知りました。物事の結果が何パーセントであると予測されるか、というものです。例えばサイコロを1回ふって1の目が出る確率は6分の1です。
私は死の問題について、確率で考えてみました。
まずは「死後が有るのか、無いのか」です。すると次の図のように、死後が有る=50%、死後は無い=50% となります(下図)。
さらに死後が有った場合を考えると、「今より良い世界、同じような世界、もっと悪い世界」の3つに分けられます(下図)。
これらはそれぞれ3分の1の確率です。
もしも死後が①今よりも良い世界であるならば、何も問題は無いでしょう。②今と同じような世界は、例えば再び人間に生まれ変わるなどが考えられますが、これも許容範囲と言えるでしょう。
しかし、③今よりも悪い世界に行く場合を考えると、ある不安要素が出てきます。それは、現在よりも大きな苦しみを味わわなければいけない可能性がある、ということです。
これを確率で考えれば、
「死後の有無(2分の1)×死後の行き先(3分の1)=6分の1」
が、悪い世界に行く可能性となります。
つまり6分の1の確率で不安要素があるわけです。
いつ死ぬか分からない上に、死後に6分の1の不安要素がある。これはつまり、約17%の確率で死後に苦痛が待っているということです。
死について理性的に考えた結果、単に「死後は不明」ということではなくて、より細かく「6分の1の確率で不安要素がある」というところまで考えを進めることができました。
「この不安要素を除去したい、悪い世界へ行く可能性を無くしたい」
そう考えるのは、私にとって自然なことでした。なぜなら私はいつか必ず死を迎えるからです。当たり前ですが、不安要素を抱えたまま死にたくなどありません。
この死の問題を解決するために、私は情報収集を続けました。
(次回へ続きます。興味がある人、続きを読みたい人はシェア・ツイートしてくださるとありがたいです)
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