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週末読書メモ64. 『ドイツ参謀本部 その栄光と終焉』

(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)

イギリスの史家アーノルド・トインビーは、若い頃にギリシア・ローマの古代史をみっちりやっておいて何よりよかった、と言う。
この古典世界は、その興隆と衰亡のサイクルがはっきりしていて、しかもそのサイクル内の因果関係が比較的明快である。そのため、古典世界の勉強は、歴史的・人生的教訓の宝庫として、ヨーロッパにおいては伝統的に尊重されてきた。西欧の興隆を招来したリーダーたちも、ギリシア・ローマの古典に親しむことによって、自己の人生観・歴史観・世界観などを形成してきたのである。
この意味において、ドイツ参謀本部の歴史は一つの「古典」である。それは、そもそもの誕生から、生育、発展、光栄、悲惨、再建、消滅のすべての段階が、比較的短い期間に起こったものであるため、見通しやすく、しかも原因・結果の連鎖が明快である。

上の引き込まれるような文章から、本書は始まります。

日本人にはあまり馴染みのない「ドイツ参謀本部」。ある歴史における誕生から消滅までの全ての段階が、ドイツ参謀本部には詰まっていました。


フリードリッヒ大王という天才により発展し、ナポレオンという別の天才に打ちのめされた、プロイセン(ドイツ)。

そこから、シャルンホルスト、クラウゼヴィッツらの優れた軍人が、ドイツ参謀本部を作り上げます。

ナポレオンの強さはフリードリッヒ大王の強さと同質のものであった。それは優れたリーダーシップによる強さであり、優れたリーダーが戦場を直接に掌握している範囲での強さである。その範囲を超えた時に、忽然としてナポレオンの限界が現れてきたのであるが、この「大規模」という魔性が軍隊に入りこんできたことを、この天才的なワンマン・リーダーはまだ気づいていなかったのである。いな、彼のみならず、ヨーロッパのどの指揮官も気づいていなかったのである。ただ一人、ナポレオンにさんざんに打ち破られ、ついには戦病死したプロイセン陸軍のシャルンホルストを除いては。

シャルンホルストがプロイセン参謀本部の形成に貢献した第一点は、まさにこの教育であった。フリートリッヒ大王の時代ならリーダー次第でどうにでもなる。国民徴兵に基づく大量軍の時代は、ナポレオンのような天才でなければ、だめである。天才はいつでも出るとは限らないし、また天才ですら必ずしも十分でない事態になっているのだ。新しい事態は新しい教育で対応しなければならない。シャルンホルストの眼目はまずそこにあった。


そして、ドイツ参謀本部は、ビスマルクという強力・偉大なリーダーの元、傑出した戦略家であった大モトルケによって、世界屈指の軍隊・国家へと栄光の時代を迎えることとなります。

しかし、その後のドイツの歴史は、第一次世界大戦、そしてヒットラーが率いた第二次世界大戦で、悲惨な結果と繋がっていきました。

プロイセン=ドイツ参謀本部は、近代史の動向を左右するほどの意味を持つ組織上の社会的発明であった。
しかし、それはビスマルクという強力なリーダーとモルトケという有能なスタフの組合わせの時だけ、めざましい効果を示したにすぎない。その盛りの時には奇蹟を生むほどの力を示したのに、それは極めて短い期間しか続かなかったのである。強力な大組織におけるリーダーとスタッフのバランスの難しさを示して余すところがない。
第一次世界大戦ではリーダーが弱くスタッフが強いというアンバランスでドイツは敗北した。第二次世界大戦ではその反省と反動から、逆にリーダーが強すぎてスタッフが消されてドイツは完全に崩壊した。
スタッフの養成法のノウ・ハウをドイツ参謀本部は完成したが、リーダーは偶然の発生を待つだけだった。これがドイツの悲劇であった。そしてリーダーの養成法はスタッフの養成法とは違う原理に立つもののようである。
今後の日本にどのようなリーダーがどう現れるかは、われわれの重大な関心事でなければならない。


300ページにも満たない薄い本であるものの、その内容は圧巻でした。

冒頭にある通り、古代ギリシア・ローマ史を描いた塩野七生さんの『ローマ人の物語』、『ギリシア人の物語』を凝縮したような読後感があります。

時代や場所が違えど、ある歴史・世界の物語における誕生から栄光、終焉までの流れは、様々な稀有な運命が折り重なったものだとしても、そこには共通した法則の存在を感じざるを得ません。


本書は、元P&Gの音部大輔さんによる最新作『The Art of Marketingマーケティングの技法』の参考書籍の一冊に書かれていたことから手に取りました。

本書然り、他にも挙げられていた『傭兵の二千年史』然り、現代における卓越したストラテジストの方は、ここまでインプットのアンテナが広がっているのかと感嘆します。

(本書にも、”最も優れた軍人が、その資質において著しく文学者的であったことは、フリートリッヒ大王、ナポレオン、シャルンホルスト、ゼークトなどに見られるところであるが、その極端とも言うべき例を、われわれはこのモトルケの中に見出すのである”と)


