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週末読書メモ17. 『現代経済学の直観的方法』

(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)

「わかりやすくて、おもしろくて、そして深い。」

帯にある、この紹介文の通りの一冊。経済学の全体像を知るには、理系文系問わず一押しです。


まず、極めて分かりやすいです。

物理屋の筆者が、理系の科学者らが社会的に無力であるのに悔しさから、無学者であっても、経済学の素養を得られるような内容になっています。

平易な説明と多数の例えにより、誰であっても、頭に入りやすいです。


また、分かりやすいだけでなく、面白く、そして深いです。

筆者の幅広い教養に裏付く、歴史・文化・物理学に紐づけられた説明が秀逸です(「イスラム教における喜捨の文化は、実は経済格差・停滞を抑える役割があった」等)。

文系出身の人間からしても、物理学の法則と経済学の法則の間にある共通性は、非常に発見と示唆があるものでした。


そして、個人的に印象的であったのは、「各種の理論は、特定の状況下においてのみ、成り立つものである」、と確信できたことです。

本書の素晴らしい点に、アダム・スミスを筆頭とする古典経済学から、仮想通貨の影響を受ける現代経済学までカバーされていることがあります。そのため、古今東西の経済学の内容に留まらず、その成り立ちが明らかになっていきます。

それらを読み解くと、どんなに明快で芯を捉えた理論であっても、完全無欠ではないことが、詳らかになります(それは、「神の手」の理論や、一時期、世界のトップリーダーがこぞって採用したケインズ経済学ですら)。


結局、それぞれの理論といのは、ある特定の状況下において、望ましい結論を示すものでした。

自分の専門である経営学の世界でも、同じことを悟った時、物事の見え方が大きく変わりましたが、それは、他の社会科学の分野でも同様であったと。

このことに、巷に溢れる様々な書籍や記事、言説を断片的に触れるだけでは、中々気づけないです(自分も例に漏れず…)。

どんな分野であっても、全体観、そして、その歴史を学ぶ価値は、この気づきを得られることだと思います。

※なお、経営学の世界で、その感覚を得るには、ヘンリー・ミンツバーグさんの『戦略サファリ』や入山章栄さんの『世界標準の経営理論』、三谷宏治さんの『経営戦略全史』が良かったです(しっかりと理解するなら最初の2冊、ざっくりと理解したいなら3冊目)。


あ…というより、一理論でその学問全体を網羅するのは、そもそも不可能ということなんだろうな…

そうだとしたら、状況を見極める眼、その状況に理論を適応させる力だ大事なはず。

そうか…また「実践知(フロネシス)」の話に繋がるんだ。

(「実践知(フロネシス)」については、過去の読書メモに記載)


この力は、不可欠。でも、どうやったら、上手く伸ばしていけるのだろう。

”実践”知という以上、量を積んで研鑽するしかないわけで、他の方法だと、高いレベルで行えている人から会得するぐらい。

うーーーん、難しい。でも、目を背けるわけにはいかないし、また、ここに活路がある。

結局、たくさん学んで、たくさん考えて、たくさん実践するしかない。

急がば回れ。頑張ろう。


【本の抜粋】
近代戦の定義にもよるかもしれないが、むしろ陸戦に本当に決定的な革命をもたらしたのは、鉄道の登場なのである。
(中略)実際に鉄道の登場以前には、戦場に展開できる軍隊の大きさには厳しい制限があるというのが常識で、それは補給に関してこうした限界があったからである。しかし鉄道の出現はこの限界を取り払ってしまった。

たとえ前の時代の牧歌的な経済にどれほど郷愁を抱いていようとも、隣国がそういう苛烈な経済に移行してしまったならばもはや選択の余地はない。それに対抗できる力を身に着けなければ、経済的に征服されて植民地となってしまうのである。
悪い言葉で言えば、近代資本主義というのは、経済的軍国主義、経済的国民皆兵主義であったと言うことができる。そして、その中枢にあったのが経済世界の鉄道網というべき、銀行を中心とする資金輸送網 ー 金融機関 ー なのである。

国際政治の点から見ても農業に経済を依存する国は、商工業で成り立っている国に主導権や支配権を奪われている。もちろんそれは一つには農業国がハイテク兵器の生産能力を持たないという弱点があるからなのだが、仮に軍事的要素を全部切り離して純粋に経済的な闘争を行なったとしても、なお農業国の側は弱者の立場に立たざるを得ない。

ではなぜ農業経済というものはそんなに無防備で脆弱なのだろうか。結論を一言で言えば、それは産業としての機動力の差にある。
(中略)農業と商工業の対決においては、農業の側がほとんど伸びない需要と中途半端な速度で伸ばせるという、最悪のコンビネーションから成り立っているのに対し、商工業の側は、供給の伸びの速度が速すぎるという不利を抱えながらも、ゴムのように伸縮自在な需要がそのふりをカバーしている。

ケインズは何か普遍的な経済学の体系を作るというより、むしろ当時の英国が抱えていた問題を解決するための、いわば一回限りの理論を作ろうとしていたらしいことがわかる。逆に言えば米国などでは、無理やりそれを普遍的なものとして使おうとしたために、いろいろと問題を引き起こしたのだとも言えるかもしれない。

米国のリベラル進歩主義は、単なる縮退を社会的進歩と勘違いしてしまったのであり、皮肉なことに近代以前の社会のほうが、短期的願望を人為的に抑え込む必要性をよく理解していた。
(中略)ケインズが、自分がまだ若くて未熟だった時期のことをしみじみと述懐して「若き日の自分たちは、文明というものが少数の人間の意思によって打ち立てられ、狡猾な制度によってのみ維持される、薄い頼りにならない外皮のようなものであることに気づいていなかった」と述べていた。

そもそも現実問題として、完全に縮退しない社会などは作れないのである。それはちょうど、人間が生活する以上は必ず何らかの形で周囲の環境を汚すため、ある程度の環境破壊を許容しなければ生きていけない、というのと同じことで、全く縮退を許さないような社会であれば、人間は生きられずい窒息してしまう。
(中略)むしろ一時的に短期的願望を解放して、その縮退力をエネルギーとして変革の力に使ったほうが、社会全体をかえって縮退の少ない状態に戻せる場合がある。そうしたことを考えると、その観点からもある程度の幅で縮退や自由を許容する社会の方がむしろ望ましいということになり、いずれにせよ一種のきちんとした力学が不可欠となることは間違いない。

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