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プラハで感じたナチュラルとアンナチュラル

チェコ共和国のプラハに来てから、そろそろ3ヶ月がたつ。

コロナ禍ではあるものの、道を歩いているときに、マスクを着用している人はほとんどおらず、バスや電車などの公共交通機関や屋内でのみ着用するのがこちらのスタンダードとなっていて、日本では味わなかった解放感を日々、味わっている。

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そう、そして、この解放感こそ、日本にはなく、チェコで暮らしている中で感じる「Natural」の一端なのだ。

おそらくご存知の方もいると思うが、チェコはビールの消費が多いビール大国として知られている通り、ビールを飲む文化が盛んだ。

特に、チェコの人々の、憩いの場である公園では、昼間から、場合によっては朝からビールを飲んでいる人がちらほらと居り、芝生の上で友人と談笑している人もいれば、ベンチに腰掛け一人お酒を飲む人もいるなど、すごく解放的で、のびのびとしており、一人一人がとても自然な状態で、その様子が日常となっているのが素晴らしい。

いま、日本では、ちらほらとウェルビーイングなんて言葉を聞いたりするが、ここでは、そういった状態が当たり前で、わざわざ言葉を作って、普及させる必要もないんだと思う。

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また、チェコはヨーロッパのへそと言われることから、いろんな人種がおり、自分も日本人、アジア人、ということで差別を受けたことが今のところない。驚くほど治安もよく、地下鉄や夜遅くに街を歩いていても、身の危険を感じたことがない。

また、プラハでは24時間交通機関が動いていて、この前は、24時を過ぎてから、トラムという街中を走る電車に乗って家路に着いた。

ひとつ面白いと感じたのは、乗車券だ。チェコでは、乗車券が30分、40分、90分と時間で区切られていて、移動する「場所」ではなく「時間」に重きを置いて公共交通機関のシステムをデザインしている点に面白さを感じた。デザインにおいて、ユーザーの制約を考えるのは、基本的なことだから、気になった。

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その他にも旧共産圏であるという名残から、物価も日本の5分の1ほどだったりと暮らしやすい。

プラハで生活する中で、やはり、日本で生まれ、育った「私」に対する眼差しは鋭くなり、とくに、日本のアンナチュラルさを感じることが多くなった。

日本の一人ひとりがせかせかと、何かに掻き立てられるように生きている気持ち悪さ、24時間コンビニが通常に営業しているという異常さ。

そして、外国人に対する排他的な意識と、日本人の自然観が語られる割に、多くの日本人にとって、自然は遠い存在であること。

もちろん、日本の良さにも気づくことができた。食のバラエティの多さと繊細さ、他の文化を独自の文化ヘと消化する受容力。このあたりのことは以前、原研哉さんの著書「白」でも世界地図をパチンコ台に例えて、語られていた。

それらを感じた上で、なぜ、日本人にとって自然は遠い存在となってしまったのか。また、アンナチュラルに何かに掻き立てられるように生きている気持ち悪さを生み出してしまうことになったのか、その文化的な原因を知りたくなった。

個人的な予測では、明治維新の西洋文化を輸入することによる廃仏毀釈に代表される自国の文化の否定か、あるいは、第二次世界大戦による敗戦がその原因なのではと思っているが、果たしてどうなのか。

日本に帰ったら、自分なりにこの周辺のことを考えていきたい。それと、日本を周り、より日本の風土を肌で感じてみたいといまは思う、プラハでのここまでの日々だった。









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