過去に取り上げた『国家はなぜ衰退するのか』や『自由の命運』と同様に、歴史には多くの教訓が溢れています。

過去の歴史上の人々を見ていても、大きな歴史観は大きな武器になりうるものであることは、きっと間違いありません。

あとは、古今東西の戦略家が行ってきたように、歴史から得られた教訓・原理原則を、実践知として昇華しなければ。そこに活路が、いやそこにしか活路がない以上、頑張ろう。


【本の抜粋】
イギリスの史家アーノルド・トインビーは、若い頃にギリシア・ローマの古代史をみっちりやっておいて何よりよかった、と言う。
この古典世界は、その興隆と衰亡のサイクルがはっきりしていて、しかもそのサイクル内の因果関係が比較的明快である。そのため、古典世界の勉強は、歴史的・人生的教訓の宝庫として、ヨーロッパにおいては伝統的に尊重されてきた。西欧の興隆を招来したリーダーたちも、ギリシア・ローマの古典に親しむことによって、自己の人生観・歴史観・世界観などを形成してきたのである。
この意味において、ドイツ参謀本部の歴史は一つの「古典」である。それは、そもそもの誕生から、生育、発展、光栄、悲惨、再建、消滅のすべての段階が、比較的短い期間に起こったものであるため、見通しやすく、しかも原因・結果の連鎖が明快である。

ナポレオンの強さはフリードリッヒ大王の強さと同質のものであった。それは優れたリーダーシップによる強さであり、優れたリーダーが戦場を直接に掌握している範囲での強さである。その範囲を超えた時に、忽然としてナポレオンの限界が現れてきたのであるが、この「大規模」という魔性が軍隊に入りこんできたことを、この天才的なワンマン・リーダーはまだ気づいていなかったのである。いな、彼のみならず、ヨーロッパのどの指揮官も気づいていなかったのである。ただ一人、ナポレオンにさんざんに打ち破られ、ついには戦病死したプロイセン陸軍のシャルンホルストを除いては。

シャルンホルストがプロイセン参謀本部の形成に貢献した第一点は、まさにこの教育であった。フリートリッヒ大王の時代ならリーダー次第でどうにでもなる。国民徴兵に基づく大量軍の時代は、ナポレオンのような天才でなければ、だめである。天才はいつでも出るとは限らないし、また天才ですら必ずしも十分でない事態になっているのだ。新しい事態は新しい教育で対応しなければならない。シャルンホルストの眼目はまずそこにあった。

マイントフェルという古典的なプロイセン軍人の側に立つと、この無名な新参謀総長は痩身で洗練された身のこなしを持ち、一見、繊細な体格と高い額と薄い唇と尖った鼻は、文学者のような印象を与えた。事実、彼は趣味においても、一人で上等な葉巻をくゆらすこと、モーツァルトの音楽を聴くことを何よりも愛し、途方もない読書家であったのである。最も優れた軍人が、その資質において著しく文学者的であったことは、フリートリッヒ大王、ナポレオン、シャルンホルスト、ゼークトなどに見られるところであるが、その極端とも言うべき例を、われわれはこのモトルケの中に見出すのである。

大局的戦略に不動の信念を持っていたモルトケは、戦術面においては逆に、現場の指揮官の自発性を徹底的に尊重した。彼は作戦計画の要綱に次のようなことを言っている。
「開戦から戦争終結に至るまでの作戦計画をうんと細かく予定するのは大きな誤りと言うべきである。敵の主力と衝突が起こった瞬間から、その戦術的勝敗がその後の作戦の決定要因となる。いろいろなことを計画してみても、戦機いかんでは、だいたい実施できかねることが多く、予期しない事件が続々出てくるのが常である。したがって形態の変化を詳しく観察して、あらかじめ十分なる時間の余裕をもってそれに対応する処置を考え、そのうえで断乎として決行するのが作戦指導の秘訣である」と。
(中略)モルトケはむしろそのような齟齬は戦場の常として責めず、むしろ局地的な勝利を祝福し、それを全戦局の勝利に結びつけるようにと作戦を展開していったのである。

モルトケの下でドイツ参謀本部はまことに輝かしい存在になったが、今から見れば翳りの徴候がないこともなかった。
その第一は、まず組織の肥大化である。
(中略)第二は、普仏戦争の勝利は、世界中の目をドイツ参謀本部に惹きつけ、その模倣者をいたるところに生んだことである。
(中略)ドイツ参謀本部が世界の注目を集めるとともに、モルトケもスーパー・スターになった。これはまことに危険な徴候である。参謀本部や参謀総長は相手にマークされないのが、いちばんよいのであるのに、「参謀の無名性」が失われはじめたのである。

プロイセン=ドイツ参謀本部は、近代史の動向を左右するほどの意味を持つ組織上の社会的発明であった。
しかし、それはビスマルクという強力なリーダーとモルトケという有能なスタフの組合わせの時だけ、めざましい効果を示したにすぎない。その盛りの時には奇蹟を生むほどの力を示したのに、それは極めて短い期間しか続かなかったのである。強力な大組織におけるリーダーとスタッフのバランスの難しさを示して余すところがない。
第一次世界大戦ではリーダーが弱くスタッフが強いというアンバランスでドイツは敗北した。第二次世界大戦ではその反省と反動から、逆にリーダーが強すぎてスタッフが消されてドイツは完全に崩壊した。
スタッフの養成法のノウ・ハウをドイツ参謀本部は完成したが、リーダーは偶然の発生を待つだけだった。これがドイツの悲劇であった。そしてリーダーの養成法はスタッフの養成法とは違う原理に立つもののようである。
今後の日本にどのようなリーダーがどう現れるかは、われわれの重大な関心事でなければならない。

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