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【代表のつぶやき】今更deepな自分語り その三

今回は、代表と文学への思想が強めに現れています。作品にも繋がるテーマです。尤可見。
ここでも、少しの改行と太字化の編集を加えております。
ただ、画像は最小限にしました。

小間使いA


そろそろ疲れてきたので端折りたくなってきました。AとCに怒られそうなので頑張りますが、少し巻きます。
(※編集註 巻いてないです )

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もう、高校生の俺が導き出した結論を先に言います。

俺は、文学のために死にたいと思っていました。自分の人生を自分の生きたいように生きたいと、そう思いました。だから志望校も譲らなかった。(のちにK大学の秋入試を受けるという奇行に走りますが、無事に不合格だったので安心して早稲田を目指しました)最後の最後まで「大学の滑り止めはどうするんだ」と言われ続けて、さすがに心から血が噴き出しました。もしも受験生を抱えていらっしゃる保護者様いらっしゃいましたら、「滑り止め」という言葉は使わないようにしましょう。そして、第1志望に落ちるという前提で話をしないようにしましょう。あとは軽々しく「受かるよー」と言うのもNGです。受験生の心は繊細で簡単に壊れます。取り扱い注意です。しかし、そこは死体の体温。ゾンビとなっていた俺は心臓の傷くらいでダメージを受けることはありませんでした、と言えたら良かったな(笑)

文学が、何の役に立つ? 
文学を学んで何の意味がある?
就職はどうするんだよ。

哀しいかな、よく耳にする言葉ですよね。
じゃあ、問います。

数学が、俺のことを救ってくれましたか?
医学が、俺のことを救ってくれましたか?
努力もせずに夢を諦める事は当然なんですか?

俺が長々と本当なら書きたくもない自分の暗い部分を書いてきたのは、そういう訳です。なにも俺は不幸自慢をしようとしているのではありません。自分がどれだけつらかったかを他人に読ませて満足している奴だと思いましたか? 違います。全てはこの一言のため。だって、文学と対極にあるとされる学問は、俺を救ってはくれなかったでしょ? もちろん、分かっています。数学は世界を救うのでしょう。医学は世界を救うのでしょう。でも、世界を構成しているかもしれない俺のことは、救ってはくれなかったじゃないか……。

就職して社会の役に立ちたいだのおーだの言える人は、健康な人だと思います。世の中の風潮がそういう風になってきていますよね。

社会貢献」。俺は高校時代、この言葉に悩まされました。社会に貢献できないなら死ねと言われるのではないか。社会に貢献できない俺は、社会で生きていけない。社会のために何かするってなんだよ、と。

俺は、今なら誰かの役に立ちたいと思える。文学で社会貢献する道を考えようと思っています。例えば、地域密着型の読書会とか。お年寄りでも来やすい読書会って意外とない気がするんですよねー。もっと文学にできることはある筈ですよね。

でも、あの時の俺は、自分のことで手一杯でした。溺れないように浮き木に掴まっている泳げない人間が、他の溺れている人を助けられますか? 俺には無理です。他人のためとか、そういうことは言いたくありませんでした。まず、自分を何とかしないといけなかったんです。だって今日、死ぬかもしれないのですから。あまりの体調の悪さに今日このまま死ぬんじゃないか何度も思いました。心臓が痛くなった時は終わったな、と思いましたね。
念のため、誤解が生じるといけないので言っておきますが、他者の為に身を尽くせる方は素晴らしい方だと思います。俺はそういう方々を尊敬していますし、そうありたいと思っています。しかし、当時の俺にはそんな余裕がなかったということをどうかご理解ください。
話を戻します。

文学は、いらない。
文学は、ただの娯楽だ。

娯楽な訳がないだろう! 娯楽なら、こんなにつらい思いをしてまで書いていないはずだ!

俺は常に、自分の寿命を考えていました。あと何年、何十年、生きられるのかは知りませんが、長生きはしないだろうなと。まあ、不摂生していましたしね。大人になった自分の姿なんて想像できませんでした。それに、ふとした時にタナトスが首を擡げるんです。
高校1年生の時は言わずもがな、高校3年生では生徒会の仕事に文字通り忙殺されそうになりました。ホームの端っこは歩かない、黄色い線より二歩下がった辺りで電車を待つ、階段は手すりに掴まる、薬を必要以上に持ち歩かないなど、自分なりに対策を講じていました。

