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憎しみの感情とは癌のようなもの

 「この憎しみの感情の原因は相手にある」と考えるならば、貴方の持つその憎しみの感情は決して消えはしません。憎い相手を殴ろうが、刺そうが、殺そうが、貴方の持つその憎しみの感情は決して消えはしないのです。

 何故なら、憎しみの感情とは外部(他者)によってもたらされるのではなく、内部(自分)から生まれるからです。貴方が憎しみの感情を持っているのなら、それは貴方が憎しみの感情を持つことを望んでいるからです。

 「裏切られた」「絶対に許さない」「殺してやる」「死んでしまえ」と相手をいつまでも憎んで夜も眠れず食事も喉を通らない日々を過ごす人が居る一方で、「何か事情があったのだろう」「まァ、人間なんてこんなものだろう」「まァ、生きるとはこういうものだろう」「私も相手と同じ立場だったなら、相手と同じ環境だったなら、同じことをしただろうな」と相手を憎むでもなく許すでもなく、とにかく相手に執着しない人が居ます。

 相手をどれだけ憎んだところで、相手をどれだけ呪ってみたところで、残念ながらその憎しみや呪いの念が相手に届くわけではありません。むしろ憎む方の体調が悪化します。夜は眠れず、食事は喉を通らず、人によっては精神病にもなります。

 憎しみの感情とはがんのようなものです。憎しみの感情を持っている期間が長ければ長いほど、その人は憎しみに侵されます。つまり体調が、精神状態が悪化します。思考力はおとろえ、よって視野が極端に狭くなります。倫理観は無くなり、他人の肉体・精神的痛みに無関心になります。人間関係は崩壊し、うつ状態になり、自殺こそが救済だと思うようにもなります。憎しみの感情に利点はありません(ただし、憎しみという人を飲みこんでしまうほどの絶大な力を、不屈の精神で昇華させることができれば、憎しみの感情もまた利点があると言えましょう。憎しみを昇華させるとは、つまり、憎しみの感情を絵画、音楽、小説等で表現することです。そしてその絵画を、音楽を、小説を見て、聴いた人が、そこに理解や共感を見出すならば、「嗚呼、私はひとりではなかった。この苦しみは私ひとりではなかったんだ」と、その人もまた救われるのです)。

 人は自分の体内に癌があると気付いた時、その癌を取り除こうと努力します。それも出来る限り早く。しかしこれが憎しみの感情となると、人はそれを取り除こうと努力しません。むしろそれにしがみつきます。「裏切られた」「絶対に許さない」「殺してやる」「死んでしまえ」という感情にしがみつくのです。

 何故このようなことが起こるのか。それは「憎しみの原因は相手にある」と考えるためです。「憎しみの原因である相手を破滅させることができれば、私は救われる」と信じるためです。しかし自分の体内にある癌は、憎い相手を殴ろうが、刺そうが、殺そうが、消えはしないのです。

 もし貴方が、「この憎しみの感情の原因は相手にある」と考えるならば、貴方の人生は死ぬまで苦悶に満ちたものになります。もし貴方が、「この憎しみの感情の原因は自分にある」と考えるならば、やがて貴方は貴方自身の名医となり、ブラック・ジャックとなり、人生は健全になります。

自分の不幸の原因をある特定の人に求めて、その人を憎むときには、この憎しみを乗り越えることはできない。

加藤諦三『どうしても「許せない」人』, KKベストセラーズ, 2008, p.111