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【創作】「骨と真珠」倉持龍

 あなたのために開けたピアスだったの。
 なのに今は、別のピアスが入っている。耳の裏が痒い。塞いでしまおうかと思った頃にはもう遅く、耳朶にはしっかりと穴が開いていた。埋まらない空間をそのままにするのも耐えられず、木材に打ち込む釘のようにピアスを刺した。
「結婚したいとか、思わないのよ」
 自分は溜息混じりに答えた。
「どうして?」
「だって」
 自分は一瞬言葉に惑ったが、相手の双眸を見据える。
「だって、結婚してから本当に愛してもいないのに何で結婚したんだろうって、思ったら辛いじゃない」
 相手は一瞬、きょとんとした顔をした。
「何で愛してない人と結婚するの?」
 自分はワイングラスに手を伸ばした。唇を湿らせる。透明なグラスにルージュの跡が付いた。つられたように相手もワインに口を付ける。自分は黙って、食べかけのステーキにナイフを入れた。ひとかけらを口へ運ぶ。
 だって、このピアスホールはあなたのためだったのに。
 肉と共に言葉を呑み込んだ。もう一度グラスに手を伸ばす。お酒ごときで忘れられるのなら、何も苦労はない。
「結婚ってきっともっと楽しいものだよ。せっかくなんだし恋愛も楽しもうよ」
「確かに恋は楽しいかもしれないね」
 自分がそう言うと、相手は困ったように笑った。
「私は結婚に対して明るいイメージしか持ってなかったから、キミの結婚観とは違うのかもしれないね!」
 何も応えずにステーキを切った。
 本当は、相手と食事なんてしたくなかったのに――自分の心の裏に湧き立つ汚い感情を流すようにワインを呑み干した。本当は相手のことが好きでもなんでも何でもないのに、友人という仮面を被っている。自分は、とても醜い。相手の純真さが嫌になる。
「私はね、結婚したいと思っているよ」
 そう、という気のない返事が漂い出た。
「逆にさ、キミは好きな人いないの」
 自分は相手の表情を窺った。
 こういう時に言われるキミという言葉は好きじゃない。お前なんて言葉はもっての外だけれども。自分は、人に対して常に何かしらの不満を抱えている。相手に対してもそうだ。恋愛の話など、したくはない。だって、自分が不幸であることを望んでいるということがばれてしまうではないか。
 自分は答えなかった。ひどく、疲れていた。だからこんなことを言った。
「いたけど死んじゃったのよ」
 ステーキの最後の一切れを口に入れる。噛み締めた。さっきより格段美味しく感じられた。美味しいと呟く。ふと、相手に目を向けた。相手はナイフとフォークを握ったまま、自分の皿に目を落としていた。ステーキのソースだけが僅かに残された白い食器を、凝視していた。
「ごめん」
「嘘だよ。死んでない」
 自分は、心の内で嗤っていた。
 不幸になればいいと思った。
 愛なんて実りやしないから、恋のまま美しく、ただの思い出として終わってしまえば、こんなに苦しむこともなかったのだから、終わってしまえばいいと思っている。だから、ざまあみろと思った。
 そして自分は、今後この先誰とも結婚しないのだなと悟った。それを相手がどう思うかは、知らない。
 テーブルに独り残された私は、ワインの代わりに水を貰った。そしてピアスを外す。キャッチがころんとテーブルクロスで寝返りを打った。
 あなたのために開けたピアスだったのに。
 あなた以外の誰のためにも開けやしなかったのに。
 あなたは私にくれなかった。
 あなただけをただひたすら愛していたのに。
 他の誰も愛することなんてなかったのに。
 あなたは私を置いていった。
 私は溜息を吐き出す。別に、将来を誓った仲でもなかった。付き合っている訳でもなかった。言ってしまえば赤の他人でしかなかったのだけど、恋人以上の関係にあったと思う。ましてや、紙切れ一枚で結ばれている以上の関係にあった。それは私の自惚れでも何でもなく、そういうものだった。多分、お互いにお互いのことを愛しすぎてしまったから、何も言葉を交わせずに離れ離れになったのだ。
