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屋根裏ハイツ7F公演『父の死と夜ノ森』の感想|生、死、暴力の偶然性、そして死の不可逆性

 STスポットで屋根裏ハイツ7F公演『父の死と夜ノ森』を見た(この上演も、岡崎藝術座の『イミグレ怪談』と同じく、ハスキーさんに教えてもらった)。おもしろかった。……というか、ラストシーンがなんとも怖くて、鳥肌が立った。

 『父の死と夜ノ森』で語られたのは、生と静かに対峙する、いくつもの死や暴力だった。生がきわめてランダムで偶然であるように、生に振りかざされる暴力も、それによる(または、それによらない自然な)死も、偶然でしかない。
 生、死、暴力が、そして、その圧倒的な偶然性が、めちゃくちゃ平坦でちょっと緩慢な、ニュアンスや生気に欠ける俳優たちの演技や発声、動き、あるいは身体そのものから、強烈な生々しさと実感をもって立ち上がってくる。それが、なんだか空おそろしくて、たまらなかった。

 俳優たちは7人。20数人の役を入れ替わり立ち替わり演じ分け、出たり入ったりする。そんな俳優たちと対比的に舞台上に居残りつづけるのは、2つの岩とスーツケース、スタンドライト。それらのものは、時に俳優たちによって少しばかり動かされることはあるものの、基本的にはその場にじっと留まっていて、存在感を静かに放っている。
 2つの岩、スーツケース、スタンドライトという「もの言わぬモノ」は、俳優たちのせりふに耳を傾けて、シーンの遷移や物語のゆく末を、じっと見守っているかのようだった。つまり、モノが舞台装置や小道具であると同時に、観客のアナロジーのようでもあったのだ。
 舞台上のモノのかたくなな存在感や実在感は、ヒトの生、暴力、死の圧倒的な不確実性、偶然性との対比で、確実性や必然性を象徴していた。めちゃくちゃ微小な音量で会場に流されているさりげないSEや音響効果、ほとんど主張せずに、頼りなげに明滅する照明も、そのことに拍車をかけていた。それも、なんだか怖かった。

 そして、舞台に次々に残されていく、俳優たちが脱いだ一揃いの靴。終演後の「感想戦」で、演出の中村大地によって、それが死者の人数であることが明かされた。脱がれた靴は、他のモノと同様に、舞台上に居残りつづけていて、ほとんど動かされない。ひっそりと、ただ「ある」ということだけを物語っている。履く者のいなくなった靴は、かつて生きてそれを履いていた者の不在をあからさまに語っていた。
 生も暴力も死も偶然に訪れるものだけれど、いったん訪れた死は、永久に固定される。死者は、よみがえらない。舞台上に残された一揃いの靴は、かつて生きていた者がそこにいたこと、そして、その者の死はゆるぎなく、永遠に不可逆なものである、ということも語っているように思えた。

 ただ、7人の俳優たちが、まるでコントのような声で表現するSEや(パント)マイムは、戯曲のなんとも間の抜けたユーモアとあいまって、シリアスで恐ろしい物語に奇妙な違和感やずれを与えていた。それがチャーミングで、笑えて、なんとも言えない複雑な感情を呼び起こす。

 上で少し触れたけれど、この公演は、SEや音響がとても独特だった。とにかく音量が小さくて、流されていることに気づかないほどだったのだ。上演中に少し起伏があったから気づいたけれど、もしなにもなければ、会場の電気や装置、機器の音だろうと思っていたはず。これは、舞台音響出身の中村が意図した、巧みで高度な演出だった。
 中村によると、STスポットの換気扇のノイズや照明の異音は、不可避のもので、それに悩まされていたのだという。そこで、それらが実際に発している音をひとつずつ録音して、演出として上演中に流すことにした。そんなの、聞いたことない。音フェチらしい、繊細で特異な音響や演出だと思った。

 そして、俳優たちの演技が平坦で、ニュアンスの欠いたものであり、脚本や演出も説明的な部分を排したものであるからこそ、ひとつひとつの動作や、ちょっとした目線、視線の動きや送りかたの機微が、かえって豊かだった。あえて語らないことで、なにかを語る。あえて語らないことで、逆に浮かび上がってくるものがある。

 翌日の上演を見たハスキーさんが、私が書いたラストシーンへの恐怖感に対して、こんなことをツイートしていた。

 『父の死と夜ノ森』に最初から最期まで通底していた生、死、暴力の3つが、あのあとずさりするラストシーンに集約されてる気がして、私は物語のクロージングとしても、結論としても、ひどく怖かった。
 でも、「ダンス」というのは、たしかにちょっと盲点だった。冒頭の病院のシーンの奇妙な棒立ちからそうだったのけれど、寝そべったり、起き上がったり、人を殴りつけたりと、俳優たちの動きは、生気のないコントのような(パント)マイムを含めて、全体的に「踊り」のようではあった。俳優たちは舞台の奥や客席の背後をトンネルのようにして何度も通り抜け、くるくると円を描くようにして舞っていたとも言える。そのスウィートなダンスが生きている者たちの生そのものを強調して、炙り出しているかのようでもあった。

2023年1月21日、STスポット
帰りの湘南新宿ライン、山手線の車内で

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