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【創作】「花葬(かそう)」倉持龍

 真夏の陽光がじりじりと地上に降り下り、墓石が熱を吸ってじんじんと皮膚を焼き伸ばす。あれだけ燃やされたというのにまだ燃やされなければならないのかと、白い菊を片手にぶら下げた俺は思う。汲んできた水を辺り一面にぶちまけてやりたいくらいだ。死んでもこんな暑いところにいなければならないだなんて、すこしおかしいのではないか。
 焼け石のような墓標に水をかけてやりたい。俺は墓の前に桶を置くと、一度手を合わせた。そして干からびて燃えカスのようになってしまったが茶色い花を引き抜いた。炭のようにぼろぼろと形が崩れる。銀色の花入れにへばりついたかつての若葉を摘み取り、柄杓で水をいれる。数度すすぎ、澄んだ水を流し入れた。そこに菊を入れる。水が溢れた。濡れた手でもう一方の花入れを取る。同じように枯れた花を摘み、水で荒い、水を溜める。最後に菊を挿した。
 不思議なもので、どうしてとか、なんであいつが、など、何も思わなくなった。ただ、事実がそこに横たわっているだけだった。それを受け入れるより他にないという訳ではなく、ただなんというか、納得してしまっただけなのだった。
 汗が伝う。目に入った。そうして流れ落ちる。汗の他に染み出した俺の一部と共に。
「また来るよ」
 俺にできるのは、花を換えてやること。それしかない。俺の現状など面白くもなんともないだろうから、特に話はしない。旧友の様子も話さない。ただちょっと、そいつの名残を探して会いに来るだけだ。そのついでに花を添える。
 棺の中で、目を閉じたお前の姿がよみがえる。花に埋もれて、しっかりと目蓋を下ろしたお前の姿が。あの花々はお前と一緒に焼かれた。花に包まれて、お前は燃えてしまった。
 燃えてしまった。
 けれど、花は未だ咲いている。
 花は、まだ咲いている。


どうもこんにちは。倉持龍です。大倉書房の人です。

前作「骨と真珠」はお読みいただけましたでしょうか? 「花葬」しか読まれていないという方、もしご興味がおありでしたら読んでみてください。
両方ともご一読くださったという方、この二つの小説をどう読まれますか? どう読んでもらっても構わないのですが、一応俺の見解を書いておきます。あくまで個人の見解ですので、お好きなように。

何事かをひとつの作品だけで語ることは難しい、と俺は思っています。何作も何作も重ねて、ようやくその核心に迫れるのではないか。まだまだ拙い作品しか書けない俺は、天才が一作品だけで辿り着く境地に、何作も何作も重ねて到達しようとしているのです。
だから、我々が現在実施しているクラウドファンディングで製作する本も、どこかで何かと繋がっている。自分の作品かどうかということに限らず、小説は過去の小説との関係の中で立ち現れてきます。それを忘れてしまっては、創作というのはひどく傲慢な化け物と化してしまうような気がします。

https://camp-fire.jp/projects/view/589606

覗くだけでも構いませんのでサイトを開いてみてください。
大倉書房の思いが伝われば幸いです🙇


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