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週末読書メモ16. 『自由の命運 国家、社会、そして狭い回廊』

(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)

繁栄の前提条件となる個人の自由と安全は、強力な国家=「リヴァイアサン」なしにはあり得ない

しかし国家が強すぎれば「専横のリヴァイアサン」(独裁国家)が生まれ、逆に弱すぎれば「不在のリヴァイアサン」(無政府状態)に堕ちてしまう。

専横と不在のふたつのリヴァイアサンに挟められた「狭い回廊」に入り、国家と社会のせめぎ合いをへて「足枷のリヴァイアサン」を生み出した国家だけが、自由と繁栄を維持できるのだ

名著『国家はなぜ衰退するのか』の著者による続編、『自由の命運』。圧倒されるような量の調査と考察。前作同様に高密度の内容。

前作『国家はなぜ衰退するのか』のテーマは、「政治」と「経済」でした。本作『自由の命運』のテーマは、「国家」と「社会」です。

(↓前作の読書メモ)


本書最大の主張は、冒頭の引用の通り。

自由と繁栄を維持するには、国家と社会がともに強い状態でせめぎ合い「狭い回廊」に入り続けることができるか否か。

国家だけが強くても(独裁国家)、社会だけが強くても(無政府状態)、双方ともに弱い状況でも(無秩序・混沌)、自由と繁栄は実現せず。

また、何とか回廊に入れても、それは自由と繁栄に繋がる扉ではなく、国家と社会が均衡を保つために全力で走り続けないと追い出されてしまうような、狭い回廊だと。

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本書では、早々に結論が述べられ、その後、多くの事例をもとにした論証が続いていきます。ユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』シリーズと同じく(いや、それ以上に、)この本を読む前と後では、見える世界が変わります。

人というのは、いかに自分の取り巻く世界の中でしか、物事を見て、感じて、考えて、行動できていないか、を突きつけられました。

個人的なことを言うと、農家の家で生まれ、「生産」の世界でしか知らなかった中で、「マーケティング」、「戦略」、「経営」という更に上位の世界を知り、足を踏み入れ時の衝撃を、今も忘れることが出来ません。

しかし、それらすらも、この世界の断片でしかなく(当たり前だけど…)、更にもっと上の/外の世界があると。

何となく、「経済」、「社会」、「政治」の世界のことは見て、感じていたつもりでした。だが、全く分かっていませんでした。

何となく知っている(つもりだった)時と、知識や経験がある閾値を超えた先では、こんなにも見える世界が違うなんて。


下の記事にあるように「達人同士のすごい戦いは、ある程度、その分野に精通した人でないとすごさがわからない」、というのはあると感じています。

また、難しいことを簡単に扱う(伝える)のが良い、という言説がありますが(もちろん大事だけど)、難しいことを難しいまま扱えないと戦えない世界も、きっとある(そこにいる人からしたら、難しいことでも無くなっているのだろうけれど)。


久しぶりに、読んでいて押し倒されるような本でした。

ボリューム自体も、本作は上下合計で872ページもあり、前作と合わせると1,600ページを超えます。

だけど、この量を読む時間を割く以上の示唆が得られことは保証します(「国家」と「社会」の対比は、「経営者」と「労働者」に置き換えられ、国だろうと、企業だろうと、発展のためにはどんな環境をつくるべきか、いかに環境をつくるべきかは通じるものがあり)。

事前に必要な知識も、読み切るのに必要なエネルギーも、人に軽々しくオススメできるものを超えてしまっているけれど、同じような景色・感動を知った人と出会うことが、いつの日か来るはず。

その日が来たとき、語り合えるだけの知見を持つ努力を、これからも重ね続けいこう。


【本の抜粋】
本書の主張は、自由が生まれ栄えるためには、国家と社会がともに強く無ければならない、というものだ。暴力を抑制し、法を執行し、また人々が自由に選んだ道を追求できるような生活に不可欠な公共サービスを提供するには、強い国家が必要だ。強い国家を制御し、それに足枷をはめるには、結集した社会が必要だ。
(中略)専横国家がもたらす恐怖や抑圧と、国家の不在がもたらす暴力や無秩序の間に挟まれているのが、自由への狭い回廊である。

これが扉ではなく回廊である理由は、自由の実現が点ではなくプロセスだからだ。国家は回廊内で長旅をして、ようやく暴力を制御し、法律を制定・施行し、市民にサービスを提供し始めることができる。これがプロセスである理由は、国家とエリートが社会によってはめられた足枷を受け入れることを学び、社会の異なる回想が違いを超えて協力し合うことを学ぶ必要があるからだ。
この回廊が狭い理由は、こうしたことが容易では無いからだ。

赤の女王効果とは、ちょうど国家と社会が均衡を保つために全力で走り続けるように。
(中略)もしも社会が力を緩めてしまい、国家の強大化する力についていけるほど速く走らなければ、足枷のリヴァイアサンはたちまち専横のリヴァイアサンと化すかもしれない。リヴァイアサンを牽制するには社会との競争が欠かさず、リヴァイアサンが強力で有能であればあるほど、社会はより強力になり、警戒を高めなければならない。リヴァイアサンにも、新しく手強い課題に対処する能力を拡大し、自律性を維持するために、走り続けてもらう必要がある。
(中略)どんなに厄介でも、人類の進歩と自由は赤の女王にかかっている。

オットー司教が嘆いていたのは、階級制度とそれを支えていた規範の崩壊である。だが、経済が発展するためには、そうした規範が緩むことがきわめて重要なのだ。なぜならそのような規範は、ダティーニのような才覚のある「名もなき者たち」がのし上がることを許さないからだ。イノベーションを実現するには、才覚のある者たちに力を与え、多くの名もなき者たちに力を与え、多くの名もなき者たちが自分の進むべき道を描き、自分のアイデアを試すことのできる環境を作ることが絶対に欠かせない。

いったん回廊に入った社会は、専横のリヴァイアサンの軌道上にあるときや不在のリヴァイアサンの下にあるときとはまったく異なるふるまいをするため、歴史的な違いが根強く残りがちだ。国家と社会の力のバランスが持続することが多いのは、この理由による。だがもちろん、このバランスは特定の経済的・社会的・政治的関係に依存しており、その意味で国の経済や政治の構造は、回廊の幅を左右するだけでなく、将来の経路にも影響を与える。

実際、ソロンとクレイステネス、またジョージ・ワシントンやジェイムズ・マディソンなどの合衆国建国の父は、エリートと非エリートのどちらにも受け入れられる調停者として現れた。彼らが社会の力を制度化すると同時に、国家能力の拡大も手助けした。おかげで、よりよい規制と、公共サービスを提供するための諸機関、紛争解決能力によって、国家の能力が伸びていく政治的環境が生まれた ー これが、競争の結果双方が最終的に力を高める、「プラスサム」の赤の女王の例である。

人間の進歩は、国家が新たな課題に応答し、新旧すべての支配に対抗する能力を拡大できるかどうかにかかっている。だが社会がそれを要求し、すベての人の権利を擁護するために立ち上がらない限り、国家の能力拡大が起こることはない。これは簡単なことでも、自動的に起こることでもないが、起こり得ることであり、現に怒っていることなのだ。

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