だから俺は思ったんです。社会に出たら死ぬな、俺。ずっと一人の世界に閉じこもっていたい。俺は、なまじ働けてしまうんです。生徒会なんていい例でしょう。あと委員長とか。本当は協調性の欠片もないくせにニコニコ笑って人の意見を聞き入れて同級生の空気を読み取ろうとする。きっと社会に出てしまったら仕事だって出来るんです。出来てしまうからいずれ辛くなってぽーんと落っこちてしまうのではないか。そんな未来を打ち消すかのように、俺はオルターエゴを小説に書いては、彼を殺していました。夏目漱石の『吾輩は猫である』みたいなもんです。猫を殺して、終わらせる。オルターエゴに死んでもらって、俺は生きる。しかし、死んでいった彼らは何かのために死んでいました。頭では自分の為に生きたいと思っているのに、心では誰かのために、何かのために死にたかった。俺は、やはり文学のために死にたかったんです。この命を刻み付ける方法として、文学を選び取った。俺が生きていたという証拠を、時代に落としたかった。多分、死にたくなかった。

死にたくないから、小説を書いていた。

生きていたくないから、小説を書いていた。

でも、その小説で芽が出ない。何のために、書いてるんだっけ……。
俺は、焦っていました。死にたくない。でもこのまま生きていたくもない。小説で何とか生きる道を見つけたい。でもそれは簡単じゃない。
本を出したい。何でもいい、本を出したい。とにかく、認められたい。愛されたい。

この際だから言ってしまいますが、俺の根底にあるものは「愛されたい」だと思います。意味的には、「認められたい」が近いのかな。認めて欲しい。認めて欲しい。俺のことを正当に評価して、認めて欲しい。俺を否定しないで。否定しないで。否定されると俺は死にたくなる。怒鳴るんじゃねぇよ。男らしくなくて悪いかよ。脳みそ前近代か? 家父長制なんてとっくの昔に滅んだわ!と思いつつ、その制度は毒親と言われるようなものに変わったんだろうなと諦めたくなる。だとしても、言っていい事と悪いことがあんだろうが。

ともかくも、高校生の俺は、やはりどあほうだった。認めて欲しいと思っている人はこれから先も一生認めてくれることはないだろうと諦めつつ、どこかで期待してその度に裏切られて辛くなる。その寂しさを埋めるように美術展に出品しては、小説の新人賞に殴り書きのような小説を送り付けるということを繰り返していました。かなり滅茶苦茶な頭の中です。客観的に見て、高校ではかなり目立つ(いい意味で)存在だったと思うのですが、それは活躍していないと心が擦り切れていくからだと思います。今思い出すと、かわいそうなくらいです。さっさと誰かに頼れ、と思います。

そして、頼った先が憧れの批評家先生でした。頼ったと言っても、こんな話はしていません。したかな? いや、してないと思う。もしも話していたら、ここで初めて聞いたということにしてください。
いやいや頼れる人いっぱいいるだろ、と思いましたか? 大切な人だからこそ、頼れないってことありますよね。俺は大切な人に心配をかけることはしたくありませんでした。だから具合が悪いことも黙っていたし、ちょっと夏バテした、くらいにしか言っていなかったと思います。今更のカミングアウトですまん。


話を戻します。批評家先生に頼ったという話です。先生は、俺の中二病をこじらせたようなメールにも丁寧に返信してくれました。本当にありがとうございました。先生と文学の話ができることは俺にとって救いでした。周りに有島武郎の『或る女』を読んでいる同級生とかいなかったもので……。とある漫画のおかげで文豪の作品を読んでいる人は多かったと思いますが、AとC以外の人と文豪の話をした記憶がないです。多分本当に話してないんでしょうね。というより、俺は周りの子に怖がられていたと思うんですよね。そこは俺も反省しています。国語の授業で担任に「文学がなくなったらどうしようねー。倉持さんとかどうなっちゃうんだろ? ね?」と聞かれた時に、何も考えずに笑顔で「死にます」と言ってから「やってしまったぁぁあ」と頭を抱えました。うっかり本音が出てしまうと、同級生は見事に引いていきます。これから高校生活を送るよという人、本音は信頼できる人にしか言っちゃ駄目だぞ。俺の場合は、それがAとCだった訳です。

3人で初めて遊びに行ったときに、オリジナルインク作りをした写真。AとCから代表への誕生日プレゼントでした。このインクも、本に使われる予定です。

最後に3人のスリーショットなどを入れたかったのですが、なんとびっくりあまり3人で出かけたことがないのです。加えて写真も全く撮らず……微妙な感じに。今までの蓄積の無さを恨みます。
さて、ここまでたどり着いた皆様。ここが折返し地点です。代表曰くここから先は明るいそうですが、はてさて…?


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