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メロスは走り、セリヌンティウスはお金になった


序文

「金持ち」

中学の卒業が間近に控えた頃、担任は言った。
中学の卒業式で卒業証書を受け取る際に各自の夢を発表する。

ならまず夢ください。
と言ってもしょうがないので、取り敢えず「金持ち」と書いた。

おかげさまで卒業式はそれなりにウケたのだが、それを聞いたうちのばあちゃんはえらく腹を立てた。

お金に執着してはいけませんよ、お金はただの物質です。

えらい剣幕で言うもんだから、
「金持ちになれるくらいの能力を身に着けたい、ということだよな」とお父ちゃんがすかさずフォロー。

それはどういうことだ、と矛先が父へ。
家に薙刀がなくてほんとうによかった。

この時は知らなかったが、祖母は世界大戦後の大連からの引揚組で、紙幣が紙切れになったことを経験している。

私が好きな本で「流れる星は生きている」という本があります。
作者の藤原ていさんが子供(藤原正彦「国家の品格」の著者)と共に満州から引揚げる際の体験を綴ったものです。

本嫌いだった私が何度も読んだ本です。
確かに敗戦後、日本人は今まで信頼していたものが崩れ去るところを目撃しています。


これってどんな感覚なんでしょうね。
私の祖母は、昨日一緒に遊んでいた友達が、次の日には石を投げてくるようになったと言ってました。

いやいや、全く想像できないんですけど。。
逆に悪魔にでも取りつかれたんかお前、と思って心配すると思う。
呼ぶと思う、エクソシスト。


でも実際に敗戦後色々なものが急変して、貨幣ももれなく、だったのだろう。

でもじゃー、貨幣って一体なんなんや。
私も経済学部の端くれ。ただ鼻ほじって講義に出てたわけではありません。

かろうじて記憶の底からあるワードをサルベージできました。

「現代貨幣理論」

これがですねー、調べれば調べるほど難しい。
現代なんてついてるけど、初期は1990年に成立された経済理論だそうで、原型を含めれば100年に及ぶ歴史があるとか。

それをかいつまんでお話したいと思います。今日はそんな話。
※ちなみにこれは一つの理論で合って肯定も否定も出来ます。現に今までの経済学と真向から対立しており、議論が白熱中です。

現代貨幣理論(MMT)-Modern Monetary Theory-は、幾つかの理論が根底にある。

信用貨幣論


これまで、貨幣は貴金属と同様にそれ自体に希少性があり、交換価値があると考えられてきた。

貨幣とは、社会経済に携わるすべての人が信用することで、通貨としての効力を得ている。
現代の手形や債券と共通し、流通性を高く保てる物質に価値を付与している。

最近ではビットコインなどの電子マネーも出てきています。
あれはただのデータですよね。
ギャートルズに出てくる必死こいて転がすタイプの石貨。
あれもただの石ですよね。

どんなものでも、大多数の信用さえあれば貨幣として機能し、取引を行えるのです。


その上でこの理論では、貨幣とは負債の記録である「負債証明書」であると定義している。

ん、、どゆこと?

貨幣とは負債の一つの形式で、経済に交換手段として受け入れられた特殊な負債なのだ。

、、、なんて?


走れメロスで例えてみよう。

メロスは死刑になる前に妹の結婚式に出たいからと、ディオニス王に猶予をもらい、必ず帰ると友に約束し人質としてセリヌンティウスを差し出す。


メロスはディオニス王から時間を買い、対価としてセリヌンティウスを差し出すわけです。

この際、メロスはディオニス王に負債を抱えた状態となり、その担保としてセリヌンティウスを差し出す。

このセリヌンティウスが一種の負債証明書であり、現代の貨幣と同じ役割を担っています。

この当事者になって緊張感を味わいたい、物好きな人がいれば、
王はセリヌンティウスを“なにか”と交換することもできます。

巡り巡る、セリヌンティウス。
地獄の沙汰もセリヌンティウス。
いつまでもあると思うな、親とセリヌンティウス。

貨幣は現物支給型の社会から、信用取引の一環が生まれたことによりできた産物です。
我々はある種の信用を基に、負債証明として貨幣を使用しているのです。

内生的貨幣供給論


従来は、銀行が発行する貨幣の供給量によって、市場が活性・正常化する効果があるとされてきました。
要は、市場の需給バランスは国によってコントロールされていたということです。

これに対し現代では、社会が好景気となり、資金を借りてビジネスを発展させたい人が増える結果、貨幣の供給が増えるとしています。


社会経済は決して政府や銀行に100%従属しているわけではない、ということです。
これを掘り下げていくとマクロ経済学に発展するので、身に余る発言は控えたいと思います。

租税貨幣論


貨幣に価値があるのは、国家への納税手段として使用できるからであるとした考え。
例え話として「モズラーの名刺」というものがあります。


ある日、モズラーは子供たちに掃除をさせるため、掃除の報酬として、名刺を渡すことにしました。

しかし、子供たちにとって、名刺は価値がないため、そのままでは掃除はしません。

そこで、モズラーは、「月に〇枚の名刺を自分に渡さなければ勘当する」と話をしました。

結果、子供たちは一生懸命、掃除をし、名刺を集めるようになった。


モズラーが政府で、子供が国民。名刺が貨幣で、掃除が政府支出、名刺を渡す行為が租税です。


このように考えると、税収の前に政府はきちんと貨幣を分配しなければなりません。
増税をすれば財源が増えるといった簡単な考えだけでは、国が破綻してしまうのです。


跋文

このほかにも様々な理論を礎として、現代貨幣理論は成り立っています。
貨幣の価値は様々な要因によって構成されているのです。

それらは決して不変ではなく、例えば国の信用は日々微動しているし、それによって貨幣価値も変動しています。

「お金」だけを追い求めると、いつか足元をすくわれるかもしれない。
いつか紙切れに変わる可能性もゼロではない。


そうなった時、私たちは何を材料に信用を勝ち取れるのだろうか。


取り敢えず、中学を卒業する「金持ち」になりたかった私へ伝えたい。

お前、借用書集めてなにがしたいんや。

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