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僕の少年時代は「ドラゴンボール」とともにあった

はじめて触れた漫画は小学校2年生のときの「ドラゴンボール」だ。
先にジャンプを読んでいたのか、コミックスからだったのか覚えていないのだが、1巻と当時最新刊だった18巻を購入するというファンキーなことをした。あと、罰当たりにも塗り絵にしていた。18巻は全部着色した。トーンが少なくて塗りやすかった。いま思えばとんでもないことをしでかしていたなあと思うのだが、1巻と18巻の間の巻も少しづつ買い集め、毎週水曜日にはアニメを見て、かめはめ波を練習して、ジャンプ読んで、「ドラゴンクエスト」をプレイし、また水曜日にはアニメを見て、ジャンプ読んで。日本中でありふれていたであろう少年時代だった。

大人になって思う。
少年期、「ドラゴンボール」の物語にワクワクしたこと。もう本当に、あれは自分の根幹を成す経験だったのだなと。「戦闘力53万です」も「俺は怒ったぞフリーザー!」もぜんぶ週刊連載のリアルタイムだ。これは自慢していいよね。幸せだったと思うよ。

僕は「ドラゴンボール」を読まなければこんなに漫画を好きになることはなかったと思う。

実は中学生くらいまでちょろっと漫画家を目指していた。Gペンの扱いが上手くいかなくって、挫折して辞めたんだけど。「ドラゴンボール」みたいな漫画も描いていた。僕は辞めちゃったけど、描きまくって描きまくって努力しまくった人たちがプロの漫画家になって活躍している。みんな、鳥山明の子供たちだろう。

「ドラゴンボール」は、鳥山明の作品は、僕の肉体の一部といってもいい。
神様といってもいい。でも、神様も死んじゃうんだな。




まだ呆然としながら、ずーっとX (Twitter)で追悼コメントを眺めている。

ひとつ印象に残ったのが鳥山明の「ドラゴンボール」は漫画界におけるビートルズであると。ビートルズ以降の音楽が、すべからずビートルズの影響を受けているように、「ドラゴンボール」以降の漫画は多かれ少なかれみんな影響を受けている。「ワンピース」なんて言及するまでもないだろう。


そして、鳥山明は紫式部や葛飾北斎と同じように、100年後も200年後も語り継がれる存在となるだろうと言ってる人もいた。これは本当にそうなる可能性があると思う。ほんの一握りの「残る」コンテンツになる。


「ドラゴンボール」は日本のみならず、世界中で愛されている。
フランス、メキシコ、ブラジル、韓国、世界中の至るところで。
「カメハメハー!」「フュージョン!」で友達になれる。そんな作品、他にあるだろうか。

そして「うんうん」とうなずいたのがこのカラッと明るい死生観ね。
「死んだらまた会おうな!」なんて、なかなか描けることじゃないよ。


「ドラゴンクエスト」のことも語りたいし、読切作品なんかのことにも触れたいのだけど、本当にきりがないけれどここらへんで締めたい。

鳥山明先生、たくさんのワクワクを本当にありがとうございました。
バイちゃ。

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