 ピアスなんて、ただのまじないだった。ただ、私に縛り付けておきたいだけだった。だからあなたはそれを分かった上で、私をあなたに縛り付けた。虚ろを満たすものを探し求めて、私があなたに手を伸ばし続けるように。
 私たちは、とても愚かね。
 愛し合っているくせに、その愛を超えてしまおうとするの。
 そんな心を抱えたまま、他の人と結婚しようとは思えない。ましてや、子どもが欲しいだなんて思うはずがない。私は一生、あなたの影に囚われ続けるのよ。
 私が、愚かなんだわ。幻影にしがみ付いて、ありもしない未来を期待している。
「馬鹿だな」
 あなたが私の前に座る。
「幽霊とは結婚できねぇんだよ」
「まだ生きてるわ」
「死んでるよもう」
「まだ分からないでしょ」
「もう骨になっているよ」
「どこかに流れついて元気でやってるんでしょう」
「もう骨だよ」
「ならその骨はどこにあるの」
「海の底だろうなぁ」
「取ってきてよ」
「無理だよ。幽霊に飽和潜水ができると思うか」
「なら、そのピアスをちょうだい」
 私は、あえてあなたを困らせた。あなたは目を細めて、ごめんなぁと呟いた。
「聞きたくない。何も聞きたくない」
 私は額を掌に落とした。
「もう何も言わないで」
 私は、この呪いを手放したくなかった。誰とも結婚しない。二度と誰も好きにならない。それは決死の覚悟を裏付ける呪いだった。だから私は、一生涯呪われ続けていたかった。
 自分はようやく席を立った。いつの間にかあなたは消えてなくなっている。自分は言いようのない不安に駆られた。いつか、自分の記憶からも掻き消えてしまったらどうしよう。
 もしもあなた以外を好きになったらどうしよう。
 お店を出た自分は、未読のままスルーしているメッセージを開いた。鼻で笑う。うざったい。誰も私に告白しないでくれ。誰も私を好きになるな。
「お客様!」
 自分は振り返る。
「ピアスをお忘れですよ」
 差し出された店員の手には、小さな白いピアスが乗っていた。
「すみません、ありがとうございます」
 自分はピアスを受け取ると、すぐに耳へしまった。冷たい海水が頬を撫でる。あなたの体が沈んだ底の、冷たい冷たい海の波が、頬を伝い落ちてゆく。あなたが紅蓮地獄で眠っているのなら、私もまたこの紅蓮地獄で生きねばならない。あなたの手に耳に触れない限り、私はこの冷え切った世界を泳いで生きていくのだ。あなたの骨のひとかけらでもあれば、この氷河に挟まれたような世界は潰えるのに。私はピアスに手をやった。あなたと再びまみえるまで、自分の耳は涙を流し続けることだろう。


あとがき
お読みくださりありがとうございます。
大倉書房代表の倉持龍です。どうもこんにちは。
今回初めて俺の小説を読まれたという方が圧倒的だと思います。いかがでしたか?
今日は代表としてではなく、一創作者として小説を公開させていただきました。今後も作品を公開していくつもりですので、楽しみにしていただけたら嬉しいです。(楽しく読める小説かは保証しません🙇)

★★★

俺は蝋燭の炎のようにゆらめくような小説が好きです。ゆらゆらゆらめいて、ゆらめいた中で、一瞬だけちらりと見える炎を根源を掬いとるような、そんな小説を書いていきたいと思います。しかし、炎の揺らぎは時に優しく、時に荒ぶるものです。作品によって作風が変化するのも、つまりは俺自身がゆらめいていたいからです。

R.I.P
海難事故で亡くなられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げます

#小説 #創作 #大倉書房  

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